アニメ「86」とウクライナ戦争

アニメ「86----エイティシックス----」については以前にもこのブログで取り上げたし、今さら、なにかを言うことはないんだろうと思っている。しかし、そのときも書いたと思うが、これと、ウクライナ戦争はあまりにも似た

  • 構造

になっていながら、誰もそのことに言及しないのは異常だと思っている。
サンマグノリア共和国と隣国のギアーデ帝国は、戦争をしている。ギアーデ帝国の完全自律型無人兵器「レギオン」に対抗し、マグノリア共和国は「ジャガーノート」を投入する。
しかしこの「ジャガーノート」は、ギアーデ帝国に技術で劣るため、

  • 有人兵器

で戦っている。マグノリア共和国は、人口の大半を占める白系種(アルバ)が国を支配していて、彼らだけで85区の地域に住んでいる。しかし、マグノリア共和国には、それ以外に有色系種(カラード)が存在していて、彼らは、それ以外の地域という意味の「86区」に閉じ込められて、強制収容されている。
そして、上記の「ジャガーノート」に搭乗して、戦場で戦っているのは、全員、有色系種(カラード)だ。彼らは、

  • 現場

で敵の「レギオン」と戦うわけだが、その

  • 司令官

として、白系種(アルバ)の軍人がその役職が与えられている。この司令官と、有色系種(カラード)の現場の戦闘員たちは、「通信」によって指令を伝達して行動するが、ここでの通信は音声だけで行われて、お互いが顔を見ることはない。しかも、司令官と戦闘員は主に、戦闘員中のリーダーと通信で会話をすることになり、基本的に司令官が戦闘員の「名前」を知ることはない。
ヒロインのマグノリア共和国の白系種(アルバ)の軍人の、ウラディレーナ・ミリーゼは、常日頃から、自国の、86区の有色系種(カラード)に対する差別的な扱いに怒りをもっていた。そんな彼女が、たまたま、主人公のシンエイ・ノウゼンが率いる、東部戦線第一戦区第一防衛戦隊「スピアヘッド」の司令官の任務につくことになる。ところが、この戦隊の司令官は、過去に次々と、精神的におかしくなり、ノイローゼになって辞めていったことを聞いて、不吉な予感にとらわれる。
レーナは、たんたんと礼儀正しく自分に対応してくれる、シンの態度に好感をもって、この部隊から少しずつ受け入れられている感覚をもっていた。
ところが、ある戦闘で、レーナは自分があるミスをしてしまったことに気付く。しかし、間に合わない。カイエ・タニヤは「死にたくない」という言葉を残して、この戦闘での犠牲者となってしまう。
レーナは戦闘が終わった直後に、彼女の死を部隊との通信の間、軽く「残念」と言ったことに、オトは激しく感情をあらわにする。

セオト・リッカ:なにが残念? あんたにしてみれば、86の一匹や二匹、どう死のうが家に帰ったら、すっかり忘れて、夕食楽しめる程度の話だろ。そりゃ、こっちだって暇だったからさ、あんたの自分だけは差別とかしません、豚扱いしませんって勘違いの聖女ごっこに、どうでもいいときなら付き合ってやるよ。けどさ。こっちは今、仲間が死んだんだ。そういうときまで、あんたの偽善に付き合ってなんていられないって、それくらい分かれよ。
ウラディレーナ・ミリーゼ:偽善?
セオト・リッカ:それともなに? なかまが死んでもなんとも思ってないとか思ってる? あー、そうかもね。僕たちはあんたみたいな高尚な人間様とは違う、人間以下の豚だものね。
ウラディレーナ・ミリーゼ:ち、違います。私はそんな...。
セオト・リッカ:違う? なにが違うんだよ。僕たちを戦場に放り出して、兵器扱いして、戦わせて、自分だけ壁の中で、ぬくぬく高みの見物きめこんで、それを平気な顔をしている今のあんたの状態が豚扱いじゃなくて、一体なんだっていうんだよ! 86(エイティシックス)って呼んだことがない? 僕たちが望んで戦っているとでも思ってるのか。あんたたちが閉じ込めて、戦えって強制して、この9年で、何百万人も死なせてるんだろ。それを止めもしないで、ただ毎日優しく話しかけてやれば、それで人間扱いしてやれてるなんて、よく思えるな。そもそもあんたは、僕たちの本当の名前さえ、一回だって聞いたことがないじゃないか!

まあ、今さら言うまでもないが、これとウクライナ戦争との対応を示しておこう。

もちろん、こう書くと激しく反発してくる人もいるだろう。アメリカは、こんなにウクライナに同情して、たくさんの武器を提供して、こんなに「仲間意識」をもっているんだから、明らかに、白系種(アルバ)が有色系種(カラード)を露骨に差別している二つを比べることには無理があるんじゃないか、と。
そうだろうか?
まず、今のウクライナには成人男性には、国外に行くことが許されていない。そして、強制的に徴兵される。彼らは「86区(エイティシックス)」に閉じ込められて、強制的に戦場で戦うことを強いられているウクライナ人と何が違うというのだろう?
いや、世論調査で国民の9割がゼレンスキーを支持しているとか言っているけど、この国家総動員体制の情況で、どんなに心の中で思っていても、反戦とは言えないわけだろう。
次に、アメリカはそもそも、

  • 自国民に死者が出ない

ように、ウクライナ国民にだけ戦わせている。しかも、自国にロシアが核兵器を落とされるのが怖いから、絶対にウクライナに長距離ミサイルなどの、ロシア本土を攻められる兵器を与えない。
そもそもウクライナ軍を「指揮」しているのはアメリカだ。なぜなら、ウクライナ軍の、あらゆる通信衛星から来る情報は、全部アメリカが収集して分析しているのだ。ウクライナ軍は、アメリカ軍の

  • 言う通り

に行動しているしかない。つまり、実際には、「アメリカの指揮・命令によって動いている」だけなのであって、ウクライナ軍なんて存在しないのだ。
分かるだろう。なぜ、普段はあんなに陽気なオトが、レーナを怒ったのか。
アメリカがウクライナの国民を戦わせている。自分たちが死なないように。自分たちが精神的に落ち込まないように、絶対に、ウクライナ軍人の一人一人の情報はアメリカ軍に渡さない。アメリカは自分たちは関係ないという見た目を装って、ウクライナ軍に戦わせている。
これを「差別」と呼ばないで、なんと言うんですか?
アメリカは「安全」なところから、ウクライナの軍人が、どんどん死んでいるのを遠くから眺めて、「今日の夕食はおいしかったね」とかやっているわけだ。いや、

  • お前が戦場に出てきて、第一線で戦えよ。戦って、見事な散り際を見せろよ。

ふざけんな。なにが司令官だ。こういうゴミ屑が、世界を非倫理的にする。
このアニメは、第3話がクライマックスだ。これ以降、まずレーナが、このオトの呼び掛けに答えようとする。彼女は確かに、白系種(アルバ)だが、本気で誠意を見せようとする。最後には、自ら武器をもって、戦場に乗り込んで、スピアヘッドのピンチに援軍として現れる。この作品はレーナがスピアヘッドのみんなから受け入れられていく、和解の物語だ。
彼女の「馬鹿正直」な、うぶで、ナイーブな態度が、少しずつみんなからの信頼を勝ち得ていく。
他方で、この作品は、シンとレーナの「恋愛物語」だったはずなのだ。
この作品は、ずっと、シンとレーナが「通信」をしている物語だ。とにかく、ずっと話している。この関係は少なくとも今までは、ありえなかった。
まず、白系種(アルバ)の司令官は、そもそも有色系種(カラード)を差別して馬鹿にしているから、長く関わろうとしない。ところが、レーナはなんとか、有色系種(カラード)から信頼を得ようとして、どんどん関わろうとして、会話を求めていく。対して、シンは普段は無口だが、礼儀正しい少年だった。相手が求めてくれば、礼儀正しく、それに答えようとする少年だった。だから、自然とこの二人は、長い時間をずっと、

  • 二人だけ

で話し続ける関係となっていて、それを、スピアヘッドのみんなは「そういうこと」と受け取っていた。もう、二人の仲は「公認の関係」として理解され、つまり、レーナが「いい奴」だから、スピアヘッドのみんなから受け入れられたという側面が一方でありつつも、他方で、

  • (うちのリーダーである)シンの「いい女」じゃあ、白系種(アルバ)の女でも、認めないわけにはいかない

っていったような「一目おく」といったような(ヤクザの親分のオンナには、下っ端も一目置く、みたいな)、そんな関係にもあったんじゃないか、と思うわけである。
なぜ、シンは86の有色系種(カラード)から一目おかれ、信頼されているのか? それは、彼が

  • 今までの多くの死者を死に際を見届けてきた

からだ。彼が、そういった死に際の最後の想い、願いを聞き届けて、それを今に残そうと引き継いできてくれた。そして、これから戦う、86区の若者もみんな、最後はシンに見届けてもらえると思っている。
この作品は悲しい物語である。
若者がみんな死んでいく。シンは、たまたま、ある特殊な能力をもっていたために、ここまで生き残ってきた。86区の若者はみんな、そんな寡黙なシンに感謝を忘れることはない。つまり、彼ら若者は、みんな死んでいく。絶対に生き残れないことが分かっている。だからこそ、彼らは自分のことはどうでもいい。

  • シンにだけは幸せになってほしい

と、心のどこかで思っている。そんな彼らに、レーナは「当然」、彼を「幸せ」にしてやってほしい相手だと考えるわけだろう。
ところが、当然だが、シン自身は自らそういって、死に際を見届けてきた役割を引き受けてきた人間として、そのような「幸せ」な未来を夢見たことはない。いずれは自分も、そうやって死んでいった人たちの所に行くと思っている。ただ、まだその時じゃない、と思っているにすぎない。シンは寡黙な少年だが、あまりにも多くの死を見届けてきた者として、もはや、自分の幸せなど考えられない存在だと悟っているわけである。
しかし、他の86区の若者たちにとって、シンはそうじゃない。彼は彼らにとっての「最後の希望」なのだ。自分たちがたとえ、ここで命を落とすことになったしても、シンだけは幸せになってほしい。シンが幸せになることが、こうやって死んでいる彼らにとっての、「この世界にいれたことの幸せ」として受け取られているわけである。
このペシミスティックの作品は、アニメ「86」の2部の最終話で、始めて、シンとレーナがお互いの「顔」を見る場面が描かれて、ハッピーエンドで終わる。そしてこれは、スピアヘッドのみんながずっと夢見ていた姿だったと言ってもいい。二人は結ばれるべき。そしてこの最終話では、「ボーイ・ミーツ・ガール」というセリフさえ、まぎれこまれている。
ところが、である。
原作はアニメのずっと先を行っているわけだが、この二人はなかなか付き合い始めないw というか、なんていうかな。明らかに、レーナの方がシンに「べたほれ」みたいな感じの描かれ方がされた場面が多く見られるようになっていって、(あんまり最新刊は見てないけど)途中から、つきあうようになっていったのかな。
つまり、さ。あそこまで、カタルシスにあふれた「ボーイ・ミーツ・ガール」をやったんだから、さっさとつきあえ、と思うんだけど、なんか、原作はそうしなかったんだよね。そこがなんとも「日本的」というかなんというか、いや。この二人がつきあうことに誰も反対している人がいないんだから、作者もさっさと二人を結んでやってくれないのかね、と、そんな、さすがにもういいんじゃないのか、といったような雰囲気を感じるわけだけど、なんなんだろうね。この「日本的」とでも言ったらいいのか分からない話の展開は...。