浜田省吾「イメージの詩」

今週の、SPA、という雑誌で、福田和也は、忌野清志郎、より、吉田拓郎が、何倍もいい、というようなことを言っている。その意図は、吉田拓郎のつくった演歌などのものを、評価してのことで、あいかわらずの、どーでもいいような話だな、と。
ある程度、下の世代にとっては、吉田拓郎は、当時のカリスマでは、もうなかったわけで、そういう視点で見る必要もなくなっている、わけでね。
そもそも、忌野清志郎、と、吉田拓郎、並べて、論じようとする、福田さんの、なんなんでしょうね、世代の問題なのか知らないけど。
そんな、吉田拓郎のバックバンドをやっていたとプロフィールにある、浜田省吾さんが、けっこう前に、掲題の曲をカバーした、シングルを出した。カップリング曲が、「生まれたところを遠く離れて」でしたね(これも印象的ですね)。

たたかい続ける人の心を
誰もがわかってるなら
たたかい続ける人の心は
あんなには 燃えないだろう
(「イメージの詩」)

私たちは、だれもが、この世の中に、なんらかの、政治的意見をもっている。
しかし、その声は、あまりに、細く、小さく、無力。
あなたが、いくら、力の限り、叫ぼうと、だれも、耳を傾けてくれることはない。
私はよく、保守派の、トンデモを当然のように、トンデモ、と言うが、しかし、そういうことを言っている人にとっては、それは、切実なのである。むしろ、彼らにとっては、その自分たちの主張が、実現されないことが問題なのではないのである。まったく、聞く耳をもってもらえないことが、耐えられない、のであって、その反応のなさが、より彼らの主張を過激にする。
そういった自己主張の決着として、多くの場合、裁判、の場が重要になる。しかし、裁判が、「そういった」場所でないことは、多くの人に違和感を与える。
自分の主張とは、自分の重大だと思っている価値の闘争でもある。以前、柄谷さんの、アカー裁判を傍聴したエッセイを紹介したが、国会議事堂を占拠しようとそれは、「家宅侵入罪」であるし、ことほど左様に、裁判とは、「形式的」な場である。
このことを、むしろ、肯定しようというのが、柄谷さんのエッセイの趣旨ではあった。
自らの主張する価値が、だれにも、認められないということは、人を「孤独」にする。年齢を重ねて分かってくることは、だれも、自分を理解する人などいないことだ。結局、あらゆる人との会話、交流は、誤解、そのものである。なにも、伝わらない。分かってもらえることなど、死んでも「ない」のだ。
世界とは、「自分の世界」である、というのが、独我論の主張であった。つまり、世界などないのであって、あるのは、「自分の知覚」、でしかない。言ってみれば、それは、自分が生み出しているものでしかないわけだから、だったら、「世界は自分が作った」と言うのと変わらない。
世の中には、自分、しかいない、のだ。
これが、独我論的な、言わば、「結論」であった。一時期、永井均さんが、さかんに主張していた、わけだが、まー、くだらない、子供の理屈だよなー、と思うだろうが、永井均さんは、その世間の反応に先んじて、これを、子供のための哲学と、自称して紹介しやがったというわけだ。
こんなことを子供の頃、考えていて、でも、世間の大人たちは、そのことを少しも、不思議がっていないことが不思議で、と、この「子供の頃からの自称」天才、は、こういった、だれも反論できない、理論武装をして、大学の、哲学科の教授になった、というわけだ。
独我論は、たしかに、おもしろいと言えなくもないが、永井均さんは、ゴミ、そのものであろう。とくに、子供向け、に語っているつもりになって、自分を「子供の頃からの自称」天才、だと、「子供に」自慢していることの自覚もない。この、はしたなさは、哲学以前であろう(自称「天才(= バカ)」に言わせれば、それば哲学者のかざらない心の大きさなんでしょうけどね)。
この男は、ただの哲学「研究者」の立場で、大学教授になったにすぎないくせに、太鼓もちの、まわりを固める、永ラー、に太鼓をもたれすぎて、どうも自分を勘違いなさってしまったようである。
しかし、世界は「自分が生みだした」というこの、独我論的主張は、カントの純粋理性批判の、出発点(コペルニクス革命)であったのではないか(そういう意味ではこの、永井の主張は、ニーチェがそうであったように、カントがしいたレールの上で、だべっているにすぎないわけだ。つまり、カントがこういったレールをしいたから、こうやって永井は「安全」な場所から、かっこつけて言えているわけで、みっともない所作なんだと思うんですけどね)。そして、カントは、その「外」にいる、他者との関係を、実践理性、において語ったのではなかったか。
カントの独我論の出発点は、ヒュームと言われるが、柄谷さんのトランスクリティークでは、ヒュームは、そもそも、自我というものに、疑問をもった、となっている。
そうなのである。まず、自分が「一人」というモデルが、そもそも、あやしい、というわけである。自我が、どうして、「独裁制」となっていると考えなければならないのか。なぜ、自我が「民主制」をしいていないと考えたがるのか。私の心の中に、多くの自我が存在していて、なぜ、今自分に現れているのが、その中の一つにすぎないと考えていけないのか。
私は狂っているのだろうか。しかし、そんなことは、自分に分かるのだろうか。この、ひたすら内省に沈み、熟考を繰り返しているとき、どう考えても、自分は、普通じゃない、いや、自分を普通であると証明できず、いらだち続ける、ひたすら繰り返すこの無意味な思考。しかし、ひとたび、他人と、会い、たあいのない世間話を、だべっているとき、そういえば、さっきまでの、あの、狂った病気のように考えこんでいた自分はなんだったのだろうというように、見事なまでに、「健康」になる。しかし、また、一人になれば、それを繰り返す、というわけである。
最近も、どこかのファッション・デザイナーが、ミス・ユニバースの、日本代表だかに、「常識的な世間の着物の着方」を革命させる、と、どう見ても、我々には、下半身、まる出し、で着物の前をさらしているにしか見えない、かっこうで、モデル・ウォーク、をさせていたが(あれは、パンティ、じゃないんだと。勝手に言ってろ)、そもそも、その自称、ファッション・デザイナーは、日本において、着物がどのように着られて来たのかを知らないわけである。その自分の無知さ加減を棚に上げて、これを「芸術」だと強弁してみせるわけだが、しかし、それは、そう主張している当人にとっては、切実なわけである。本気で、革命的な芸術を、まさに確信犯として目指していたのかもしれない。
常に、革命は、孤独なのだろう。