秦郁彦「「田母神俊雄=真贋論争」を決着する」

ごぞんじ、 西尾さんとの、対談。
まず、最初に書きたいんですけど、どうも、この「諸君!」という雑誌。微妙な、むにゃむにゃ、したものに、変わってきてるんですかね。
ナベツネの例の、爆弾、から、右は、まったく、総崩れ、ですね。
もちろん、彼らも、ある意味、「がんばっている」。そうなんだけど、一言で言うと、ちょっと、なんでこんなことしか言えないレベルの人たち、が、まるで、「だれからも尊敬されるような」、賢人、ででもあるかのように、いばって、いばりまくって、紙面を占領してるんでしょうかね。
そして、そういう小者に限って、「非国民」「売国奴」「天皇に対し傲岸不遜・慇懃無礼」。まあ、イセーがいいもんですね。わめく、わめく。
あー。ボクをブジョクしたー。ボクの悪口は許さないんだからー。
まあ、いいんですけど、もうちょっと、本格的な論客が、右にずっと、不在の状況が、延々と続いてきたってことなんでしょうね。
その状況が多少、変わってきたのが、佐藤優、あたりなのかな。
歴史学者の、秦さん、については、南京事件では、否定論者、なんだけど、それなりに、笠原さんなんかも、学問レベルの違いとして、一目置いている面はあった。
今回の対談も、そういう面で、おい、これが、両方とも、右、って、そーなの?っていう議論でしょ。

西尾 たとえば『現代史の争点』の中に「『泥棒にも三分の理』というが、(中略)私は満州事変に関するかぎり、日本には『一分の理』も乏しい、と私は考えている」なんていう記述があります。善悪の判定をしています。これは日本の歴史を愚弄しているとしか思えない。
それから、「日本にとっては大東亜地域の資源確保は何よりも優先した。軍票を乱発して資源を徴発し、労働力の提供を強制したので、占領地ではインフレが高進、現地住民の間では白人搾取のほうがまだました、という怨嗟の声が起きる」(秦郁彦『現代史の争点』)。これもひどいですね。秦さんの文章読んでるとね、だんだん腹が立ってくるんですよ(笑)。
秦 どこが違いますか。書いた通りでしょう(笑)。

いーですよ。日本の中国政策、朝鮮政策にも、一分の理があった。そーかもしれないってことでしょう。
しかし、「負けた」。
アメリカが、日本を、いじめたから、...。最初は、優しかったのになー。ソ連が、共産主義者を使って、...。共産主義。こわかったんだ...。
おい。ナチスと手打ちして、世界征服もくろんでた、あの勢いは、どーした。
まるで、いじめられっ子が、問詰められて、最後に、思い付く、スキだらけ言い訳、そのものじゃねーかよ(そーいえば、安倍元首相も、こんな、ぽっとでの、思い付き、いいわけ発言、連発してたな)。
西尾さんも、朝生では、イセーよかったけど、どーも、モノホンを前にて、勝手が違うみたいですね。
最後はいつもの、ニーチェ節で、今後の、日本のさらなる、国際社会の競争の激化、弱肉性の激化、その中で生き抜く強さの話でしたけど、別にそういう話まで、全否定するつもりはないんですけどね。まあ、とりあえず、あんまり、晩節を汚したくなかったら、もう一度、江戸研究あたりから、やり直されることをでも、お勧めでも、しておきましょうかね。

諸君 ! 2009年 04月号 [雑誌]

諸君 ! 2009年 04月号 [雑誌]