よく、「なぜ<いじめ>はなくならないか?」ということが話題になる。ネット記事でも、何度でも何度でも、まるで新しいニュースであるかのように書かれる。
もちろん、このことは実際に<いじめ>がなくならない、解決しないから繰り返されるわけだろう。しかし、ここで少し、立ち止まって考えてみたい。
こういう記事を書く連中は、たいてい
- 大卒
だw つまり、高学歴で今、人生に「成功」している。こういう連中に限って、「なぜ<いじめ>はなくならないか?」という話題を繰り返す。
そう聞くと、なんか変だな、と思わないだろうか?
つまり、なぜ「学校」は
- 学歴<差別>
を止めないのか、だw 学校は成績で、子どもを「序列」化して
を作り、成績の悪い子どもを<いじめ>る。すると、成績の悪い子どもは学校に行くと「体調を崩し」て、学校に行きたくなくなる。学校に行くと、<いじめ>られるんだから、行きたくなくなるのは当然だろうw 分かる? ここで<いじめ>るのは、自分と同じ年齢の「対等」な子どもだけじゃない。学校の先生から、それぞれの子どもの親たちや、そもそも、この
- 日本社会
そのものが、そういった成績の悪い子どもを<いじめ>る。つまり、この社会そのものが<いじめ>をしているのだ。この状況で、「なぜ<いじめ>はなくならないか?」と問うている、
- 大卒の「人生成功者」たち
の、なんと「能天気」な、プチブル小金持ちの子どもたちが、必死に大金持ちに「こびをふる」姿の必死っぷりよ。
こういった中で、一番の「悪」は、
- ペーパーテスト
だw これほどの「社会悪」はない。しかし、ね。今の日本社会のトップで「偉そう」にしている連中の
- 全員
が、この「ペーパーテスト」競争で勝ち上がってきた連中だから、彼ら自身がこの「ペーパーテスト」を否定するわけがないw なぜなら「これ」こそが、彼らの
だからだ。彼らは「これ」しかできない。そして、「これ」で世の中を黙らせてきたから、今、「偉そう」にしていられる。彼らからこれを取ったら、なにも残らないのだw
しかし、ね。
社会人になると、世の中ってそんなに単純じゃないよな、っていことが分かってくる。
私が最近やっている、今、ラブライブシリーズで唯一残ってるスマホゲームのリンクラで、少しおもしろい機能がある。蓮ノ空という高校のスクールアイドル部を舞台にしたストーリーだが、このスマホゲームのゲーム要素であるリンクラは、カードゲームとなっている。
そのカードの中で、以下の二つのカードがある:
- 藤島慈「約束の舞踏会」 ... スペシャルアピール:ステージ中、メンタルが回復した時、回復量の75%の個数のスキルハートを獲得
- 夕霧綴理「革命の舞踏会」 ... スペシャルアピール:ステージ中、ボルテージPt.を獲得する効果が発動した時、代わりに獲得するボルテージPt.の120%の個数のスキルハートを獲得
このゲームにおいて、ボルテージPt.とメンタルは「高ければ高いほど良い」ものと一般には解釈されている。というのは、このゲームにおいて、高得点をとるには、
- ボルテージPt.をできるだけ「早く」10にまで上げてしまう(10近くにならないと、通常攻撃は高得点にならない)
- メンタルが絶対に0にしない(0になると、一時的に操作不能になる)。つまり、ずっと高いままにしておく
が「セオリー」だからだ。しかし、上記の二つのカードは、この「セオリー」に反している。せっかく大きくしたボルテージPt.やメンタルを
- わざわざ
小さくして、繰り返し何度も高くしたり低くしたりを繰り返していると「高得点がもらえる」と言っているのだからw
なんていうかな。世の中ってこんなものだよね。つまりさ。学校社会の「ペーパーテスト」競争って、ほんと、性根の腐った駄々っ子を大量生産するだけなんだわ。まあ、当り前だけど、この人間社会って、
- あらゆること
が「チームプレー」だよねw つまり、自分の力だけで「ペーパーテスト」で誰かに勝ったとか負けたとか、関係ないんだわ。そういう、一人で勝手なことをやっている奴って、邪魔なだけで、使えないの。どこの会社に入っても、
- あらゆること
が「チームプレー」で、相手の仕事を相互に「チェック」して、人間なら必ず起きてしまう人為ミスを防ぐようになっている。
普通に考えたら、回りの勉強で悩んでいる友だちに勉強を教えて、他人の心配してばかりだったから東大に入れなかったけど、回りはそれぞれ行きたい進学路に進めた、みたいな人は尊敬できるけど、自分だけ東大に進んで、回りの仲間をシカトして、自分だけ教授になって、偉そうな本ばかり書いている連中の言うことをなんで聞かなきゃなんねえのかね。そもそも、
- 自分だけ
東大に入って平気な精神で生活していられるんだから、まあ、「そういった人たち」なんだよね...。