イチロー革命

題名でもう、どういったことを書こうとしているかが、ばればれですね。書く前から、ちょっと、うんざりする。
イチローが、不振にあえいでいるようだ。イチロー得意の、左方向のあたりが、鋭く内野に入ってこなくて、ファアルになってる。
どうでもいいけど、このまえ、外出していて、ケータイで、ワンセグで見てた。意外と、ケータイのバッテリーもちますね。
通俗雑誌では、35歳、年齢限界説まで、とびっかってる。
しかし、イチローが今までに築いた成績を、理解している人にとっては、くだらない冗談だ。
彼は、この長いプロ野球の世界でも、前人未踏の荒野を一人行く、生きた「伝説」である。こんな偉大な選手は、今だかつて、「いない」。野球をリスペクトする人なら、それくらいは分かっている。
おそらく、今、メジャーリーグで、4割を打つ可能性がある選手が、もし、いるとするなら、それは、イチロー、だけだろう。
むしろ、それだけの選手が進んで、こうやって、一つこの日本のために集ってくれたこと、そのことだけで、感謝であろう。この短かい間、シーズン前のこの時期に、100%の力を出してくれ、という方が、どうかしている。今いい成績できている選手も、たまたまなことをよく分かっているわけだ。
イチローは、たんに、(唯一、王さんと比肩できるほどの)伝説の選手、というだけではない。
彼は、アメリカにおいて、「ベースボールを変えた」、とまで称される。
ドーピングによって、薬づけにされた、モンスター軍団が、はなばなしい花火をあげる、それがベースボールと思われていたMLBに、まったく違うスタイルを提示した。
彼の打つ打球は、まず、上に上がらない。ほとんどが、ライン・ドライブとなり、外野の前に落ちる。しかし、その彼のスイングは、現役選手の中でも、かなり速いレベルだろう。ぎりぎりまで、ひきつけて、見極めるあのスタイルは、常人には、なかなかまねできない(同じようなスタイルで、継続的に成功している選手もほとんどいないでしょう)。一人、未踏の荒野を行く。
彼が子供の頃から、独自に追求してきたバッティングスタイルが、こうやって、花開いたことは、誇らしいものだろう。
左打席で、右打席より、二歩くらいファーストに近い位置から、打つと同時に、スタートを切る。イチローのスタイルは、ぼてぼての当りも多いが、それらが、彼の俊足とあいまって、ほとんどヒットになる。
ファーストベースでくりひろげられる、そのスリリングなぎりぎりのところで決する、スピードは、多くの野球を知らない人をも興奮させる。
守備のうまさ、強肩もあるが、なんといっても、その打順である。一番という打順は、たんに非力なバッターの打順、ではない。一番がランナーに出ることによって、ピッチャーは、セットポジションを行わなければならない。また、彼が次の塁をうかがう動きをすることは、相手への最大限のプレッシャーであろう。そうやって、ランナーがたまっていけば、自然と、3、4番の、スラッガーたちと、勝負をせざるをえなくなる。そもそも、それだけの選手とまず、直面しなければならないというだけで、ピッチャーは憂鬱なものだ(そう言っておきながら、これだけ、マリナーズが、低迷を続けているのは、なんなんでしょうね)。
彼は、見るからに、屈強な大リーガーの中では、小柄である。腕も細い。しかし、そんな彼が、まったく違った存在感を残していることが、なにより重要なのだ。
子供の世界は残酷である。そもそも、早生まれなどがあり、一年近く、生まれてから差のある人を同じ学年とすることは、この小さな頃には、決定的である。
野球は複雑なスポーツである。しかしその複雑さは、そのルールの内部に生きると、それほど気にならなくなる。ゲームや、ルールというものが、本来、どういうものであるのかを学ぶ、かっこうの例だとも言える。
キューバには、民族球技で、そういう、棒で、ボールを打つものがあるんだそうですね。日本も、棒っきれをふりまわすことの歴史においては、負けちゃいない。
発育の遅い子供は、自分の小ささに悩み、卑屈になりやすい。しかし、それは違う。小さくてもやれるのだ。そんな子供たちにとってこそ、彼らの存在意義のためにこそ、この「イチロー革命」、が重要だということなのだろう。