宮台真司『亜細亜主義の顛末に学べ』

この本は、宮台さんの、国家観を、比較的、まとまった形で、述べている、本だと思う。
著者は、まず、以下の一般論から、話を始める。

「愛国は必ずしもパトリオティズムの体をなさず」に触れれば、誰もが自分の記憶を構成する諸要素----共同体の風土----を守ろうとするパトリ志向を持ちます。しかしどの範囲をパトリと考えるかはいつも恣意的。

こういう(ハイデガーから通じる)保守派の一般論から、著者は、始めるのだが、どうも、宮台さんとしては、こと「国家」というカテゴリーだけは、なにか特別なもののようです。

むろん、弱者の梯子外し共同体の一種に過ぎない「ぷちナショナリズム」と、計算可能な国民益を増大させる営みにコミットする「近代的愛国心」とは、別物です。そもそも、「ぷちナショナリズム」的な脆弱さが治癒されない限り、国益計算なんて、とても無理です。
愛国心はこういう比喩で考えたらいい。「国家」とは大きな乗り物、いわばバスです。乗合バスというより長距離バス。バスには運転手と乗客が乗っている。運転手が統治権力、乗客たちは国民。バスには人々と一緒に「ヘリテージ」すなわち「相続財産」も積まれている。愛国心とはバスに乗せてきた乗客たちとヘリテージを守ろうとする思いです。
自分たちとヘリテージを守るために、乗客たちが運転手を選んで、バスを運転させている。ヘリテージを守れないなら、運転手はクビ。あるいはバスもお払い箱。乗客たちは国民。バスは国家機構。運転手は統治権力。ヘリテージは国民財産です。国民と国民財産を守るための手段が国家だというのが近代的愛国心です。

まず、著者の言う「国民財産」とは、なんなのか。著者は、国民財産の例として、「アメリ憲法ナショナリズム」を、まずあげます。憲法は、国民による、統治権力と統治機構への命令が書かれてある。だから、と。
著者は、さらに踏み込みます。

こうした憲法パトリオティズムには恐い部分もあるのですが、期待できる部分もあります。ところが戦後日本では、愛国心といっても、始祖の精神を含めたヘリテージのために国家転覆も辞さない志だというふうに理解する人は、三島由紀夫などを除いて、あまりいません。三島は、2.26事件を参照しつつ、愛国者たらんと欲すれば国家を転覆すべしと堂々と言っています。

著者は、ここに至って、国家財産の、具体的な内容を、「始祖の精神を含めたヘリテージ」と、断定するわけです。しかし、それは、なんなのでしょうか。
ここで、議論は、横道にそれる。

日本で今「教育基本法愛国心を盛り込め」などとほざく耄碌した爺さんたちの言う愛国心って何なんでしょう。「国体」への貢献でしょうか。「国体」と言えば、戦時中は「崇高な精神共同体」いわば「魂のふるさと」みたいな意味でした。しかし一億総玉砕の思想に見られるように、国民すべてが死に絶えても守られうるのが「国体」です。
果してそれはどんな精神共同体なのか。三島由紀夫はそれを必死に議論しようとしました。

「国体」とは、なんなのか。著者は、具体的な内容を言わないが、どうも上記の、「始祖の精神を含めたヘリテージ」と、関係している、と言いたいようです。
もっと言いましょう。著者は、愛国心とは、
国民すべてが死に絶えることになってでも守られねばならない「国体」
だと、言いたいようなのだ。
しかし、このことは、結論としては、以下の無難な表現で、落ち着いています。

愛国心とは、国民と国民財産を守るために、統治権力と統治機構をちゃんと操縦しようと頑張る志のことです。

一見、この結論は、普通の民主主義のように見えますが、上記の議論から、分かるように、「国民と国民財産」の定義をあいまいにすることによって提示されている、国家ロマンティシズムの一種なんですね。
さて、以降でも、さらに、彼の言葉のはしばしから、上記の分析を深めていくのですが、そもそも、「国家」とは、なんなんでしょうね。一体、いまだかつて、国家の定義に成功した人って、いるんでしょうか。
たとえば、著者は、この本で、次のように言います。

健忘症の日本人はアメリカが善意の国だとでも思っているのでしょうか。チョムスキーマイケル・ムーアを持ち出すまでもなく、アメリカこそ20世紀最大のテロ国家です。

なにが言いたいのでしょう。普通の人なら、悪意にみちた人と、友好関係も、安全保障の契約もありえないでしょう。だから、日本がアメリカとそういう関係であることを非難しているのでしょうか。どうも、そうではないようです。「日本がアメリカを善意の国だと思っている」ことが、著者には、不満なんです。
なんで、わたしが、こんな瑣末な部分にこだわるのか。なぜなら、上記の理屈を貫徹するなら、「日本は善意の国になっては「いけない」」と著者が言っていることと変わらないから、ですね。彼にとって、仁政はご法度なのです。
近代政治学は、マキャベリだと言う著者は、政治とは、「顕教密教」だと言います。顕教とは、私たちが、普通に政治システムと言っているものです。では、密教とは何か。普通の政治システムでは、社会が崩壊する可能性がある。だから、超法規的に、つまり、法律を無視して、この社会を保持するために、行動することが、「必要」であり是認されると言うのです。
ということは、どういうことか。この人の言うことは、まず、どちらの立場から言われているのかを、まず、見極めることが必要だ、ということです。顕教的には、一見、民主主義の徹底が必要だと言っているように見えようとも、密教的には、あらゆる無法を行うことを否定しない。一時期、小泉や竹中による、植草教授への攻撃が噂されましたが(結局どうなのかなんて知りませんが)、そもそも、そういうものを否定しない理論なんですね。
でも、よく考えれば、当然なのでしょう。彼にとって、あらゆる目的は、二つに収斂する。「始祖の精神を含めたヘリテージ」(この実体など、どうでもいいのです。これがあるとされるから、エリートが必要だとされるわけですから)と、自分の遺伝子の未来への伝承(生物学至上主義者でもあるんですね)。上記の意味での、国家が存続し、自分(と自分の子孫)の生命が残り続ければ、あとは、どうでもいいのです。そのためには、どんな悪辣な手段を使おうと、手練手管を使って、国民をけむにまいて、上記を実現しようとする。これが、ニーチェ主義だって言うんでしょう。
この本の後半では、著者は、自分が憲法改定論者であることを宣言します。憲法を変えないと宣言することは、ちゃんちゃら矛盾だ、と。しかし、そういう話でないことは著者だってわかっているわけですね。変えるということは、なぜ変えなければならないのか、があるわけでね。変わる、とは違うんです。
もちろん、この文脈では、アメリカの外圧を忍従してきた、今までの、日本を変え、アジア主義を目指すための、軍備拡張路線への転向への野心が書かれています。著者にとって、今の憲法は、こういう意味で、問題なわけだ。なんとかして、この方向を阻んでいる足枷を外したい。著者は、軍拡競争主義者なのだ。
ようするに、著者は、彼が考える、「始祖の精神を含めたヘリテージ」、つまり、国民に、この国のために、有無を言わせず、命を投げ出させることを可能にする、「国体」、を、なんとかして、憲法の中に、もぐりこませたいのだ(つまり、少くとも言えるのは、国民に自分の死と換えるに、値するものが国家にはある、のだと)。

憲法が平和主義だから、護憲であれば平和主義」といった思考停止的な左翼がたくさんいます。でも平和を守ることと人を死なせないこととは必ずしも両立しない。それが国際常識です。平和に貢献するために命を落とすのも厭わないのが、真の平和主義者です。
必要なのは、理不尽な戦争に加担しないために必要な道具や行動は何なんだろうかと戦略を考えることです。それを考えれば、九条護憲こそが、アメリカの理不尽な要求に翼賛して自衛隊員の命を際限なく危険に晒す行動につながることがわかるはずなんです。

ここで、「平和のための命を賭した戦い」が要求されます(まあ、ようするに、これこそが、彼の求めていた所なんですね。なんでもいいんです。一声かければ、死んでくれるように、なんとか、国民をマインド・コントロールしたい。そのための、憲法改正)。
しかし、例えば、警察官や消防隊員で、ときどき、殉職する人はいますが、それが、もし、事故的なものでないなら、だれが、警察官や消防隊員になろうとしますでしょうか。デフォルト「死」です、って、それ何?、でしょう。
あらゆる世の中の仕事が、死と隣り合わせなわけで(過労死なんて言葉もありますね)、そういうリスクの話なら、当然でしょう。
イラクアメリカ軍だって、国連のピース・キーピング・オペレーションだって、そうでしょう。そんな、危険にみちみちた、玉砕戦を、やってますか。やってないから、大国にとって、目の上のタンコブの、「無法者国家」も、そう簡単に滅ぼされない、わけでしょ。あくまで、警察行為の延長でしょう。それ以外ありえますでしょうか。
そりゃ、そのために、世界が、一部の、悪を思いついた集団によって、滅びるかもしれませんよ。しかし、もし、そういう悪に世界があふれるなら、そういう世界になるしかないのです。むしろ、そういう悪の中で、倫理的に生きるとはどういうことかを考えるしかないでしょう。孟子をもちだすまでもなく、人間を信じないのなら、あらゆる結論は同値なんです。
しかし、宮台さんの昔からの持論は、「人間が人を殺せる場所がある。戦争と死刑だ。ここでは、逆に、それをしないことが、罪になる」、ですからね。そういう意味では、ナチスの官僚、ずいぶんと「優秀」に、ユダヤ人を抹殺したもんですね。
「理不尽でない戦争には参加しよう、正義のために」。そういうタテマエで、日本は、さんざん、アジア侵略、やってたわけですね。
さらに著者は、今回の自衛隊イラク派兵を、「自衛隊を危険にさらす行為」であると批判する。ろくな武器ももてなくして、派兵とは何ごとだ。そもそも、この問題は、アメリカの理不尽な要求を断われない、日本とアメリカの関係に問題があるんだ、と。
そもそも、イラクは、アメリカの一方的な侵略戦争ですからね。相互防衛の意図もない。なんの協力の理屈もないでしょう、相互防衛の理屈からは。日本の民主党が言っていたように、ただ参加しなけりゃいいだけだったわけだ(次の選挙では、ここも問われますよね。ブッシュに賛成して、イラク侵略戦争自民党によって国民が、加担させられたことの責任)。アメリカだって、なんの理屈も立たないのに、なんも言えるはずもないでしょう(逆に、アメリカは、今、民主党の政権になり、派兵に賛成して強行した日本の自由民主党は正当性を失ったのだ)。
自衛隊が、シビリアン・コントロールによって、多大の被害を被るもしれない、という問題設定は、おもしろい。だとしたら、自衛隊は、自隊員を守るために、派兵反対を主張すべきだったのだ。逆に、派兵には何も言わず、携帯できる武器に制限されたことだけ文句を言うのは、逆の意図をかんぐりたくなる。
実際に自衛隊が行った場所、期間は、ほんの小さい規模だ(しかも、安全な穴にこもっていたらしい)そうですが、とにかく、戦中の帝国陸軍のように、自衛隊が加害者としてひどいことが起きなかったことだけは、僥倖だったと言える。むしろ、それほどの、復興的な活躍を(軍隊という立場から)行えなかったことこそ、本当の意味で真摯に考えなければならないことなのだ(そのことは、現場に行った、自衛隊員は嫌というほど、分かっていることでしょう)。
自衛隊とは、今までも、災害復興など、多くの結果を残してきている。ここには、今後のピース・オペレーティングの比重が、どういう所に移ろうとしているかを、よく示唆しているだろう(彼らをたんに疎外した立場に置いておくだけでは、なんの解決にもならない)。
だいたい、日本の軍事レベルは、世界一級品ってことじゃないですか、こと「防衛」ってことでいえば、ですけど。ひたすら、「守る」には、どうすればいいか、だけを、日々考えて、お金を、えんえんと、つぎこんでいる。「だから」、世界に、それなりに、認められているんでしょ。
また、今だに、アメリカは、世界第2位の、石油埋蔵量の国の石油の採掘権を、横取りして、居ついたままですよね。そもそも、こんな、義のない戦争に自ら参加したことを、恥じろよ。
「盟主のいないアジア主義」などとほざいていますが、これこそ、戦中に、言われていたことじゃないですか。そうやって、表では言っておいて(顕教)、陰では(密教)、完全な植民地主義だったわけでしょう。アジア主義って、さんざん、イギリスなどの金銭的な支援を受けて、日清、日露、を戦っておきながら、よくそういうタテマエを語れるよ。自覚ないんですかね。

各所で述べてきたように、アメリカという重石があったせいで、日本はドイツと違って、「何もかも悪うございました」と言う必要を免除され、いまだに「謝罪は必要ない」などとホザく阿呆が跋扈する現状です。これが「円共栄圏」の樹立を阻んだ原因なのです。
どうすれば良かったか。吉田茂のように50年の計を立て、まず、相手に理があろうがなかろうが、「徹底した謝罪と戦後補償」をした後、次に、日本が盟主となりうる可能性を徹底排除して、「円共栄圏のアーキテクチャ」とはっきり提案すればよかった。

まず、「徹底した謝罪と戦後補償」について言及していることは、重要ですね。この人も、分かってるんでしょう。
しかし、その他は、ケッサクだ。円?他のアジアの国が、円で行こうと言ってくれるってこと?しかも、大東亜共栄圏を思わせる、「共栄圏」などという言葉をもちだして?挑発してんですか。
「日本が盟主となりうる可能性を徹底排除」なんて、ありえない、から問題なんでしょ。戦中だって、それと同じようなことを言ってるわけだ。いっちょまえの学者が、こういうロマンティックな提案にもなっていないレベルの話で、お茶を濁すわけだ。

日朝交渉で北朝鮮は、政府高官の一部の発言を除き、強制連行問題を持ち出さなかった。強制連行についての北朝鮮や韓国の人たちの言い分を私は肯定しませんが、それは別にして、かつての韓国と違って北朝鮮が強制連行問題を持ち出さなかったのは賢い選択です。それをすれば拉致問題交渉が暗礁に乗り上げ、融和カードを切ったことにならないことが分かっているからです。

この人は、なにが言いたいのでしょうか。強制連行に反対であるようですが、だったら、こんな「一言コメント」じゃなく、ちゃんと論文を書いて、自分の立場をはっきりさたらどうですかね。
それにしても、上記のコメント、何を言ってるかわかります?なんで、強制連行をもちだすと、拉致問題が暗礁?両方、解決すりゃーいーじゃないですか。

亜細亜主義の顛末に学べ―宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス

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