アナイス・ニン『アナイス・ニンの日記 1931-34』

人類が生まれてから、最大に「重要な」女性を、一人だけあげるとするなら、間違いなく、アナイス・ニン、であろう。
ボーヴォワールは、ある年代の女性に、ショックを与えたが、こちらは、むしろ、たかだか、「時代的な存在」にすぎない。まったく「足元にも、およばない」(彼女から言わせれば彼女は女性的にすぎるのだろうが、そういう問題「以前」なのである)。
人には、彼女といつ出会うか、その、「アナイス・ニン以前」と「アナイス・ニン以後」があるだけにすぎない。
ものすごい、礼賛ぶり、ですね。
私は、別に、彼女の長年の読者でも、なんでもない。だけど、これくらいは、すぐに「分かってしまう」。掲題の本の最初の方の何ページかを眺めるだけで。この本がいかに重大であるか、を。
それは、どういう意味か。
彼女の、この内省。
深く沈み込んでいくその、沈思の考察は、以下のような省察がなんとも「えんえんと続く」のだ。

わたしはわたしの自己を確たるもの、輪郭を描きうるもの、と感じているのだろうか? わたしはその境界線を知っている。人間の経験にはわたしが尻ごみしてしまうようなものもある。だがわたしの好奇心、想像力はわたしにこの境界を越え、自分の人格を超越することを強いる。わたしの想像力はわたしを未知で、未踏の、危険な領域へと押しやるのだ。それでもなお、わたしには基本的人格というものがつねにあって、自分の「知的」冒険にも文学的離れわざにもけっして惑わされない。わたしはわたしの自己を伸ばし、拡げる。わたしはできあがった、みんなが知っている、自分を抑えた一人のアナイスだけでありたくはないのだ。誰かがわたしを定義すると、たちまちわたしはジューンとおなじ行動をとる。定義で閉じこめられることから逃げようとする。わたしが善良だって? 親切だって? するとわたしはどこまでも不親切に(行き過ぎない程度に)無慈悲になれるか、ためしてみようとする。でもわたしはいつでもわたしの本性に戻れると感じている。ジューンは彼女の本性に戻れるだろうか?
で、わたしの本性とは何だろうか? ジューンの本性とは? わたしのは理想主義、精神性、詩情、想像力、美意識、美への欲求、基本的なランボーの無垢、ある種の純粋さといったところだろうか? わたしは想像せずにはいられないし、残酷さを憎んでいる。悪に深くはまり込みたいと思うことがあっても、この悪はわたしが近づくと変化してしまう。ヘンリーとジューンもわたしが近づくと変化してしまう。わたしは自分が加わりたいと望む世界を破壊してしまうのだ。わたしはヘンリーのなかには創造力を、ジューンのなかにはロマンティシズムを目覚めさせる。

何度も言うが、別に上記の引用がたいしたことを言ってるなんて言ってるんじゃなくて、これが「えんえんと」続いていることの意味すること、なんですね。
1903年にパリで生まれ、11歳のとき移住した、ニューヨークで、彼女はこの日記を書き始め、1977年に、ロサンゼルスに亡くなるまで、書き続ける。よく考えてほしい。上記のような、内省が、この60年近く続くのだ。これは一体、なんなのだろう。
ちょうど、この日記は、アメリカの作家、ヘンリー・ミラー(『北回帰線』など、昔ちょっと読みましたけど)との邂逅からの部分になっており、彼女が自らの日記を出版していく、最初に選んだ部分になる。この日記を読めばわかるが、ヘンリー・ミラーなど、たいした作家ではない(アメリカ的で、おもしろい作家ですけどね)。その作家を彼女は、好奇心からなのだろう、さまざまに「解釈」していく。(当時は知らないが)ヘンリー・ミラー、は彼女のこの日記によって、後世も、知られる存在になったにすぎないと言ってもいいんじゃないだろうか。
この本には、最初に、彼女による、日本語版向けの序文がある。彼女はそこで、日本における古典、女性による、日記文化、に注目している。それらの日本的な隠喩的表現に注目するのだが、言われてみればそれを知っているとか、そんなどーでもいいレベルじゃなく、本気で、そこに一体「何が」書かれているのかには、もっと日本人自身が求め「発見」していってもいいのだろう。
アナイス・ニンは、これからも、何度も何度も、多くの人に注目されていくのではないだろうか(特に、日記の中でも、掲題の本の時期は、彼女の、20代の最もあぶらののった時期ですよね。彼女と出会った、だれもが、「並みはずれて美しかった」と言うその、彼女が、この女ざかりの頃、どんなことを考えていたのか。一読の価値あり? お勧めですね。最後まで読んでませんけど)。
最後に、補注として付け加えておくが(余談ですね)、この、掲題の本を翻訳して、「日本のもの」にした人こそ、故・冥王まさ子さん、ですね(さらにさらにの余談で、この方が柄谷さんの奥さんだった人ということで、なんとも、こういう人間関係が、すごいもんで...)。

アナイス・ニンの日記 1931~34―ヘンリー・ミラーとパリで (ちくま文庫)

アナイス・ニンの日記 1931~34―ヘンリー・ミラーとパリで (ちくま文庫)