弥助が侍だという議論は、
- トーマスロックリーが自らの著書やインタビューで、どう説明していたのか?
- UBIソフトが、弥助を「実在した侍」と説明していたときに、その侍概念をどういったものとして説明していたのか?
の二つを巡ってされていたはずなのだ。
ところが、平山氏を始めとして、後から現れた歴史学者は
- 江戸時代と戦国時代では、侍の概念が違っていて、農民でも刀をもっていれば侍と呼ばれていたかも?
- もともと侍とは「さぶらう」が語源で、主人によりそう存在くらいの意味。
という形で、当時の侍であれば
- 下級武士
というくらいの意味で、侍と呼んでいいんだから、「弥助は侍」は間違っていないみたいな議論をしたために、論点がおかしくなってしまった。
(おそらく、こういったことを歴史学者たちが言いたかったのには、それまでの一般向けの本で歴史学者たち自身が、弥助を侍だと書いていたから、その理由の説明をしたかった、ということなのだろう。そういった一見、矛盾と思われてしまうかもしれないことに回答することは読者を大切にする、すばらしい行動と言っていいと思うが、そこをやたらと強調すると、「上記」の論点と離れた言説となってしまうし、そもそもの歴史学者たちが、トーマスロックリーの発言をおっているほど暇じゃないし、アサクリシャドウズにおける歴史考証を、他方における、ビデオゲームソフトというコンピュータプログラミング作品としての「品質の評価」となってくると、いろいろな論点が存在していて、どう考えてもそれらすべてを歴史学者に個人の視点で全体を目配せして発言しろなんて無理なわけで、こちらとしても、多少の違和感は、いったん、おいといて、その専門性を尊重するという態度が重要だったのだろう。)
トーマスロックリーの「真の発言の意図」を考えたとき、間違いなく、
- 弥助の「神話」をトリガーにして、今イギリスに大量に向かっている<不法移民>を、なんとかして、日本に行かせる
という目的があったわけだろう。そしてそれは、ハリウッドでの弥助ブームにも通じている。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツに共通していることは、国境がザルだから、毎日のように、当たり前のように、大量の不法移民が「歩いて」自国に入ってくるんだけど、入るやいなや、人権国家なので、殺すわけにいかない。人権の保護をしないといけない。当然彼らは不法に入国した「確信犯」だけど、<自分をこの国にいさせろ>と役所に要請をする。すると人権国家は、たとえどんな場合でも、最低限の審査をしないといけない。そうしないと、人権が無視されたことになる。よって、実質的に彼ら不法移民は何ヶ月かはここにい続ける結果になる。その間、お金がないんだから、もちろん、福祉を与えないといけない。しかし役所なんて人が回ってるわけがないんだから、そうやって、ずるずると何ヶ月も審査している間に子どもが産まれて、結婚してと、なかなか追い出しにくい状況になっていく、というわけだ。しかしこんな形で、大量の不法移民が後から後からやってきたら、国家がいずれは破綻する。そしてイギリスにおいては、その一つの解決策としてトーマスロックリーの弥助研究が注目された。これによって、不法移民たちが「日本に行きたい」と思ってくれれば、イギリスの不法移民の負担が軽減されるのではないか? ここで一気に、トーマスロックリーの研究に多額のイギリス国家からの支援がされるようになる(勝手な妄想だがw)。
しかしこうなったら、トーマスロックリーはやるしかないだろう。彼は、アフリカ系黒人に向かって語りかける。
- みなさん、イギリスにばかり行きたがらないでください。もうイギリスは不法移民でパンク寸前です。不法移民を目指すのであれば、<日本>はどうでしょう? 日本は、あなたたちアフリカ系黒人にとって「ユートピア」ですよ。嘘だと思うでしょ。でも、証拠があるんです! それが、歴史上に、このユートピアで「人生大成功」したアフリカ系黒人である弥助なんです!
さあ、みなさん。考えてみませんか。歴史上の弥助の記録なんて微々たるものです。ここから、
- 弥助は、日本というフロンティアで「大成功」をした
というストーリーをでっちあげなければなりません。どうやったら、そんなことが可能なんでしょう?、と。一つだけ間違いなく言えることは、絶対に弥助の最後を悲しい結末にしてはいけないことと、とにかく弥助は「日本で成功した」ということが言えなければならない、ということです。
これについて、基本的にトーマスロックリーが主張したことは以下だと言えるでしょう。
- 大黒天の話から、日本人は黒い肌を崇拝しているから、アフリカ系黒人が日本に来れば、神様のように崇拝される
- 日本側の資料で、弥助の力は「十人力(=日本人の十倍)」と書いてある
- イエズス会側の資料で、どうも「弥助はいずれ将軍になるだろう」という一節があるそう
ここから、トーマスロックリーはどうも
- 弥助は最初から信長に「将軍になるための英才教育」を受けていたはずだ
と推測したんじゃないかw
では本能寺の変以降の晩年はどうか?
- (隠れキリシタンのように)公の文書には出現はしていないけど、なんらかの「将軍クラス」の役職で天下人になっていたんじゃないか?
そして、英語小説版では最後に、幕末のある人物の写真を載せて
- 彼が弥助の子孫だ。なぜなら、(写真を見れば明らかに)日本人にしては唇が厚い。しかも、その人の名前には弥助の「弥」の文字が入っている
として、つまりは
- 弥助の子孫が代々、日本の支配者層の一員として存在し続けてきた
として、つまりは
- 弥助は<日本の支配者>になって、千代に八千代に、彼の子孫が実質、日本を支配し続けた
みたいな、弥助が日本のチンギスハーンになって、みたいなことを書いたってわけw
なかなか空想逞しくて、楽しい人だなあと思ったかもしれないがw、これ、日本の歴史をネタに言ってますからねw 自分の子孫がただの百姓にしかなれなかったのに、黒人の弥助に日本を支配されてたって、そんなに日本人って弱いっていいのかって馬鹿にされているわけで、もうすこし、歴史修正主義者も怒っていいんじゃないかと思うんだけどねw
まあ、人によっては上記のトーマスロックリーの「論証」に説得されちゃいそう、なんて思っている心の弱い人もいるかもしれないから、簡単に言っておくと、大黒天という名前はインド語の直訳なんだよねw 黒といった意味のインド語を名前に含んでいた人の名前を直訳してこうなっている。あと大黒天の像の一部が黒になっていたものがあるみたいなのも、黒っていっても、アジア系は日焼けすると黒に近くなるから、なんだかなあという感じ。あと他は、どうでもいいものばかりだけど、「弥助はいずれ将軍になるだろう」のところだけは気になっている人もいるんじゃないか。
「信長は弥助を殿にしようとしていた」とか、「ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂さになっていた」とか、ひどいものだと「一国一城の主となるプランもあったという」とか書いてあることにされがちな宣教師の記録ですが(後略)
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以上をまとめて日本語にすると、「信長は大いに喜び、弥助をとても気に入ったので彼への寵愛を皆に知らしめるために自分の近習を付けて街中を巡らせたところ、これを見た人々は(信長が弥助を)殿にするようだ、と言った。」といったところでしょうか。
あとはどう解釈するかの問題ですが、結局のところ殿云々というのは珍しい物好きの信長が嬉しくなってお気に入りを見せびらかしたことに対する都の人達の感想で、その手段として普段なら信長に付き従う近習を弥助につけたために弥助が殿のように見えた、ということではないかと思います。記録通りなら弥助は背も高く立派に見えたでしょうから尚の事。
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このブログの記事がくわしく説明してくれてますが、早い話が、この古代ポルトガル語が、別に公的な文書じゃなくて、メモみたいなものだから、かなりラフなスケッチなんだよね。それを現代の人が翻訳しますってなると、意味不明な個所はどうしておこうみたいな話になる。いずれにしろ、なんか「弥助を殿にする」みたいなことが書いてあるのは確かだから、「信長による弥助の英才教育」みたいな、前のめりするトーマスロックリーみたいな人が現れるって話。
あとさ。一つだけ、日本の歴史学者の「通常」の弥助についての反応を書いておこうと思うけど、以下の個所が要点をすべてまとめて、全てを語っている。
弥助の乏しい情報から推測すると、信長は出掛けるときに弥助を連れて行き、人々が驚く様子を楽しんでいたようであるので、召使いのような存在だったように思える。新しいもの好きの信長の好奇心を刺激したのだろう。
イギリス人の三浦按針は、徳川家康によって家臣として取り立てられ、知行を与えられた。それは、按針の造船技術や航海術、今後の外国との貿易を考えると、メリットが大きかったからである。
一方で、弥助には同じようなメリットが少なく、むしろ物珍しさが先行したように思える。信長が私宅、腰刀、扶持を与えたのは、特に侍身分と関連付ける必要性がなさそうだ。
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ポイントは
- 日本側、イエズス会側に共通してあるのは「信長は出掛けるときに弥助を連れて行き、人々が驚く様子を楽しんでいた」といった<見世物>目的のニュアンスの個所があまりに多いということ(ところが、岡美穂子のような外務省の手先は、こういった弥助記述の負の部分をめだたせないようにしようとするきらいがあるよね)。
- 弥助が天下人になりえたかを考察する上で、<実際に家臣にとりたてられた外人>の実例である、三浦按針がなぜ異国の日本でそうなれたかが重要なわけね。つまり、西洋のテクノロジーに通じていると。対して、弥助は西洋文明のテクノロジーを学ぶような身分どころか奴隷ですからね。
の二つなわけ。まあ、物語の中だったら、どんな空想活劇で弥助の大活躍を描いて、そのまま、天下人にのしあがったと描いてもいいんだろうけど、まあ、それは「史実」とは違うよね...。