C・ダグラス・スミス『ガンジーの危険な平和憲法案』

ガンジーほど、あの、第二次世界大戦、を生き抜いた人の中で、変な、人はいない。もしかしたら、彼だけは、あまりにも、生きる時代が早すぎた人だったのかもしれない。
私たちは、第二次世界大戦、の経緯をみているとき、あれっ、と思うことがある。
それは、これが、本当に、「世界」大戦、だったんだな、ということなんですね。
ガンジーは、アパルトヘイト、に反対するため、アフリカ、に行く。これは、第二次世界大戦? もちろん、そうであろう。
私たちは、植民地、と聞くと、なにか、日本人の満州移住、くらいのイメージしかない。
しかし、インドは、その「はるか昔」から、イギリスの、植民地であった。この、あまりにも長い間の、イギリスとインドとの関係とは、どのようなものであったのだろう。日本人には、どうしても、その感覚が分からない。
第二次世界大戦中、インドは、ガンジーを中心とした、国民会議によって、あの有名な、非暴力闘争を、イギリス帝国に対して、続けていた。実は、そのとき、インド内にも、別の動きもあった。

スバス・チャンドラ・ボーズは、独立には軍事力が必要不可欠だと主張して、国民会議から脱退した。そして、インド国民軍を日本の協力でインド国外で結成し、日本軍と一緒に東側からインドを「侵略」した。これでインドの独立が決定したという説がある。しかし、忘れてはならないのは、チャンドラ・ボーズはインド極東のマニプールでイギリス軍に敗れた、ということだ。

このように、イギリスは、圧倒的な武力をもっていたし、アーミーの実力は、やはり強力であった。しかしながら、なんと、この、ガンジー非暴力「軍」が、イギリス軍に、「勝利」するという形で、この、第二次世界大戦、は終わる。
はたして、インドは、「枢軸国」なんですかね、「連合国」なんですかね。
ガンジーは、その後、インドの「英雄」となり、通貨の顔など、あらゆるところで、インドの人々の、崇敬の的となる。

植民地から独立し新国家になった国とそのリーダーの名前を思いつくまま列挙すると、トルコのムスタファ・ケマル(アタテュルク)、エジプトのガマール・アブゥン = ナセル、ビルマのウー・ヌー、セネガルのレオポール・セダール・センゴール、インドネシアスカルノケニアのジョモ・ケンヤッタ、ガーナのクワーメ・エンクルマ、朝鮮民主主義人民共和国金日成ベトナムホー・チ・ミンキューバカストロ、などが挙げられる。植民地からの独立ではないが、国家の再建設の場合を含めて考えると、ソ連のヴラジミール・レーニンユーゴスラヴィアのヨシプ・ブロッツ・チトー、中国の毛沢東などという人の名前も浮かんでくる。
そしてインドの場合は、もちろんモハンダス・ガンジーだ。

しかし、こうやって並べてみると、あまりに、ガンジーは異質ですね。
彼の、あの非暴力戦略は、一体、どこから来たものだったのであろうか。
例えば、戦争、における、人殺し、が、どういった「理由」で一般に、正当化されているのか、こういった視点で考えることは興味深い。

正義の戦争がなぜ「正義」なのか。それについてはいろいろな説があり、その中でゲーム理論的な説明がある。つまり、戦争とは、きわめて厳しいルールに則ったスポーのようなものだ、という考えだ。たとえば、ボクシング選手が、街中でやればすぐ逮捕されるようなことをリングの中では許されるのはなぜだろうか。それは、もう一人のボクサーも同じゲームに参加していて、同じルールを認めていて、そして同じように殴ろうとしているからだ。つまり両方のボクサーは、ボクシングの危険性を(怪我をしたり、死んだりすることも含めて)認めた上で試合をしていることになっている。したがって、ノックアウトされたボクサーにも、殺された兵士にも、文句がないのだ。なぜなら、自分がやられたことは相手にやろうとしたことと同じだからだ。この論理が通じるかどうかはともかくとして、正戦論の中にも、国際法の中にも、そして兵士の良心の中にも、こういう形で存在している。

上記にあるようなことは、だれもが知っているように、ある意味で、「嘘」である。暴力に「挫折」するから、交換、つまり、経済を始める、というのが正しい。もちろん、だからと言って、彼らのプライド、矜持が嘘だと言っているわけではない。よく言われるように、その戦争に参加した人たちだから、敵味方関係なく、共感されるような認識の到達点があったりもする。彼らは、だからこそ、最初から最後まで、「真面目」なのである。その事実から、逃げなかった、それだけなのだ。
しかし、著者は言う。逆のことが言えるのではないか。もし彼らが、あるルールの上で、暴力的であることに、フェアネス、つまり、言い訳を考えているなら、その彼らの土俵にのらなければいい、のではないか。

サティヤグラハ、つまりガンジーが勧めた非暴力運動は、このゲームを台無しにする。サティヤグラヒー(非暴力の運動家)が相手を殺す「権利」を放棄することによって、相手の人を殺す「権利」も奪われることになる。

しかし、大事なことはこういう表面的な、真理、ではない。むしろ、この「認識」が、どこからやってきたのか、が重要なのである。
ガンジーは、その半生の多くの時間を、イギリスでの「弁護士」として、生きている。彼は、むしろ、徹底して、イギリスの「法律」から、彼の結論を導いた。オブリス・ノブリージュ、を胸にきざむ、イギリス人には、憲法はない。多くの、慣習法があるだけである。しかし、その法律は、どのように、作成されてきたのか。どんなことが書いてあるのか。国王や、貴族たちの、独裁権力からの、商人たちの、権利拡張を求めて始まった、彼らの無血革命。その理念から、この、インドの現状をみたとき、どう説明できるか。ガンジーは、イギリス人に、お前たちの、「自然法」から考えて、この、インド植民地は、「間違っている」と、ぶつける。イギリス人自身が自分たちの起源として、よって立っている、ポリシーと矛盾しているじゃないか、と告発したわけだ。
イギリス人にとっては、日本軍のように、たんに、暴力で、向かってきてくれた方が、御しやすったのだ。なぜなら、それなら、自分に正義がありますからね。
ガンジーは、たんに、非暴力を言ったのではない、ということなのだ。ちゃんと、「人を見て」、言っている。
ガンジーは、完全に相手の足元を見て、イギリスは、インドの、植民地、を続けられるはずがない、と見すかしているわけです。
じゃあ、この日本が、重武装、をするとしましょう。完全な、侵略型兵器を、もたなきゃいけねーんだ、としましょう。一体、どこの国が、日本に攻めくるんですか。北朝鮮でしょうか。しかし、北朝鮮とは、どういった成り立ちの国であったか。まさか、「侵略」という悪行為をなした、日本に対して、同じ悪行為をやり返したとして、そんな北朝鮮がどうやったら、それが、自国の建国の正義の正当性、につながるんでしょうね。こんなことが当然なら、とっくに、北朝鮮は、日本を攻めてるんじゃないですかね(むしろ、近年の、自民党政権の、完全に援助をストップして、どんなに国民が求めても、一歩たりとも、拉致問題を意地でも進展「させようとしない」国策。他方で、家族と会談するときは、涙ポロポロの、同情パフォーマンス。こんな、彼らの、北朝鮮政策は、かの国の政権を、なんとかして、「転覆」させようという、戦中から続く、朝鮮への圧力、「恫喝政策」の延長を感じなくもなかったわけだが...)。
もっと言いましょう。なぜ、中国や、ロシアは、戦後、一貫して、日本を攻めないか。もちろん、日本には、たいした天然資源もなく(海底にはあると言われていますが、海底続き、ですからね)、たいした、うまみを感じなかった、というのもありますが、そんなこと以上に、日本が「戦争を放棄」しているから、でしょう。こんな国の国民を、かたっぱしから殺したとして、その後、どうやって、自分の国は「正義の国」だって、自慢するわけ。逆もそうなんですね。彼らも、必要以上の、重武装ができなくなるわけです。そもそも、相手が、こんな残虐なだけの武器を、重武装してみたところで、相手がそれだけの抵抗を放棄しているって分かってる相手のために、使えるわけないんじゃね? 使えるみこみなんてないとしたら、宝のもちぐされどころか、こんな高い買い物して、経済戦争に不利で邪魔なだけ、でしかないわけだ。
私は、最近の、北朝鮮を中心とした、六ヶ国協議のニュースをみていると、まるで、日露戦争前夜のような、光景に思えてくることがあります。各国が、朝鮮半島をめぐって、勢力争いをしている。ただ、明らかに、ここで、まったく「違っている」ことがあります。それは、日本が、「戦争を放棄」していることです。あの当時と同じように、この地域は、このように、緊張関係がみなぎっているが、あきらかに、日本のこの態度によって、暴力のエスカレーションのポテンシャルは、一貫して、低い、ということだけが「まったく違う」。「あの戦争」の反省から始まった、この東アジアのパワーポリティクスは、もし、ひとたび、この地域で、侵略的な暴力をふるえば、「あの戦争」の日本扱いされるのが、おちとなるだろう。第二次世界大戦の、反省から始まった、この世界秩序は、もしひとたび、「あの戦争」の復活をもくろむ勢力の台頭が始まれば、なりふりかまわず、「現状回復」に世界中がとりくむ、ことになるであろう。そんなリスクを冒そうとするまでに、戦後の世界の指導者たちは、無謀な「賭け」が好きではないようだ。
いずれにしろ、このアジアの戦後のこの地域が、比較的、軍備拡張競争がエスカレートをしていくことが抑えられてきたのは、ひとえに、この日本の平和憲法にあったことは、間違いない。現代の中国、韓国、の、世界中での、経済的大発展を実現させたものこそ、この「平和憲法」だった、と言ってもいいのだ。
北朝鮮のパフォーマンスがなぜ、アメリカ向け一辺倒なのかも同じ理由ですね。日本が「攻めてくることはない」からなんです。彼らは、その面では、「日本を信用している」んです。あとは、日本が彼らに、経済援助をしたいと思うかどうか、だけなんですけどね。そういう、歴史的な使命があると思うんですけどね...)。
まさに、カントの言う、永遠平和、を思わせるわけですね。カントの言う自然の弁証法は、ヘーゲルにより、より洗練され、マルクスに受け継がれる。わたしたちは、たんに、空疎な思考実験に生きているわけではない。イギリスのその国民が誇りとする、無血革命の国家理念、が、最終的に、世界中の植民地解放、民族自決を実現したのだし(つまり、ガンジーはこういう結果を予言していたということだ)、日本の平和憲法が、東アジアのこの半世紀におよぶ「平和」をもたらす。たとえ一見、空疎で夢物語のような絵空事に見えようと、みんなが忘れたと思おうと、こういった理念は、フロイトが言ったように、長い時間をかけて、じわじわと人々にしみこんでいく。
さらに言いましょう。なんで、日本の、赤紙でひっぱられて行った兵隊さんは、国のために尽したんでしょうか。それは、自分の家族や友人や、村の人たちに、がんばってくれと見送られたから、でしょう。その人たちの期待にこたえたかったから、でしょう。家族を守りたかっただけでしょう。そんな兵隊さんを、見送った、奥さんだって、彼は「自分や子供」を守って戦ってくれている、って、そう思えたから、生きる意味を感じられたのでしょう。
「国なんて、最初から、なんの関係もないじゃないですか」。
ようするに、ガンジーはよく分かっていたんですね。インドは、イギリスにどうやって向きあうべきであるか。それは、実に、マルクスと似た戦略、つまり、ボイコットなんですね。非暴力以前に彼は、「非協力」と言ったわけです。前者は、その帰結の一つにすぎない。イギリスが、欲しがる、植民地商品を売らず、彼らが欲しいだろ、と目の前にぶらさげる、ニンジンを、無視して、徹底して、イギリス製品を買わない。彼らが、押し付ける法律に従わない。彼らが、まるで、目の前にいないかのようにふるまう、それしかないんです。もともと、自国の慣習法が教える、無血革命の精神を忘れて、不当に、この国に居座っている連中なんですから、いったん、母国にお帰りになってから、しこたま、反省して、それでも、なにか言うことがあるなら、礼儀を尽して、出直せって、話でしょう。
ですから、日本の方向も、一つしかないんですね。問題は、重武装か、軽武装か、じゃないんです。自衛兵器か、侵略兵器か、なんです。武装化をするなら、徹底して「自衛」のためのもの、しか持たない。それがどんなに、空疎な、万里の長城、であろうと、いーじゃないですか、公共事業にはなって、国民の懐にはなんか入ります。どんなにちゃっちーものでも、こちらの侵略の意志を認めさせられ、相手に暴力の正当性を与える、侵略兵器よりは、ずっと、「安全」というレベルですけどね。
さて、ガンジーは、完全非武装の、憲法案をもっていましたが、インドの国民は、それを完全に無視したどころか、彼を、「暗殺」させ、重武装憲法をつくります。もちろん、最初から、その仮想敵は、パキスタンでした。戦後の世界は、朝鮮半島もそうですが、抵抗から、独立を勝ち取った国においてこそ、内戦という、戦争状態が続くことになった。敗戦国を、戦場にできなかった分だけ、そういった所に、しわよせ、が行ったということなのでしょうか。
インドというこの国の、このアポリアは、インド人自身が、もう一度、向き合うものですが、おもしろいのは、そのガンジー憲法案の内容の方なんですね。書いてあるのは、その非武装だけじゃないんです。ガンジーは現代の私たちからみると、あまりに奇想天外なことを、そこに書きしるしていた。
つまり、インド、七十万の村々、を「すべて」独立国、にする。
ようするに、究極の、主権在民、である。そして、村の集会が、国会になる。もうこうなったら、「直接」民主主義、じゃねーか。
この案の、おそろしいところは、いわゆる、レイアー理論ではないことだ。村の上に、都道府県があって、その上にさらに、関東地方、関西地方、東北地方、そういったものが、幾つかあって、さらにそれらを、統合するものに、日本がある、と言ってしまったら、今の日本と変わらない。村は、「一気」に、国連、につながる、のだ。
どうだろう。実は、これは、ある程度は、アメリカ合衆国が実現していることでもある。アメリカの各州は、州軍をもち、基本的に、「自治」をやっている。日本の、「地方分権」もこの方向に行かざるをえないと思うのだが、どうだろう。
多くのインド人は、ガンジーのこの構想があまりに、彼らの常識から、理解できなかったため、彼らは、ガンジーは英雄だったけど、「なんにもしゃべんなかったんだ」と、いうことに、国民で「合意」した。
しかし、現代においてのこの、アイデアは、この、インターネット社会、の普及から見ると、逆に、「こんなふうにやれば可能なんじゃねーかな」と、つぶやいてみたくもなる(技術屋だったら、そんなインフラを、つくってみたくなりませんかね)。
こういった「理念」は、さまざまに、つながる。マルクスプルードンが晩年語った、協同組合的な、個体的契約、を中心とした、経済社会イメージ、に対応しているのかもしれない。その場合の、政治的な合意形成は、こういった「個体的な」姿をしているのかもしれない。

ガンジーの危険な平和憲法案 (集英社新書 505A)

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