秋月龍みん『誤解された仏教』

著者は、日本の仏教は仏教では「ない」という。と言いますか、これも一つの仏教なんでしょうけど、著者が考える意味で、もともと、こういうものではなかった、と考える、ということだ。
ブッダが始めたと言われるこの、仏教は、そもそも、葬式、死者儀礼、とはなんの関係もない。逆に言えば、こういう葬式的なものを、ある意味、否定していると言えないこともない。
仏教が当時の土着の宗教の批判として現れたと考えるとき、仏教が、輪廻転生を認めるわけがない。
仏教は、無神論、であり、無霊魂論、だ。
では、仏教って何?となるのですが。
もちろん、仏教では、殺生を推奨することはありえない。だから、戦中の仏教界への反省を著者は、口にする。
では、ブッダの悟りとはなにか、となるのですが、著者は、ここでは、「無我の我」という言葉をあてる。ようするに、禅宗、なんですね。著者もその流派に属すようで。禅宗は、日本の仏教の中でも、一種、独特の発展をしてきた、とは言えるだろう。
鈴木大拙を師とする著者は、むしろ、仏教を、西田幾多郎を中心とした、京都学派を内に含んだものと考えるべき、だという。
著者の、かなりこみいった議論は、本書を読まれればいいと思うが、では、この差異を著者がどう考えているか、になる。
日本の仏教が仏教でないことは、このブログでも何度か書いている。当然である。あらゆる大衆運動は土着化する。死者儀礼は、東アジアにおいて、非常に重要な位置を占めてきた、民間習俗、であり、これそのものが、儒教そのものと言っていいくらいである。
仏教には、最初から、求められていた役割があった。では、その矛盾をどう整理すればいいのか。

前述のように、悟った釈尊の立場は「後有を受けず」で後生を否定する。輪廻転生を超えているはずだから、これはあくまで愚かな民衆相手の方便である。しかし、いきなり大学ではなく、小学校・中学校・高校をへて学ぶように釈尊もその四諦の法門を説く前に、ある人々にはさまざまな方便説を宣べられた、それを「次第説法」という。人を見て法を説く「対機説法」でなければ、生きた説法にはならないからだ。

まさに、スピノザですね。
この本そのものは、小冊子で、さまざまな話題が書かれている。最後に著者が、こういう世界に入っていくきっかけとなった話である。

最後に法事・先祖供養----戦後の食料不足の飢えの時代を考える。あのときは親子何人明日の糧をどうするのかということで精一杯だった。先祖の法事どころではなかった。しかし、あれは人間の生活ではなかった。動物のそれに近かった。先祖供養、結構である。中学一年のときに死んだ母は、今も私の中に生きている。霊魂はないが、死者の「想いが残る」と葉上照澄阿闍梨はいわれた。
愛妻の死が縁になって、比叡山で決死の回峰行にいどんだ文字どおりの高僧である。阿闍梨に「霊はあるのか」という一文がある。
岡山一中時代に恋をした。少女の彼女んいとってはお兄ちゃんであった。六高に入って彼女に対する思いが募り、寝ても覚めても彼女のことばかり、その思いを直接表現できぬうちに、彼女に許嫁がいると聞いて、失恋の苦しみを味わい、絶望のまま上京して、哲学の道に踏み込んだ。東京帝大卒業と同時に彼女のほうから「いままで待っていました」という手紙をもらい、結ばれた。そんないきさつで結婚したのに、十年あまりで妻は逝った。「さみしい」と病床で言い続け、観音さまに手を合わせることに安堵して、息を引き取った。職場の大正大学の学生たちが、三日間お経を読んでくれた。仏の真理によって死者は成仏できると思い到った。
千日回峰行に入った。戦後の混乱期の若い人たちのささやかな規範になればと考えたからであった。「生き葬式」といわれる苦行が続く。「死んでいる」という声を自分でも聞いた。すでに瞳孔は開いていたという。
阿闍梨は言う----

死ぬとどうなるのかというのは、だれにもわからない。私にだって実際のところはわからぬ。お釈迦さんもぎりぎりのところでごまかしているという人もいる。すべてなくなってしまうと考えるのもまちがい。ずうっと残るものがあると考えるのもまちがい。霊というものがあるのかないのか。無と言いながら有る。有ると言いながら無いという。心も肉体も空だから物心一如。しかし、ナッシングとは思えない。......比叡山では極楽は心の中に有るという。人間はみんな仏陀だと。......しかしそれにしても一体何が残るのだろうか。よくわからぬが、私は「想い」が残るとあえて言う。「想い」の「深さ」が残る。......「想い」によって女房から私はいろいろなものを与えられた。女房の死がなければ一生私は頭を丸める機会を持たなかっただろう(新潮45編集部『死ぬための生き方』新潮文庫、50--52ページ)。

誤解された仏教 (講談社学術文庫)

誤解された仏教 (講談社学術文庫)