村井紀『反折口信夫論』

前回は、折口信夫、を天才とまつりあげましたが(礼賛したそばから、こうやって、批判本を紹介できることが、うれしいですね。科学? 昨日言った真実なんて、今、この場で、全部、焼き捨ててやるよ)、掲題の著者は、まえがきで、以下のように言う。

冒頭に述べたように、私はできるだけ折口を「天才」と祭り上げずに、歴史的に位置づけしなおし、折口の生きた時代にもどそうとしている。諸家は、彼をめぐる諸説話のためにあまりにも転倒したまなざしを彼に投げかけているように思われるからだ。

当然、前回紹介した、あの本も、彼によって、徹底的に批判されるべき、折口礼賛本の一つなのだろう。私のその紹介記事も、その、後陣を拝してしまったわけですかね。
たとえば、折口信夫、全集に掲載されている、彼の詩。戦中のものでは、かなり、書き変えられている、という。その経緯はよく分からないが、戦後、GHQ から、さまざまな検閲があって、日本のさまざまな戦中の文献には、そういった、改編が、実は多くされている。
こうやって、戦後、もう、50年以上、半世紀以上、たって、やっと、そういった「敗戦国」を自覚させるものってあるものだ。実は、先進国の中で、極端に、出生率の低い国と、第二次世界大戦の枢軸国(ドイツ、日本、イタリア)、というのは、ぴったり合うのだそうだ。こういった国で、産めよ増やせよ、を口走ったら、戦前回帰と非難の嵐が待っている。ところが、連合国側は、逆で、産めよ増やせよ、しなかったら、また、戦前のように、やられてしまう、で、逆に、この合図が、かまびすしい。
いいかげん、戦後レジームからの脱却なんていう、どっかで聞いたことのあるようなフレーズすら、言いたくなるような話ですね。
折口信夫、の「きわどさ」については、自明と言っていい。著者は、山田孝雄などの国学よりも、自分の方が、篤胤学を継承していると言ったことを、ずいぶんな思い付きだと言うが、いずれにしろ、こんなことを言っている時点で、かなり「トンデモ」なことはわかる。
戦争前というのは、さかんに、英雄譚、のようなものが、人々の口にのぼるものだ。第一次世界大戦前において、クリスマスまでには帰ろう、を合言葉に、国民をあげて、熱狂した、イギリスは、考えてみれば、ずいぶんと長い間、戦争と、ごぶさた、であった。それだけに、そういった、英雄譚、は、まさにまぶしいまでの、輝きを発して、自分たちに、その、英雄になる、出番がまわってきたと、空想したのだろう。しかし、結果は、あの、どろの中、いつまでも、無意味に続く、塹壕戦、だったわけだが。これは、日本においては、明治からずっと、自国内、近隣で、と、いざこざは続いていたわけで、詩吟、に始まり、多くの、詩、軍歌、がつくられた。最近の、アニメや、ヒロイックファンタジーのようなものを見ていると、どこか、こういったものの、再現のようにも、思えるものも多かったりする。つまり、あまり露骨に、当時を再現すると、うるさいから、ファンタジーやアニメの非現実を借りるわけで、単純にこういった「嘘」を無視しても始まらない、ということなんでしょう。
別に、自分たちの起源なんて、だいそれたことを言わなくても、ちょっと、高校の日本史の教科書をみてみれば、書いてあるのは、いつ「戦争」があったか、そればかりである。まるで、日本人は、誕生したその時から、みんなで、戦争、ばかりやりながら、生きてきたみたいで、戦争の話しか書いてない。思えば、こういう国民なんだなーと思ってもいいけど、もちろん、これは「英雄」の話である。庶民は、ずっと、畑をたがやし、海で魚をとり、生きてきた。「英雄」は、いさましく、人を殺して、自分を人に殺させて、生きていかなければならない。なんとしても、自分を、はげまさなればならない。そのためには、どれほど多くの、「呪文」が必要であろう。「詩」とは、戦士、のものだったのだ。
しかし、そんなことは、著者も分かっているわけである。むしろ、著者が、ここで告発しているのは、「抵抗の人」だとか、戦中も彼は平和主義者だった、みたいなエピソードだとか、そういう、日本中が、もろてをあげて、彼を「聖人」化しようとする、その雰囲気に、違和感を発している、それにつきるわけである。
特に、戦争末期について言わせてもらうが、私たちは、あの、戦中の、国家総動員体制、をなめてはいけない。まさに、グラムシが言うように、あらゆる、すみずみまで、その国家イデオロギー装置は、機能する。慶応大学や国学院大学、のしかも、こういった、日本文化の、教授ですよ。そんな人が、戦中、「平和主義者」、はっ、なにをそんなありえないことをおっしゃいます、オジョーチャン。それが、彼の弱さから来る抵抗? 自分の体験を重ねすぎなんじゃないですかね。なぜ、彼は、戦中でありながら、あれだけの、「抵抗」エピソードがあるのか。当然、それだけの、国家の中枢にいたから、でしょう。だから、ある意味、好き勝手なことを、多少口走ろうと、目をつむってもらえた。しかし、そもそも、それなりの前提を共有してなきゃ、そんな立場にさえ、いられないんですからね。
あの戦争。
なんていう表現を使うが、お隣、韓国、もそうだし、世界中、戦中、の戦争責任の糾弾を行ってきた。北朝鮮のように、その過程で、親日的だった人がほとんど粛清された国まである。しかし、日本は、GHQの戦略もあったが、多くの資料が廃棄され、改竄され、戦中の跡形も残さない形で、すべての、「汚れ」「ケガレ」は人前にふれないところに、隠されて、戦後が始まった。
残ったのは、血で自分を汚した、戦士たち。そんな彼らを、感謝と共に見送った、私たち。言葉は、すべて、捨てちゃいましたけど、ね。体は、どうも残るらしいです。
でも、彼の本心は、そこじゃなかったんだ。そうでしょうね。人間は、矛盾の生き物ですからね。どうも、矛盾した行動をとるってことになるんですかね。どっちにしても、それぞれに意味はあるってことなのでしょう。
例えば、著者は、こんなふうに言う。

そして、この男はあまつさえ、

国びとの思ひし神は、大空を行く飛行機と おほく違はず
信薄き人に向ひて 恥ぢずゐむ。敗れても 神はなほ まつるべき
(「神やぶれたまふ」所収)

と敗戦を国民の信仰不足のように、結局は国民の責任になすりつけたのである。ここに、例の「国体」にしがみつき、戦禍を拡大させ、多くの犠牲を強いた戦時リーダーの典型はいるとしても、また戦後なおこの「無責任の体系」(丸山眞男)にすがりつく、醜悪な老人の繰り言はあるとしても、それ以上のものはない。この男はこのような詩歌に託して「一億総懺悔」に同調し、実は多くの犠牲者を、養子春洋や学生を戦場に送った責任から逃れ続けたのである。

たしかにそうなのでしょう。日本の文化系の学者は、ほぼ、そうでしょう。そこに、上記にあるような、ギャップがきわだつわけなんですね。折口信夫のような、こういった、創作活動、学術活動が、どれだけの成果だったのか、は、別の話として、上記のような面は、整理していかないとと思うのだが、どうも、こういう話題は、タブーのようですね(責任論は、終わらないですからね)。やはり、とりまきの弟子たちは、あらゆる手段を使ってでも、師匠を擁護するのでしょうか。特に、戦後すぐからの当分は、かなり、ピリピリしたものが、さまざまな所であったのでしょうね。
しかし、スピノザ、じゃないけど、事実を直視する、そっからじゃないと、なんにも、始まんないんでしょうね。「動かない」んです。どうせ、また、ここに戻ってくるんですね。

反折口信夫論

反折口信夫論