ある空想

私は、前の記事を書いた後、ある、インスピレーションのような突飛な考えが思い浮んだ。
それは、冉蘭先生、が、勉強をがんばった、ある男の子に、鉛筆削り、を、あげた場面を思い出してであった。
その子は、次の日、それを失くすのだが、あるクラスの女の子が、それと同じものをもっている。クラスの全員は、彼女が盗んだんだ、と、正義感でいっぱいになって、彼女を非難するが、彼女はこれは自分のものだ、と主張する。最終的には、冉蘭先生は、彼女と話し合って、彼女はみんなにあやまり、先生はみんなが最初から盗んだと非難したから、彼女も拾ったものを返そうとしていたと言う機会がなかったんだ、と彼女を責めることをいさめて、だんだんと元のクラスに戻っていく。
わたしは、そのスリリングな場面を、食い入るように、見ていた。
この、とても若く美しい、冉蘭先生。
彼女には、私たちが昔から、あこがれてきた、中国の人徳をもった、高貴な人格を感じさせるものがあった。
すばらしいではないか、中国。
だから、中国はいつまでも、日本にとって、多くのことを学ばせられる、はるかなる「大地」なのだ。
ようするに、世界中の「子供たち」に、文房具、をあげたらよくね? しかし、それは、「はんぱねー」方がいいね。
ネットブック、のような、それなりに、スペック、がある方がいーね(その方が勉強にも使えるし)。Skype で、電話もしたいね(さみしくなったら、出稼ぎのパパママに、すぐその場で電話だー)。ホットスポットを、世界中の「僻地」に作っちゃいましょー。WLAN 使って、世界中に「繋って」もらいましょーよ。
最近は、やっと、日本の人たちも、大規模電力発電で電気をおこしたのはいいけど、「はるかアルプス山脈を越えて」その電気は、関東に運ばれてるのよね。いったい、どれだけ、「逓減」したらすむのよ。
まったく、無駄。
みんな、家庭で、自家発電すりゃーいいのよ。必要な分だけ作って、その場で使い切る。みんなそーやって、薪を燃やして、人間は生きてきたんじゃありませんでした? 日本の電力発電所が、上記のような、大規模発電、長距離送電をやめて、現場必要分発電、の普及に尽力するだけで、あっという間に、CO2の25%削減なんて、達成しちゃうって話もありますよね。
世界中の僻地ほど、そういう自然のエネルギーに「満ちてる」じゃないですか。パソコンくらい、簡単に動きそうですね。
こんな高価なもの、無理だーって、よっゆっ! 得意の大量生産で、コピペコピペだー!
あとは、今使われてる、レアメタル、とかが問題だけど、それ位、多少スペックを落とすことになっても、優秀な技術者は世界中にいるんですから、なんとかしてくれますよ。
日本の民主党は、これくらい、大きいことを言ってほしいんだよねー。中国共産党に、呼び掛けてみたらどうでしょうか。彼らは、なんてったって、共産党なんですから、人民「一人一人」に当然のように、それをやりたいと思うんじゃないですかね。
こうやって、子供たちが、コンピュータの計算能力、アルゴリズム、ネットによる世界的通信網、こういったものに目覚めていったとき、田舎、であること、都会、でないことは、ある意味逆転しないだろうか。彼らに、田舎であることの、誇りを回復させられるのではないだろうか。
ちょっと、考えてみただけですよ(うわっ。自分で書いてて、昔読んだ、『テレヴィジョン・シティ』を思い出した。でも、最近は、携帯電話は、世界中で普通になってきてるし、ただ、そういうものが、最も必要なはずの、子どもたちが持ってないだけなんですよね。そんな時代、それに近い未来が近いうちに来ると信じて!)。