松本人志はなぜ芸能界の「病気」を客観的に語る視座をもたなかったのか?

松本人志が文春で連続で報道されたとき、彼が語った内容は現在のところ、彼が訴えた訴状だけだ。
このことが何を意味しているのかを考えてみることは興味深い。
というのは、文春の

  • 一連の

報道は別に、松本にとどまらない。いろいろな

  • 芸能界

の人の性加害がとりあげられている。私が不思議なのは、松本はずっと、芸能界のトップとして活躍してきたのにもかかわらず、こういった

  • 芸能界

の今の状況に対して、まったく、発言をしたいという意欲が感じられないことだ。
近年の欧米で活発になったMeToo運動の延長で、日本において、ジャニーズの喜多川元社長が死んだ後、さまざまな告発があいついだ。しかしこれは、未成年の男の子を喜多川が行う「性加害」であって、その犯罪性は明確だった。しかし、ネット上では、

の問題がずっと言われ続けてきたわけで、なぜ、男の子の側ばかりが取り上げられて、女の子の問題が焦点化しないのかが言われてきた。つまり、女性が「性加害」の対象となる「枕営業」の問題が焦点化されるのは

  • 時間の問題

だと考えられていた。そういった延長で次々と文春などの週刊誌が記事にしたのが、映画監督による新人女優に対する

であった。この映画監督の件は深刻で、かなりの常習性があり、なんと、松本の告発状の記事が文春に載った日に、ほぼ一年前くらいに文春で告発記事を書かれた映画監督が、逮捕された、という報道になっている。

自宅から押収されたSDカードには、複数の女性とのわいせつ動画が50点以上見つかっています
bunshun.jp

うーん。つまり、刑事事件として家宅捜索されたら、いろいろ出てきた、ってわけ。
これさ。
そもそも松本が訴えた今回の訴状の内容って、完全に、文春の第1回の記事の最後に書いてあった、文春記者による、松本へのインタビューに対する対応をそのまま文章にした内容なんだよね。
つまり、松本たちはもともとこの文春に代表される週刊誌を「邪魔」「社会悪」と話し合っていた雰囲気があるんだよね。そして、そうやって内輪で話していた延長の内容で、訴状の文章も構成されている。内輪の「ノリ」で訴状を書いたんだから、内輪では、みんなが「拍手喝采」してくれると思って、書いている素振りが見えるわけ。
しかし、それは、結局は

  • 昔の強姦罪などの法律の建て付けで考えている(去年、厳罰化されているが、それへのフォローは見られない)
  • 近年の、パワハラ、セクハラに対する、コンプライアンスの高まりへの配慮が感じられない

なんだよね。
つまり、一種の「完全犯罪」を松本はやっているつもりになっている。完全に社会的には「悪」だけど、「法律違反」になっていない(と本人は思ってきた)ギリギリを攻めているはずだ、と思っている。だから、問題は

  • 文春がこれを「性加害」だと言っていること自体

なんだ、と裁判で主張して、客観的な証拠がないという理由で裁判に勝訴しさえすれば、自分は昔の通りに、テレビに復帰できる、と思っている。
まあ、逆だよね。
松本がテレビに復帰できる可能性がある道は、過去の松本が行っていた

  • 完全に社会的には「悪」だけど、「法律違反」になっていない(と本人は思ってきた)

女性たち全員に謝罪をして、賠償をして、許してもらえたときだよねw もはや、松本が訴えている民事訴訟なんて関係ない。つまり、犯罪を犯したら復帰できないんじゃない。ちゃんと謝れた人が復帰している。過去を見ればそれは自明だよね。
ところがなぜか、自分が訴えている民事訴訟が復帰に関係があると勝手に自分で思っているところに、彼の幼稚かつ傲慢な本性が現れている。
自分は、あなたに傷つけられたと言われている相手に、まったく向きあおうとしないで、「もしかしたら自分にもなにか欠点があったかもしれない」といった形で、自分でも気付けなかった欠点によって傷つけていたら謝りたい、とも言えない人が、どうやったら、テレビに復帰できるの?
前からずっと書いているけど、別に、こういった問題って、芸能界だけじゃないの。それなりの大きさの会社なら、どこにだってある、と言ってもいいくらい日常茶飯事なの。つまり、この事件の本質は

の問題なわけ。つまり、上司的地位の人は、その存在自体が、回りの部下に、デリケートな影響を与えやすい構造になっている。だから、上司的地位の人は、常に気をつけて行動をしなければならない、とされている。上司的地位の人の「不用意」な言動だけで、似たような構造ができてしまう。まあ、上司的地位の人は、それだけの給料をもらっているんだから、他の人以上に気をつけて振る舞うことが求められるし、トラブルが起きたときには、人一倍の責任を要求もされる。
まあ、早い話が芸能界、テレビ業界、映画業界が、こういったコンプライアンスに対する対応が遅れているんじゃないのか、と社会から疑いの目で見られているわけでしょ。
私が不思議でならないのは、なぜ、松本人志はあれほどの社会的な地位を獲得したのにもかかわらず、この世の中から疑いの目で見られている芸能界、テレビ業界、映画業界の

  • 遅れた現状

に対して、責任ある、俯瞰した目で客観的に、冷静に見た発言をやろうとしてこなかったのか、ということだろう。なぜ、これだけの社会的な非難を浴びている状況で、どのように改善したらいいのか、といった観点で

  • 語る

文章を書けなかったのか。なぜ、自らをここまでお金持ちにさせてくれた、この業界の「構造」の「改善」を提案する視座から、なにかを語ろうというモチベーションが生まれなかったのか。まあ、これを安易な形での、サイコパス的な、人格的欠陥みたいに言うことは容易なんだろうけどね...。