川口雅昭「吉田松蔭名辞(その五十六)」

さて、吉田松蔭は、天皇絶対主義者、であったのであろうか。
もちろん、多くの人は、そういう側面の、松蔭を多く知悉している。なにしろ、彼は、30歳もなる前に亡くなってるわけでしょう。多くは、非常に若い、未成年の頃の見識なんですね。

確かに、弘化3年(1846)、十七歳の頃から「我れは天民なり」と述べ、また、安政6年(1859)春、「皇国に於ては宝祚素より無窮なれば、臣道も亦無窮なること深く思い留むべし。(中略)臣道いかにぞと問はば、天押日命のことだてに、「海行かば水つく屍、山行かば草むす屍、大君のへにこそ死なめ、のどには死なじ」、是れなん臣道ならん」と記しておられることなどをみれば、確かに再考の要はないように思える。

しかし、彼は、こんなことも言ってるんだそうです。

それは、安政6年4月の書中にある、「主上は春秋に富み給へば、5年の後如何あらんか。尤も其の時拙策でも御用ひならば成るかも知れず、此の度の手段では無益なり。誠に勿体なけれども、今上の御運も去る大晦日に尽きたと覚え申し候」とのそれである。先生は一歳年少の孝明天皇のことを、「主上は春秋に富み給へば」と、まるで子供扱いし、また、その「手段」を「無益なり」と否定して、「誠に勿体なけれども」と述べながらも、「今上の御運」は安政5年の「大晦日に尽きた」と断じておられる。

安政6年(1859)。もう死ぬ直前ですね。安政の大獄が、安政5年(1858)。井伊直弼桜田門外の変、で亡くなるのが、安政7年(1860)。孝明天皇が亡くなるのが、慶応2年(1866)。
どうなんでしょうね。松蔭を、天皇絶対主義者と言うことは、これこそ、遠近法的倒錯、でしょう。彼は、武士であり、長州藩の家に生まれたわけで、そこのベースは変わらないわけでしょう。そこから、いろいろ勉強して、日本に天皇という存在があることを「発見」したってわけだ。つまり、自分が奉行している長州藩の「上」に、どうも、天皇という存在があるようだ、と。であれば、その自分の奉行を、その天皇へ「延長」することは、「自然」だと考えた、ということでしょう。
あくまで、松蔭にとって、天皇は、藩での奉行の延長なんですね。奉行とは、命をかけて、主人に申し上げることこそ、本質なんですね。言うべきことを、言うから、彼らは、奉行していることになるし、(最初はけむたがられても、のちのち)主人に、(後悔とともに、)感謝されることになるわけです。言ってみれば、非常に、高度な「政治」なわけでしょう。当然、丸山眞男が評価するんです。
しかし、第二次大戦中の、ウルトラ、においては、天皇は、そんなレベルにとどまらないわけですね。それは、無知で野蛮な衆愚に、どんな行動をさせるのか、に重点が移る。彼ら百姓にどういう動きをさせるか、そのために、天皇をどういった存在として、あらしめることが集合知的に要求され、せり上がってくるか。
みんなが松蔭のような、上級武士のように、いちいち分別のあることを言い始めたら、キリスト教社会が成功しているような、信者を一つの方向に行動を向けさせるような、社会操作的な機能は、あきらめざるをえない。
天皇は「神」でなければならなかったのです。
そうだからこそ、第二次大戦の、ウルトラは、まさに、連合赤軍が、つるしあげという、大衆運動の極限的な形態まで、つき進んだように、あそこまでの、究極に行ったわけですね。
もちろん、戦中教育を受けた世代が、その部分の混乱を起こすのは、そういう立場なんですから、無理もないのかもしれません、ということでしょうか。
ここからは、最近の話ですが、ちょっと、最近の保守派の言動を考えてみたいのです。言わば、それを、第二次大戦ウルトラ天皇絶対主義、の立場で、ですけど。
私は、どうも、右の人たちの理論形成で、非常に、「ゆるい」といいますかね、機会原因論的といいますか、こういうものに直面するたびに、「なんだかなー」とつぶやきたい気持ちになるわけ、です。
なんで、「天皇なら、それが子供だろうが、それが発狂者だろうが、額を床に付け、死ねと言われれば、嬉々として、その前で、ハラキリしてやる」、とタンカをキらないんですかね。そう思っていると、なんか、ぬるーい、ことを言い始めるんですよね。
「あの天皇は、言ってること、オわってるでしょ?暗殺されて、当然でね?」
どーも、あんたは、ソートー、偉いみたいですね。ヤンゴトなき方の生殺与奪もアンタの与太話にかかってるみたいですね。
最近の、小林よしのり、にしても、天皇は、戦中から、神じゃなかった、って言うわけでしょ。日本の神のために、最も多くの時間を割いて、お祈りしてきてくれた一族(、にすぎない)、と。じゃあ、天皇が神じゃないとしたら、だれが神なんですかね。アンタが神だとでも言いたいんですかね。こんなこと言ってて、あんた、保守派として、これから、どうしていくつもりなんでしょうね。こんなの、転向左翼に毛のはえたレベルでしょう。
今の、ネット右翼、もそうなんですね。ようするに、彼らの言っていることって、外国人差別、でしょう。中国人、朝鮮人、差別。その延長で、売国奴、非国民、告発で、自国民の中にも、友敵を作っていこう、と。こんなのを、右翼、とはね。たんなる、衆愚、ポピュリズム、でしょ。
なんで、天皇を語らないの。
よく分かるでしょう。ようするに、「自称」国益主義者(、という、天皇を骨の髄まで利用し尽してでも、つかみ取りたい、「僕の幸せ」絶対主義者)、なんですね、ただの。
天皇絶対主義者、ではないわけです。
しかし、ですね。
あらゆる、原理主義は、ウルトラ化するのです。
なぜか。
それが、「論理主義」だから。論理とは、そういうものなのです。つまり、論理、こそ、本質的に、「暴力」、なんですね。論理、が、暴力、なのです。
極左が、徹底的に、個人にその原理に従うことを、四六時中強制するようなもの(プレッシャー)であるなら、極右も、そうなのです。
私たちは、まず、こういう、生っちょろい、理屈に、なんの矛盾も感じることのない、痴呆た奴らに、鉄杭を打ち込む。

月刊 日本 2009年 04月号 [雑誌]

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