もう一つの「覚醒」

劇場版「グリッドマン ユニバース」の二週目の特典はボイスカードだった。少し苦労したけど、なんとか、聞くことができた。まあ、後日譚で、裕太と六花のほほえましいデートの話。
まあ、ボイスカードの内容はどうでもいいんだけど、映画を二回見たことで、いろいろと気付けることもあった。
この「SSS.GRIDMAN」という作品は、そもそも、「裏設定」が気になっていた。つまり、作品の世界観がどうなっているのか、どう「説得的」に視聴者に見させようとしているのかが。
そういった点で気になる部分はまだ多くあるんだろうけど、一つだけ言っておきたいところが、テレビシリーズの第一話だ。
最初、中古パソコンの液晶にグリッドマンが写っていて、話をしているのを、六花と内海は気付かない。というか、まったく、真っ暗の画面としか見えていなかったと言っていた。
ところが、途中から六花と内海は、この液晶上のグリッドマンを「見て」「聞いて」いるような描写に変わる。
そして、第二話で新条アカネは

  • この世界に3人だけ、怪獣が暴れたのを「覚えている」

ということを話す場面がある。この三人とは、言うまでもなく、裕太と六花と内海だ。
しかも、劇場版においては、この世界の真実を知っているのは六花と内海の二人だけ、ということにさえなっている(裕太はテレビシリーズでの記憶はない)。
そう考えると、

  • なぜ六花と内海は(他の人とは違って)「特別」なんだ?

ということを説明する必要があったんじゃないか、と思えてくる。
裕太が「特別」である理由は、この、新条アカネが作った世界で、アカネではなく六花を「好き」になったことで、アカネから「独立」した自我が産まれたから、と説明される。これによって、裕太は、グリッドマンが、裕太の体を借りて、この世界に実体化できる、という関係になっている。
前回も言ったように、この作品世界では

  • コンピュータ・ワールド

といった「住人」が、アカネが「作った」という低レベルな状態から、自らによって「進化」する、というアイデアがある。よって、

  • コンピュータ・ワールド

の観点から考えたとき、リアル・ワールドの住人より「先」に「存在」したコンポイドがいるというだけでなく、たとえ、人間によって作り出されたコンポイドであっても、なんらかのきっかけによって、リアルワールドの住人に劣らない、いや、それ以上の「存在」へと「進化」しうる、という観点をもっている。
おそらく、内海と六花は「この観点」から、裕太と同様の、なんらかの「進化」があった、と解釈されているのだろう。もちろん、グリッドマン同盟として、裕太と一緒に行動しているのだから、グリッドマンが役に立つレベルには、他の人と違っていないと困るわけだが。
しかし、そうだとすると、内海と六花を「よりしろ」として、グリッドマンが実体化できないのか、といったことが気になってくる...。

追記:
今回の劇場版で、六花は裕太に向けて、自分の恋愛感情を述べた。もちろん、この世界には今は、アカネはいない。よって、このことがどこまで意味があるのかは、テレビシリーズ前の裕太とは比べられないのだろうが、普通に考えると、これを理由にして、六花の体を使って、グリッドマンは、この世界で実体化できそうな印象を受けるが...。