ハンス・アビング『金と芸術』

500ページ近くある本なんだが、3分の1くらい読んだくらいで、やっとこの本はかなり重要だな、という感じがしてきた(まだ、半分くらいしか読んでないが)。
著者はオランダの人だそうだが、オランダといえば、ゴッホなど、芸術家を多く輩出した国。
芸術といえば、

従兄ポンス―収集家の悲劇 (バルザック「人間喜劇」セレクション)

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を思い出しますね。
たとえば、芸術と言っても、なかなかイメージがわかないんですよね。縁がないんで。少し前の映画ですが、

というのがありました。ニューヨークのヒッピーみたいな金のない生活をしている若者が、なにに人生を賭けているのか。アートである。
日本でも、芸大というのは、人気のある進学先ですね。
掲題の本では、その芸術というカテゴリーを、ビジネスという視点で見るとき、非常に奇妙な力学が働いていることが強調される。例えば、オランダでは、実に多くの金額を、芸術家(芸術家をめざす学生を含めて)へ、支援をしている。
また、30%が政府機関が金を出して買っているんだそうだ。現代芸術にいたると、60%だそうだ。
こうなると、どういうことが起きるか。芸術家のインフレーションである。だれもかれも、芸術家になってしまった。なんてったって、国が面倒見てくれるんだから。もちろん、一握りを除いて、まったく売れない。
これはなんなのだろうか。私が思ったのは、日本における、膨大な借金の最も大きな原因とされている、長年続けられてきた、公共事業への膨大な資金の投入だ。よく言われるのが、これが、福祉政策としてあったんだ、ということである。なんとかして、仕事がなくあぶれている日本中の人に仕事を与えなければならない。しかし、ただお金をあげるわけにはいかないので、たとえば、道路を何度も掘っては埋めてを繰り返してもらって、なんかやっているふうにさせて、お金をばらまく。
例えば、日本中の商店街が、大きなスーパーマーケットの新出によって、淘汰されていってますよね。ようするに、大きな資本をもっていれば、小規模なお店を木っ端微塵にたたき潰すなんて、赤子の手をひねるようなものなわけです。自由競争なんて、それだけ。極端な話、世界の、ほんの一部の支配者(まあ、極端に言えば、一人の社長)がいて、あとの世界中の人が、低賃金の労働者でその人から仕事をもらう、なんていうそんな世界だって今のまま進めば、いつか来るでしょう(天皇制主義者の歴史の終焉はここでしょう)。つまり、上記に書いた、商店街がスーパーに淘汰されていく運動という不安定な状態に終焉、安定がもし来るとしたら、そういう世界だろう、ということだが。資本主義、自由主義が、秩序を生成するというのは、こういうことですからね。そう考えると、自由経済というのは、ほんともろいバランスの上でやってるわけだ。
公共事業問題は難しいんでね。これくらいにしますが。
芸術ということでは、4つの特徴があると思うんですね。一つ目は、その技術的な面。特に伝統芸能では、まず、習得するということが、非常に技術的に高度ななにかを要求される場合があること。二つ目が、芸術が情報を不可分に含む。文学のようなものでなくても、そもそも、革新的な作品というのは、一つのメッセージですからね。三つ目が、芸術を生産する人も、基本的に消費者であるということ。四つ目が、その芸術がコミュニケーションツールとしてもあること。
こうやって考えてくると、芸術と読んでいるものというのは、あらゆる分野で機能しているように思いますね。これを人類にとって、心を豊かにする必須なものと考えるか、コストを上げているだけの無駄な作業とみるか。

アレックスは問題なのは作品だけではないと気づき、少し安心した。作品以外の外的要因も重要な役割を果たしているのである。エイドリアンの若々しさと端正な容姿は、美術界では異彩を放っていた。

たいていこんなもんでしょ。人気投票みたいなもので、会話のネタになりゃ、なんでもいいんだ。最近の日本の文学賞なんて、これだけじゃないかと言ってる人がいたようないなかったような。
例えば、この本の訳者あとがきで、以下のように言う。

この点、日本のアーティストはより苦境に立たされている。あるいは本書の主張のように、助成の少ない環境の方がそのハングリーさにおいてよりよいのか否かは、極めて興味深い問題である。しかし、実は少ないのは贈与の領域だけではなく、日本ではマーケットからの収入も極端に少ない。これは興味深い問題を通り超した悲痛な問題である。
そこで、日本での本書の訳出が期待する直接的効果は、芸術への贈与の増大であると同時にその有効な活用である。と同時に、芸術マーケットの活性化とその適切な拡大である。

日本が先進国になるということが、ヨーロッパのように、税金がやたら高くなり、芸術への公共投資がやたら増える方向に向かうことなのか。

金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか

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