「靖国」

映画「靖国」を見た。あいかわらず、おじいちゃん、おばあちゃん、が3分の2くらいいたんじゃないだろうか(英語の字幕があるんだけど、いろいろ聞き取りにくいんで、日本語の字幕があった方がそういう方にも親切だったんじゃないかな、と思ったけどね)。今回は、ちょっと恐い感じのおじさんが多少いたのが違いかな、それほど混んではいなかった。
映画の内容は、私は、比較的、理解できる内容だったとは思う。映画の製作者側は、できるだけ、自分たちの思想を公表することを避ける内容だったと思う。
たとえば、

坪内祐三「映画「靖国」が隠していること」

文藝春秋 2008年 06月号 [雑誌]

文藝春秋 2008年 06月号 [雑誌]

では、いろいろ坪内さんが、さまざまな情報の操作、イメージの操作がされていると言っているんだけど、逆に、つたないながらも彼らなりのこのアプローチは、そうとう長い間この問題にとりくんできた、年期が違うな、という印象を受けた。
まず、思うのは、なぜ制作側は、これほど、日本刀にこだわっているんだろう、ですね。私はここには、中国での教育の中での、制作側の人たちの素朴が疑問があると思うんです。近代兵器の筆頭にくる武器は、拳銃です。これは、実に効果的に相手に致命傷を与えられます。その視点でみると、なぜ、日本の軍人はこれほど、刀(日本刀)を振り回すのが好きなのか。たぶん、中国での教育の中で、資料として見せられたものにそういう刀を振り回しているものがあまりに多いんでしょうね。そういったところから、中国人らしく、なんらかの合理的な説明を探究していった結果だと思うんですけどね(その辺が、坪内さんが言うように、多少幼稚な、つたない面はあるにしても、彼らなりにここまで迫ったということでしょう)。
最後の南京大虐殺でのものを思わせる日本の軍人が捉えられた中国人に向かって刀をふりかぶっている写真が何枚か連続で見せる場面があるんですけど、逆に、私はそれこそが、上で述べたような彼らの疑問の出発点になってるものなんじゃないかな、と思ったんですけどね。
刀鍛冶の刈谷さんへのインタビューが映画の大半なんだけど、刈谷さんは普通のテクノクラートでしょう。技術者ですね。そういう意味では、映画製作者側のリスペクトも感じましたね。そんなに相手をおとしめるものでなかったと思いますがね。靖国での老人や右翼のパフォーマンスも、一部を抜き出して、ひやかすものでなく、それなりに、ちゃんと紹介しているものでしたし、老人が学校教育での徳育が大事だと話す場面など、こういう映画でもないとあれほど、象徴的に紹介されることはなかったのではないでしょうか。そこが、右翼の人たちも、それほど騒いでいない理由じゃないでしょうか。