いやあ。釈迦三尊像、に、救世観音像、に、玉虫逗子。すごかったですね。
救世観音像、については、
- 作者: 倉西裕子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2007/10
- メディア: 単行本
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を読んで少し知っていた。今回の内容は、その知見を、さらに進めるものと言えるだろう。
今回の調査で、今の法隆寺の、柱の年輪が、668年、だそうだ。当時は、木を切るのは、作る最後の段階だったそうで、それ以前に、建立の計画があったことになる。ということは、今の法隆寺は、いつ作られたのか。
つまり、天智天皇、である。
天智天皇は、蘇我馬子などを殺しクーデターを起こした、天皇である。白村江の戦いで敗れ、当時は、唐が日本を攻めてくると、本気で思っていた時代。
多くの豪族が、勢力争いをしていた時代、天智天皇などが、その豪族をまとめて唐と対抗しようとした戦略は、聖徳太子、という「カリスマ」による、仏教政治、だった。
聖徳太子、という、前世代のカリスマを、仏陀とのオーバーラップによって、各地の豪族を求心させていく、という戦略ですね。
聖徳太子が亡くなった後、勢力争いの果て、聖徳太子一族は、蘇我氏により、ここ法隆寺で滅ぼされる。まさに、聖徳太子こそ、その天智天皇のクーデターを「正当化」させうる、「キリスト」だった、というわけだ。
671年、天智天皇が亡くなる。そして、持統天皇は、この「聖徳太子」教を、この法隆寺を起点にして、本格的に展開していった。