ザ・ノンフィクション「象と暮らす娘」

今日の昼にやってた、フジテレビのドキュメンンタリー。日本の若い女性が、タイで、ゾウ使いの見習いをしている場面を追う。
ゾウ使いは、産まれたばかりのゾウに、積極的に触れ合う。ゾウが人間を怖がらないようになることが、人間と共存していくために、必要だからだ、という。子どものゾウは、少し大きくなると母ゾウと離されるのだそうだ。子ゾウを人間と暮すための教育をするため。母ゾウは、乳をはらしながら、一週間、なげき悲しむという。そのとき、ゾウ飼いの人たちで、子離れの儀式を行う。
最近、文化人類学にちょっと興味があったので、少しおもしろく思った。儀式。それは、ゾウ飼いたちの心のきりかえに、重要な役割をえんじるのだろう。また、もっと、現象学的に、ゾウ飼いたちに、この子ゾウの「親子」という関係、視点をカッコに入れて、人間と暮していくための教育対象に対象への見方を変えるために、必要な通過儀礼なのだ。ゾウの親子への今までのコミュニケーションへの互酬的な感情を、一回、違う視点に、切り変えないといけない。それが、自然へおそなえものなどの贈与をすることによって、このアニミズム的な権利を得られると考える。これが、前に、柄谷さんが、マルセル・モースのハルを評価したときの視点でしたね。
ここから、このドキュメンタリーは、違った視点をみせる。日本から来た、ゾウ使いの見習いの女性が、現場の若い同じ見習いの青年との間に、子どもを産む。子どもが産まれた後、日本の母親と80近いおばあちゃんが、一週間、おみまいに来る。そこで、住環境の厳しさを認識する。ゾウ使いの師匠は、青年の方がまだゾウ使いとして未熟であるという理由で、結婚に反対する。実際、給料は二人合わせて、1万円ちょっとだという。おばあちゃんは、最後まで、この出産、結婚に反対であることをカメラの前でさえ、強調している。最後は、一週間たって、母親、おばあちゃんが、日本に帰るところで終る。
と思ったら、最後、5分くらいで、後日談がある。4年後、この家族は、日本で生活していた。父親は、土木関係の会社で働いている。母親の方の、日本でお金をためて、タイの田舎で、ゾウと暮せる場所をつくりたいという夢を、実現するためだという。
変な話だが、やはり、この世界における、人間社会において、母系社会というのは、圧倒的に父系社会より強力だろう、ということだ。特に、こうやって、世界的な不況の状況では。女性は、出産という期間の行動を制限される。これは、どうしても不可避であり、その期間こそ、産まれた子どもにとって、決定的に重要な時期。そうなると、どうしても、その母親の生き方、精神状態というのが決定的に重要になってしまう。やはり、母親が生きたいように、やりたいようにさせてあげられる、この方が、家族システムは絶対的に安定的だろう。
貧富の格差はたんに国内のものでなく、グローバルなものであり、それが今後、より強力になるでしょう。最近は、IT系の業界でも、非常に、他のアジアの技術者が多くなってきた。日本の企業が、生き残っていく手段として、アジアに生産拠点、販売拠点を開拓していくことの重要さを理解してきている理由でもあるでしょう。特に、日本の親世代は、それなりに、バブルの時代を経て、資産がある。親の世代のサポートを受けて、人生設計をしようとするのは、今の日本の若者の特徴なのだろう。