子安宣邦『伊藤仁斎の世界』

子安さんによる、伊藤仁斎研究の集大成のような本である。この本については、仁斎の原典まで調査していて、これはこれでおもしろいのだが、変なことが、あとがきに書いてあるんですね。

仁斎古義学のラジカリズムを仁斎テキストのラジカルな読みとして反復しようとした私の作業は、仁斎テキストを己れの倫理学の再構成的な要求にしたがって読んでしまう倫理学者たちの作業とはまったくすれちがう。仁斎テキストは彼らの要求に従わさせられるのだ。仁斎の『論語』からの読みを反復しようとする私の読みは彼らの読みとは逆の立場にある。己れの倫理学の再構成的な要求による仁斎テキストの理念的な読みの代表例は相良亨の「人倫日用における----伊藤仁斎の場合」(相良亨編『超越の思想----日本倫理思想史研究』所収、東大出版会、1993)に見ることができる。そこでは超越的なものを前提にした倫理学の再構成的要求にしたがって、仁斎テキストはまったく恣意的な読みによって壟断される。「この忠信敬恕の実践そのものが形而上学的な永遠の世界への参賛そのものであった」とこの論文を結論づける相良の言葉を見るならば、仁斎によって語るこの論文が伝えているのは永遠性に連なる安心立命倫理学を希求する相良の思いだけだとみなされるだろう。そこにあるのは仁斎によって語った相良の永遠性の倫理学である。

この相良亨って奴については、まったく知らないんですけど、ものすごい否定のしようですね。
最近、

儒教と近代国家 (講談社選書メチエ)

儒教と近代国家 (講談社選書メチエ)

という本を読んでいる途中なんですが、この本そのものは、李退渓(イ・テゲ)、奇大升(キ・デスン)、李栗谷(イ・ユルゴク)、趙光祖(チョ・カンチョ)、兪吉濬(ユ・キルジュン)などを、紹介していて、興味深いんですけど、最初で、伊藤仁斎に関連して相良亨を紹介しているんですね。
どうなんでしょうかね。

伊藤仁斎の世界

伊藤仁斎の世界