森保という「無責任」体質

森保は今回の負けについて、「自分の責任」と言っている。それは、適切な選手交代の手を自分が打たなかったからだ、と。
これを聞いて、頭が痛くなった。「やること」があったけど「やらなかった」のなら、何回やったって、同じことを繰り返すだろう。これに対する答えは、

  • 早く監督を辞めろ ... 森保
  • 早く監督を辞めさせろ ... 田嶋

だろう。ところが、驚くべきことに、この二人は、そのどちらも「拒否」しているw
どういうことなのだろう?
つまり、なにが起きているのか、なのだ。今回のイランとの敗戦は、完全に、グループリーグのイラク戦の敗戦と同型だ。相手のフィジカルが上のチームに、なんの対策もやらずに、試合中もなんの修正もせずに、そもまま、ずるずると負けた。これは、驚くべきことだ。なぜ、対策をしないのか? おそらく、

  • これが「問題」だと思っていない

のだw だから、イラクに負けても、「なにかをしなければならない」と思わない。イランに負けても、「なにかをしなければならない」と思わない。つまり、森保はずっと、「なにかをしなければならない」と今まで

  • 一度も思ったことがない

わけだw そう考えて、今までのいろいろを考えてみると、森保は「負け」をなんとも思っていないんじゃないか、という疑惑がある。それは、

  • 負けても、絶対に自分は退任させられない

ことが分かっているからだw だとすると、森保のモチベーションはどこにあるのだろう? 森保は絶対に、試合に対して「対策」をやらない。なぜなら、やって「失敗」したら、自分の責任になるからだ。よって、全て、選手かコーチに任せることになる。すべて、彼らに「自由」にやらせて、その責任は、全部、選手かコーチに引き受けさせる。
森保はなにを目的に監督をしているのか? この「無責任体制」はどこか、日本の官僚制や、日本企業内の組織論に似ている印象を受ける。日本の組織において、徹底して、「責任」という概念が無効化されている。絶対に、誰かに責任が行くような組織構造になっていない。どんな事件が起きても、どんな不祥事が起きても、莫大な赤字が拡大しても、絶対に誰の責任にもならない。つまり、

  • 中央の権力構造

だけは、絶対に不変なのだ。そして、ひたすら、周縁にいる末端の人たちだけが、次々と切り捨てられ、入れ替えられる。つまり、日本サッカー協会の「目的」が、ひたすら

  • 田嶋と森保の「権力」の維持

にしか興味がない、という構造になっている。どんなトラブルが起きても、絶対にこの二人だけは解任されない。なにが起きても解任されない。なぜなら、この組織自体が、

  • それを目的

に、人事が体系化されているからだw 絶対に他の人が交代「されない」ように、人事を掌握して、自分の息のかかった人以外が専任されてこないように、全てが用意周到に事前にセッティングされている。つまり、「派閥支配」である。ある、人脈に外れた、外部の人が絶対に、日本サッカー協会の組織の中に入ってこないようにされている。
そう考えたとき、今、なにが起きているのかが分かってくる。日本は試合に勝つことを「目的」にしていない。W杯もどうでもいい。世の中のご機嫌とりで、グループリーグくらいは突破するための、最低限の体裁の整えは、外部に委託して、お金を払って、「がんばらさせる」けどw、そもそもの目的がそれじゃないから、

  • どうでもいい

わけ。とにかく、「人事の掌握」にしか関心がない。おそらく、今回の結果を受けても、絶対に森保を解任しないし、田嶋は引退しない。どんなに国民が怒っても、マスコミが批判しても、絶対に彼らは「この一点」だけは受け付けない。なぜなら、これ「だけ」が彼らの権力の源泉だからだ...。