「コンシューマ機」論の補足

コンシューマ機の問題で触れていなかった論点として、よく言われることとして、コンシューマ機が「ビデオゲーム専用機」だとして、なぜ、さまざまな<種類>が、それぞれのメーカーから発売されるかの問題として、よく言われるのが

  • 新しいゲーム体験を提供する

というわけである。つまり、スマホが「今の形態」にアプリメーカーが「合わせた」アプリを販売しているのだとすれば、コンシューマ機は「ゲーム専用機」なんだから、ことゲームに特化して、

  • 好きなカタチ

にして販売することができる。そして実際に、過去からの「次世代機」はどれも、それ以前のゲーム機を乗り越えて生まれてきた側面がある。
有名な話がWiiで、任天堂がこれを発売したとき、革命的だと言われた。つまり、ジャイロ機能であり、つまりは、3次元の位置情報をネットを介して取得をして、その情報をもとに、ゲームに「3次元的な操作感覚」を実現することに成功した。そして、この機能を使ったソフトがそれ以降、多く作成された。
しかし、考えてみればこの機能は他社に真似されやすいものだったと言えるかもしれない。。そもそも、このジャイロ機能はすでに技術としては確立されていた。そして、それ以降、スマホのさまざまなサービスはフルにこの機能を使うことになり、一般的なものとなっていった。
しかし、いいずれにしろこういった形で、コンシューマ機が先陣をきって業界をリードしてきた側面はある。DSから3DSも、それ以降そこまで普及はしなかったが、2次元の画面を3次元的な立体に見せるという意味ではチャレンジングなものだった。
ではSWITCHはなんだったのかというと、言うまでもなく、携帯モードとデスクトップモードを共存させたことにある。つまりこれが、SWITCHのアイデンティティであって、実際に名前がそうだ。
それまでの3DSは、携帯機としては完成されていた。一見するとサイズが小さく、あくまで携帯用のゲーム機なんだろうなと思うかもしれないが、実際は2画面で開くと、今の小型タブレットくらいの画面の大きさはある。しかし、進化の袋小路に入っていた。それは、明らかに、開発コストがよくなかった。画面が特殊な形をしていたために、他のプラットフォームとのマルチ展開をしようとすると、2倍の開発コストがかかる。
しかも大事なポイントとして、任天堂ユーザには昔から、デスクトップでゲームをしたいという要望があった。携帯で遊べることは良いが、やっぱり、デスクトップで自宅の大きなディスプレイで、プロコンで遊びたいという需要があった。それに対して、この両方の夢をかなえたことは革命だった。
SWITCHと3DSの決定的な違いは、前者のソフト数の圧倒的な多さだ。確かに3DSはDSのソフトも遊べる。しかし、DSと3DSを合わせても3千本くらいで、SWITCHは今の段階で1万本を超えているという。まあ、DLCやダウンロード版やサブスクでSFCなどのレトロゲームが遊べるというのも、この数に入っているのかは分からないけど、とにかく、SWITCHは画面の携帯を一般化したことで、遊べるゲームの数が無限に増えた。
ちなみに、SWITCHは通常版が7年前に発売されてから、数年前に有機EL版が発売されている。これは、たんじゅんにグラッフィックというか、画面に使う液晶をいいものにしたもので、本体側の機能を変えていない。ただ画面サイズが大きくなっていて、携帯モードで遊ぶ人にはかなり画面が見やすくなっている。値段も1万円くらいしか高くなっていない。
これに対して、PS5もPS5Proというものがつい最近発売された。こちらは、マシン自体が高スペックになっているのだが、ソニーの関係者が最近言っていたように、これは「ゲーム体験を変えるものじゃなかった」と言っているわけである。変えたのは、たんに

  • 見ためのグラフィックだけだった

と言っているわけだ。つまり、SWITCHにおける有機EL版のような位置付けでしかなかった、と後から言ったわけで、これに多くの批判がでている。なぜなら、値段が13万を超え、さらに、ディスク再生部分が別売りになったわけで、SWITCH側が1万しか値段が違わないのに比べて、あまりにも値段が高額になりすぎたにもかかわらず、「ゲーム体験自体は通常のPS5と同じ」とか後から言い始めたからだw
ただ、こういった観点で考えたとき、コンシューマ機の未来はこの「新しいゲーム体験の提供」を意図したもの以外にはありえないだろう、ということが分かってくるんじゃないか。この技術革新で業界をひっぱるのがコンシューマ機なのだろうが、はたしてこれからの未来で、そんな革新的なアイデアが次に現れるのはいつになるのだろうか...。