東浩紀『リアルのゆくえ』

大塚英志との対談。ちなみに、東さんは、

文学界 2008年 10月号 [雑誌]

文学界 2008年 10月号 [雑誌]

において、グーグル・ストリート・ビューをひきあいにだして、この対談の後半が、まったく話がかみあっていないことの、いいわけをしている。
グーグル・ストリート・ビューは、公共的かどうか、だってさ。そんなのお前の、「公共的」の定義によるんじゃねーの。
上記の対談については、大塚さんの言いたいことは、それなりに、江藤淳に接近したこともあるということで、まあ、そんなに分からなくはない。
逆に、東さんも、それくらいのレベルで、大人の対応をしてりゃいいのに、まるで、なにか、対立や論争があるかのように、事大的な反応がウザい。
東さんの批評については、あまり印象がないんですね。ソルジェニーツィン試論というのがちょっとおもしろかったくらいで。デリダ論も自分があんまり、デリダに関心がないからなのか、まったく興味がなくてね。郵便的とか誤配とか、ようするに、デスノートの最後で、メロとニアが、事故的にライトに勝てた、みたいなレベルの話でしょ。
東さんは、デリダの延長で考えているということは、ハイデガーなんでしょうね。そういう延長から、テクノロジーなんでしょうか。
でも、早い話、東さんは、たんに、宮台さんのコピーでしょ。
前に、柄谷さんが、吉本隆明が、偽善的であるものの否定として、大衆と言ったときに、それを「露悪的」と言ったと思うけど、そういう意味で、宮台さんは、吉本隆明の延長で考えているという定義が正しいのかもしれない。
上の対談でも、東さんは非倫理的な発言を連発しますね。そして、それによって、なにか、学問的な革新的なことを言っているつもりになってるわけですね。でも、単純に、東さんは、こういう非倫理的な発言をする危険人物だと、社会的な烙印を押されて、社会的な信用を失うだけでしょ。これの極端な例が、宮台さんですよね。まあ、彼の場合は、自称「保守寄り」ということらしいですから、本望なんでしょう。
東さんはさかんに、経済は勉強してないので分からないとか言うけど、単純に、東さんのこだわってる、啓蒙の無力だとか、ポストモダンの不可知論だとか、そういうことは、マーケットの信用の問題で、いいんじゃないんでしょうか。たんに、信用を失くして、淘汰される、それだけじゃないんでしょうかね。
こういう、「ため」の偽善批判って、永井均ニーチェ論を思い出させますよね。学校哲学科の、優等生の、「正解」競争。勝手に、自称「正しい」やっててください。
宮台さんは、社会を、「システム」として、解釈して、システムなら、なんらかの手当てによる、コントロールが考えられる、そういう方向の、発想ですよね。ルーマンはもともと国家官僚のようですが、この人の、ベースは、そうなんでしょ。隠してさえ、いないでしょ。
東さんの掲題の対談で、ちょっと異様なのは、「自分は、なにか調べものをするときは、2CHをみる」、「責任感があるなら、2CHの発言に応答すべきじゃないか」、こういう発言ですね。
こういう匿名のツールを、真面目に相手にしてるという、これはなんなんだろう。ITの世界だって、フリーウェアといったって、実際、企業が使ってるのは、開発会社による、手厚いサポセンのある、そういうサービスでしょ。こういう、匿名と実名のあり方の違いとか、経済における信用の問題とか、こういった基本的な視点が、ごっそり抜けてないですかね。