ETV特集「作家・辺見庸・しのびよる破局のなかで」

辺見さんの著作の、私は、いい読者ではない。
辺見さんは、現代の、アキバ事件と、戦前の、夢野久作の、歌との並行性に、注目する。ここに、間違いなく、ある並行性がある。
日本が戦争にどんどんのめりこんでいったあの頃の雰囲気と、あまりに今が、似すぎているということなのだろう(この恐慌の並行性は、あまりにも、似すぎてて、もう、比較する言葉も浮ばないんですね)。
派遣社員とは、政府や企業が、最高裁に対する、一つの、宣戦布告であったと思うのです。企業は、最高裁による判例によって、社員を解雇できなくさせられている。企業と政府が、グルになっていることは、だれにも自明であろう。最高裁は、これに、竿差した。
しかし、これを、企業と政府は、どうしても、許せないのだ。なんとかして、最高裁の権力をコテンパンにするような、その最高裁の権力をまったく無力にさせる「権力」をふるいたい。どっちが権力者であるかをはっきりさせたい。
そしてやったのが、派遣社員。「別の意味の」社員、がいる、ってことにしやがった。こいつらは、言ってみれば、「社員」じゃない、ということなんだから、こいつらには「なにをやってもいいんだ」。
社員は、最高裁がいろいろうるせーから、人並みの扱いをしねーといけないみたいだな。でも、派遣社員はそーじゃねーだろ。どんなムシケラの対応をしてもいいんだ。だって、「社員」じゃねーんだから。
カミュの「ペスト」に注目してましたね。炯眼だと思う。
辺見さんが、中学生に話をしたときのことを話していた。
その中学は、殺人以外ならなんでもある中学と、教頭が言ったそうですけど、窓の外を向いて、机に足を乗せて、でも「聞いている」。
ある中学生は、こう聞くわけです。
「女を買ったことありますか」。
辺見さんは、嘘は言えないから、「ある」と言う。
その学校の多くの親は、生活保護を受けているし、母親は、そういう風俗に働いている人も多いでしょう。男たちも家に来るのでしょう。「だから」こういう質問をしたんですね。
この生徒は、ある種の、ぎりぎりのところで、こういう質問をしているわけです。子供たちは彼らなりの、「堕落」の周辺で、自分たちの「最後にしがみついていられそうなもの」を探そうとする。
どうして、真剣に答えずにいられるでしょうかね。
辺見さんは、あと、山谷で、なん十年も、たきだしをしている人の話をしていたが、へんな教育本をだすやつにかぎって、すぐに、絶望がどうしただの、矛盾がなんだとか、言いたがるんですね。
ほんと、世間の金もうけの盲者のみなさん。「教育本」という名のゴミクズを、多くのけなげにも必死に生きている日本社会の人々に、まきちらすのを、たのむから、「一刻も早く」、やめてもらえませんかね。
辺見さんは、脳溢血になってから、毎日、駅の階段を登るのだが、一年近くたっても、ほとんど、進歩がない、という。逆にそのことに、人間には進歩をしないことも、あるということを考えさせられる、という。