上杉隆『ジャーナリズム崩壊』

videonews.com で紹介された本。著者は、日本の政治家の秘書をやっていた経験を生かして、ニューズウィークの記者をやっていて、現在は、フリーランスの記者だそうだ。
この本は、いわば、その著者が見た、「不思議の国のジャーナリズム」、というわけだ。
基本的には、記者クラブ制度の問題をとりあげている。
しかし、その内容は、かなり衝撃的なものだ。

国会で取材をしているとしばしば不思議な光景に出くわす。何人もの記者たちが円陣を組んで、額をつき合わせている光景だ。
ひとりの記者がメモを片手に何かコメントを囁いている。周囲の記者たちは、逐一、その語彙を確認しながら、ペンを走らせている。ライバルに対して塩を送るようなこの行為は「メモ合わせ」と呼ばれている。
政治家の声が小さくて言葉が聞き取れない時や、渦中の政治家が重要な発言をした時などによく見られる光景である。異なった会社の記者同士なのだが、その記録が正しいかどうか、お互いメモを見せ合う風習がこれだ。

ものすごくないか、この光景。むしろ、これのすごさは、これが当たり前であり、毎日のように行われていながら、この光景が新聞に記述されることはなく、まして、テレビで写され中継されたことなど一度もない、そのことなのだろう。
また、日本の新聞、テレビにおいて、クレジットがないことは、当たり前となっている。「一体、誰がそう主張しているのか」。なんだか分からないが、その会社の中から、モクモクと沸き出した、としか言えない、ってところでしょうか。
また、さらに驚くのが、情報ソースを示さない記事が実に多い、ことだ。また、「一部週刊誌によると」などという、人をばかにしたようなものも、多かったする。だから、だれがそれを言ってんだ、ってことでしょう。
さらに、衝撃的な記述が以下である。

毎日の首相のぶら下がり取材にも、やはりこの「歌舞伎ルール」は適用される。『週間ポスト(2008年4月11日号)』の特集、「巨大メディアと政治」では総理番記者のひとりがこう語っている。
「質問は各社持ち回りで、会見20分前に内容を打ち合わせます。その時に総理秘書官の一人が立ち会い、『その質問には総理は答えられないでしょう』などと助言する。総理がやってくるとまず秘書官と答えをすり合わせ、会見開始。質問して総理が2回はぐらかしたら、次の質問に移るのが慣例ですね。総理が『以上です』と言えば、皆で礼をしておしまいというのもお約束です』

ようするに、「ぶら下がり」は、完全なヤラセだということだ。この、内幕がテレビで写されたこともないでしょう。なんでこんな、ドラマ顔負けの総理大臣の演技を毎日、見させられないといけないんでしょうかね。あの安倍元首相のヘタクソな大根演技に好感さえ思えてきますね。いつまで、このアホらしい毎日みせつけられる定例会見を続けるんでしょうかね。
著者は、日本の新聞社、テレビ局は、報道機関ではなく、これは、「通信社」というべきカテゴリーにはいるものだろう、と言う。政府の半分、広報機関に足をつっこんでる、と考えるべきで、そもそも、ジャーナリストというカテゴリーに入れるべき集団ではないのだろう。
あるアメリカのジャーナリストが日本には、ジャーナリズムは、かろうじて、一部の週刊誌にしかない、というようなことを言っていたと書いていたけど、その認識は日本の人にどれだけあるか、なんですかね。

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

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