大澤真幸「再び「自由を考える」」

大澤さんと、宮台さんというのは、どういう関係なんでしょうかね。橋爪大三郎のゼミで一緒だったんでしたっけ。なんだったか、共著だったか、共訳だったかしてたような気がしたけど。
大澤さんは、以下で、小室直樹を、ばっさりときってますね。

しかし、素朴なこととして、僕は彼がどうして小室直樹氏をあんなに尊敬するのか、正直わからないところがある。
たとえば、橋爪大三郎氏が小室直樹氏を尊敬するのはわかるんです。なぜかと言うと、橋爪氏は全共闘世代だからです。彼らは、解毒剤がないとマルクス主義かれ抜けだせない。小室さんは、マルクス主義の毒を抜くための解毒剤です。でも、宮台氏は僕と同じ世代だから。無論、僕らは、ある種のマルクス主義へのシンパシーはもっている。けれども、僕らの世代のマルクス主義は、全共闘世代と違って、人の力を借りなければ毒抜きできないほど強いものではないんです。
小室さんはたしかに頭もいいし明快だけれども、斬新かと言えばそうでもない。僕は、小室さんの話を聞いて、ゴタゴタしていた知識がうまく整理されたとか、新しい知識を注入された、とか思ったことはありますが、しかし、なにか驚くような発想というものを感じたことはありません。人間は奇抜ですが、発想は、わりと凡庸だと思います。だから、小室さんのなにがいいのか、よくわからない。思想的には大塚久雄とか丸山眞男とか、戦後の市民派的知識人の線ですね。彼がちょっと違うところは、そのためには絶対王政が必要だ、と言うことだけです。ヨーロッパは絶対王政があったおかげで近代にんれた。日本は明治維新のときにそれらしいことをやったけれど不徹底だった、みたいな主張ですね。だから天皇と言うわけだけれども、基本は、大塚や丸山ふうの、近代主義者の線で考えているわけですよ。僕は、そういう発想にいまさらコミットする気にはなれない。

問題は、その小室直樹を、そこまで尊敬しているとされている、宮台さんの言っていることってどうよ、なんでしょうね。というよりむしろ、大澤さんからみれば、宮台さんがマスコミで放言していることがどうこうじゃなくて、この対談にあるように、まともに、大学内で論文を発表してという行為に熱心でなくなっている、そういうふうに思えることこそが、ある種の結論なんでしょうね。そういう感じでは、昔に較べて今は、理論的対象としては、あまり、スコープに入っていないという評価なのでしょう。