アニメ「響けユーフォニアム3」第10話

まあ、この件については、いろいろなところで、いろいろな方が語られているので、すこし今さら感があるわけですけど、どうしても考えておかなければならないと思ったので、少し書いてみたい。
なにが起きているかというと、アニメ「響けユーフォニアム3」が、

  • かなり原作と変わっている

という事態について、どう考えたらいいのだろうか、ということだ。この変更について、一つの解釈としては「映像映えを考えて、よりドラマチックにした」、「尺の関係で、前後を変えたり、多くの省略をせざるをえなっかために、今ある形の変更が加えられた」と考えることもできる。
しかし、そう考えるにしても、ずいぶんと「変えた」な、という印象が強い。そして、どう考えても、上記の理由では説明できないような、かなり根本的な「思想」のようなものが変えられてしまっているんじゃないか、という印象が強いわけです。
とにかく、この話ってなにがポイントなんでしょうね? おそらく、「普通」に見たら、

  • 久美子と麗奈の「ケンカ」

なんじゃない? じゃあ、二人はなにで対立していたか? それが、

  • 滝先生への「信頼」

だったわけでしょ。麗奈は一環して「信じる」と語っていて、他方で久美子は、「ときどき」滝先生を「疑って」いる自分がいた、ということを言っていて、それに対して麗奈は久美子に「部長失格」と言っていた。
ここで、まず原作とアニメの「時系列」が根本的に変わっているのが、10話の最後の久美子のあすかのところへの訪問と、その後の久美子の部員全員の前での演説が、関西大会の直前じゃなくて、

  • 全国大会のためのオーディションの2日前

なわけね。それだけじゃない。求くんの話も原作では関西大会の後だったりして、いろいろと変わっている。
ところで、原作では麗奈は以前に久美子に「部長失格」と言ったことを

  • 撤回

しているw じゃあそれはいつかというと、久美子の演説の日の朝方。そう。原作では「麗奈問題」が解決しているわけw
久美子の滝先生評価は、原作を時系列で見てくると以下のような形になる:

  • 奏ちゃんと久美子の会話の場面 ... ここで奏ちゃんによる滝先生の分析が語られる。それに対して、表面上は久美子は奏ちゃんの不信感丸出しの分析を否定しておきながら、実は自分も滝先生の態度を、ときどき、どうしても疑っていた、と語っている。
  • チューバの件で久美子が滝先生に質問する場面 ... 質問の内容はどこか、奏ちゃんの分析にも近い内容だったわけだが、ここで滝先生が久美子に対して、「音楽」に対して質問をしたことを評価する発言を久美子の前でしている。
  • 久美子があすか先輩を訪れる場面 ... ここでは、あすか先輩と話しながら、少しずつ自分の考えが変わってきていたことに自覚的になる。さらに、あすかの指摘は二つあって、一つが滝先生も麗奈も、どちらの人間的には幼いところがあって、二人とも悩みながら選択をしながら進んでいる。もう一つが、滝先生はいろいろと欠点はあったとしても、生徒のことを思って全力を傾けてくれていることは間違いない。そして、久美子は自分が間違っていたことを自覚して反省する。
  • 久美子が滝の前で自分の将来の進路希望について語る場面 ... ここで久美子は、滝先生のような先生になりたいと語る。つまり、ある意味で、久美子は麗奈とは少し違った「滝先生全肯定」になっている。つまり、自分が滝先生を疑ったことがあったことを恥じている。つまり、滝先生には、人間ならだれしもがそうであるように、いろいろ欠点はあったとしても、滝先生の教師としての姿勢は自分が見習うべき相手なんだ、と本人に向かって語っている。そして、ここで滝先生は「いつか、久美子がどこかの高校の吹奏楽部の顧問として自分の前に現れる日が来るのかもしれない」と語るわけね。

こうやって時系列で見ると、なるほどと思うわけね。つまり、この原作はよく構想が練られていて、少しずつだけど、滝先生の久美子への視線が、たんなる教師と生徒から

  • 同じ教育学の「研究仲間」

としての視点に変わっていっているわけね。つまり、原作においては、久美子が直面することになった「実力主義」「3年生をレギュラーに優先すべきか」といった問題って、

  • 答のない問題

なわけね。というか、この世界には、そういった答のない問題がたくさんあるわけ。じゃあそれをどうしたらいいのかだけど、多くの場合、

  • 実践

として扱われている。まあ、カントの理論理性に対する実践理性の「優越」も同じことで、そんなことって、いっくらでもあるわけ。誰も答えがない。でも、だからこそ、あすか先輩は、久美子の当時の態度を今も肯定するわけでしょ。まあ、そんなもんなわけだ。それは滝先生も同じ。同じ難問に直面している。そういった視線で、滝先生は久美子を

  • 同じ「教育学」の難問を「研究」する研究者予備軍

として、「対等」に見るようになっている。しかし、さ。上記の時系列を見ると分かるけど、私があえて「強調」した会話の部分って、今のところ、かなり意図的に「カット」されてきているわけね。久美子と奏ちゃんの会話もそうだし、滝先生に久美子が質問する場面もそうだし、なんか一番重要なポイントの会話が、ことごとくカットされている印象があるわけね。うーん。ほんとうにこのアニメは原作のメッセージを伝えられるのかな...。