NHK BS世界のドキュメンタリー「山の分校」

中国は、BRICs と言われ、成長著しい地域と考えられている。
しかしそれは、沿海地方の話である。
沿海地方は、さまざまな、減税特区によって、早晩、日本に追い付き、追い越すであろう。しかし、内陸部の、成長は、止まり続ける。
この現状を、どう考えればいいのであろう。
文化大革命の頃、紅衛兵の若者は、下放、といって、田舎に農作業をしに行く。ようするに、共産党運動ですから、学生たちは、まず、労働者、と一緒に働いて、労働者を理解し、共通意識をもつことが、重要と考えた、というわけだ。
これは、シモーヌ・ヴェーユが、工場に行き、労働者と一緒に、働くことで、彼らを理解しようとした、というのと似ている(労働日記、という名前で本になってますね)。
しかし、です。彼ら、そんな、田舎の労働に耐えられるような体、じゃないわけですね。都会、の、ひょろひょろの、もやしっ子、ですよ。一晩中、勉強ばっかやってた。そんな連中を、急に、そんな苛酷な、田舎の農家に投げ込んでみなさい。どうなるかは、あきらかでしょ。
あの、ぎらぎらと燃えたぎっていた、革命運動はなんだったんだ、といったように、挫折し、紅衛兵の運動は、なくなっていった。
毛沢東の、文化大革命や、紅衛兵について、今の中国の方たちが、どう思っているのかは知らないが、冷戦終了後、中国は、共産主義を維持しながら、経済の自由を、導入してきた。そのことは、むしろ、アメリカの経済界の需要を、中国自身がよく、すいあげていった、という側面があるのであろう。
あの、天安門広場での、民主化のデモ、を徹底して、弾圧した後(ウーアルカイシー、とかいましたね)、アメリカは、むしろ、そういったイデオロギー対立より、アメリカの企業が、うまく、その労働力、広大な市場を使って、ひと儲けできないか、という、そのニーズに、中国側が、うまくパッケージを用意した、と言えるのだろう。
多くの、アメリカ企業が、そういった、「経済特区」、に進出する。経済特区、というのは、なかなか、おもしろいアイデアで、つまり、ここでだけは、中国国内のルールを適用しないのだ。アメリカ企業に、まるで、アメリカで仕事をしているかのような、同等のルールを適用し、彼らに、多くのスキルと、お金を落とさせる。逆に、アメリカ側は、この「無尽蔵」の安価な労働力さえあれば、あとは、使いようだが、そこは、アメリカのビジネススクールの得意分野である。アメリカ留学帰りの、多くの中国の若者が、さまざまに、このインフラの整備に、いそしむ。こうやって、少しでも、アメリカのビジネスマンは、その差分で、もうけた。そして、それによって、「中国人に」、結果的に、金が落ちることになるわけだ。しかし、そうすると、今度は、その、中国人たちが、「消費」を始める(思い付きですけど、もしかしたら、関東軍の、参謀、石原莞爾、は、満州の、自治を認めない、日本の、満州政策を批判したが、彼の考えていたこととは、こういうものだったのかもしれません)。
もし、中国10億人の人口が、日本人と同等の、経済生活を始めたとき、同じように車をもち、同じように海外からかき集めた食料でおいしいものを食べ、同じようにブランドの服を着て、同じように電化製品を使う。そうしたとき、世界は、どうなってしまっているだろうか。恐しいまでの、食料不足、食料の買占め。石油などの、地下資源の消費量、鉱物資源の買占め、環境破壊。いったい、この地球は、どうなってしまうのだろう。しかし、どうしてそれを、やるべきでないと、「先進国」の我々日本人が言えるであろう。
私は、どうも、経済学者なるものが、うさんくさくて、しょうがない。彼らは、本当に、中国のような国の国民「全員」が、今の日本人のような経済活動を始める日を、想像できるのだろうか。
そもそも、中国やロシアのような、あれほどの「巨大な」国で、民主主義は、成立するのであろうか。
わたしたちは、近代経済学の描くモデルが、実際は、経済「外部」を導入することによって、表向きをつくろっているだけの、まったくの、はりこのとら、ではないかと思っている。中国の、広大に拡がる内陸部の人々の生活が、どれだけ、彼らの計算の変数に入っているんですかね。関数が上がったり、下がったり? 勝手にして下さい。
なにか、いびつなこの、世界の姿が、そこにはある。植民地が、この「世界」から、消滅しようとしている今、もっと別の、「植民地」が合法的に生まれようとしているということなのだろうか。
中国は、つい最近まで、共産主義だった、じゃなくて、今も、そうなのだ。であれば、国民への義務教育を行うのは「当然」である。それは、内陸部の、どんな僻地、だろうと変わるわけがない。しかし、今、地方の先生は、極端に不足している、という。みんな、都会に出たいのだ。
おそらく、この感覚は、実態が分からないと、本当に分からない、ということなのかもしれない。内陸部の、多くの子供たちの親は、出稼ぎに出る。彼らの、唯一の楽しみは、子供を、都会の学校に行かせることである。多くの親は、稼ぎのいい、危険な炭鉱の仕事を行い、命を失うケースもあるという。しかし結果としては、多くの借金をかかえることになる。親たちの言うことは一緒だ。もう、この子たちの世代には、私たちのような、つらい暮らしをさせたくない。都会のいい学校を出て、まず、この田舎の苦しいだけの生活から、脱却させてやりたい。
しかし、こういう親の願いを聞く、子供たちは、どのように思うであろう。子供は「親の子」なのである、どうして、親を否定して生きられようか。
代用教員、の、冉蘭(ぜんらん)先生、も、そうやって、都会の大学に行ったからこそ、彼らの考えていることが、分かりすぎるほど分かる。彼女は、都会の企業で働くが、なじめず、田舎に戻り結婚して、この、代用教員、という職にありつく。中国には、この代用教員が、36万人、もいるそうだ。彼女は、通信教育で、教員の資格をとる勉強をしながら、こうやって、半年ほど小学生を教える。彼女を入れて、先生が二人、子供が35人くらいの学校。子供たちは、親に逃げられ、親戚に育てられていたり、でかせぎで、ほとんど、家に親がいない、それでも、「学校に来る」。そんな子供たちに、彼女は、何を語るのか。なにを教えるのか。どうして、こんな田舎の町にまで、学校はあるのか。学校とは、学問とは、なんなのか。
たとえば、昔、紅衛兵として、下放を体験した世代は、今のこの、中国の内陸部の現状をどう考えているのか。彼らも、都会のはなやかな姿に目がくらんでいるのだろうか。
多くのことを、この中国から学んできた、我々、日本人。今だ、完全な、言論の自由が許されてるとは言えない、かの国の人々。彼らにかわって、かれらを表現するとするなら、どんな言葉がありうるというのか、かの国のこの現状をどのように受けとめたらいいのであろう...。
どうもまだ、我々には、その準備がないようだ。