ドラクエ7の過去の情報をネットであさっていると、
- 「キーファ=オルゴデミーラ」説
というのが目に入ってくる。これは以前は、ドラクエ7をプレイしていなかったし、そもそも関心もなかったので、気にもとめてなかったのだが、今回のリメイクをやって、オルゴデミーラが誰なのかも知っているので、なぜこういった主張をしたかったのかが、よく分かるようになったw
ただ、この説は、そもそも
- キーファの「行動」が理解不能だった
ことに端を発っしている。キーファ離脱のプロセスは、そもそも原作ドラクエ7で最大の、不評の個所だった。ここがあまりにも意味不明すぎたから、ここを説得的にするために、キーファが、実は、オルゴデミーラなんじゃないか、という説が現れたわけであろう。
キーファは過去のユバール族に接触したとき、婚約している女にほれる。そして、いろいろないきさつがあって、彼女のフィアンセは村を離れるわけだが、その後、キーファは村に残ると言い始める。これを、
- 第三者
としてゲームをプレイしていたユーザーは、キーファが村に残る(仲間を捨てる)
- 目的
が、どう考えても、女が主目的なんだろう、としか聞こえないから、馬鹿馬鹿しくなって、このゲームをここで止めた。
今回のリメイクでは、ここの基本的なストーリーは変わっていないw そのため、ユーチューバーの、特に、女性の実況配信者の「ほとんど」が、この個所で、キーファを罵倒する展開をむかえている。
しかし、今回のリメイクでは、キーファはどうも「いい奴」として扱いたいみたいだ。お互い、喧嘩分かれをしたようには終わらせず、最後は、「和解」したかのようなムービーすら流れる。
ただ、ここで注意が一点ある。
実は、大人キーファがラスボス戦に一緒に闘うために、現代に戻るストーリーは、よく見ると
- 選択式
になっているw そう。実は、キーファに現代に戻って一緒に戦わない「選択肢」が用意されているのだ。そう。原作通りのストーリーだ。
なぜ、キーファを現代に戻さないストーリーも用意したのだろう? まあ、ゲーム性の問題があることは確かだ。キーファが現代に戻ると、ラスボスをキーファという
- MPC
が自動で行動する攻撃を考慮した「攻略」を考えることになる。しかし、キーファはしょせん、MPCだから、戦略に含めることは不順だ(そもそも、戦力になっていないに近いが)。だったら、キーファが来ない方が、本来のドラクエに近い。イベントを見るために、一回はキーファをつれてストーリーを見ておくことはいいが、基本的にキーファはラスボス戦に必要ない。
しかし、である。
こういった、「ゲーム性」から導きだされるキーファ不要論だけでなく、そもそも、この「キーファ救済」的なものは、必要ないんじゃないか、と私は考えるのだ!
どういう意味か?
そう。
キーファ離脱は、私は、キーファがオルゴデミーラだったからじゃなく、キーファが
- 大人世代のホンダラ
だったと考えるからだ。
ホンダラとは、ドラクエ7の主人公の漁師の父親の弟である。彼は、町をぶらぶらして、仕事にもつかず、放蕩息子のような生活をしている。だらしなく、なんでこんな奴が主人公の、立派な漁師の父親の弟なんだと思わせる、どう見ても
- ドラクエに「ふさわしくない」登場人物
だ。
しかし、である。
この、ドラクエ7は、一神教を意識した、非常に、キリスト教を意識した作品だ。そして、キリスト教において
- 放蕩息子
決して欠かすことのできないテーマで、何度も何度も繰り返される。
ホンダラは仕事にもついておらず、いつも、酒場にいりびたって、主人公の父親に借金をたかる奴だ。そういう「ダメな大人」だ。ところが、彼は、主人公たちの石版探しにおいて、何度も何度も重要な役割をはたす。
これはどういうことだろう?
いや。むしろ、それこそが、キリスト教の聖書の主張なのだ。
一見すると、ホンダラは駄目な人間だが、
- (一神教の)神の配剤からの視点
からは、そういった「ノイズ」さえもが、意味のある働きを、偶然的に行うことがある。神の啓示は常に人間には思いおよばないような、突然さで現れる。
おそらく、キーファも「ホンダラ」のような存在として、最初はデザインされたのではないか? キーファがユバール族で、
- いい女にほれた
から、キーファはもう、冒険がどうでもよくなった。全部投げうって、女の尻を追った。「後は残ったお前たちで、勝手にやってくれ」と捨てゼリフを残して。この行動は、まさに、ホンダラを思い出させる「放蕩息子ほ」タイプだ。
しかし、そうであるがゆえに、ホンダラがそうだったように、キーファはユバール族の女と結婚して子どもを産んで、その子孫がアイラとなって、主人公たちのパーティに仲間として加わる。
キーファの行動は完全に「自己中心的」だったが、
- 神の配剤
によって、キーファの行動は、人間万事塞翁が馬として、アイラのパーティ加入を実現し、オルゴレミーラとのラスボス戦に勝利する。
しかし、である。
おそらく、スクエニはこの「キリスト教的」なストーリーを理解できなかった。そして、日本中の人々もそうだった。なんとかして、キーファを
- 聖人化
しなければならない、という「歴史改竄」が続けられた。そして、今回のリメイクである。
八百万の神がいる、多神教の日本においては、一神教のテーマは、そもそも理解されない。キーファは永遠に、日本では理解されないのだ...。