亀山郁夫『『罪と罰』ノート』

光文社の、ドストエフスキーの、文庫を翻訳しているのが、掲題の著者であるそうだ。
私は、今でも、「罪と罰」、こそ、何世紀かの間続くこの、小説文化の中において、人類史上の、最高傑作、と言ってもいいのではないかと思っている。
しかしそれは、非常に「問題」のある表現である。つまり、それ以上に、人類史上、最大の「問題作」なんですね。

ドストエフスキーが晩年にたどりついた信仰とは、命の絶対性、その純化された観念だったと思う。すでにそれは、宗教のカテゴリーを超えていた。「殺人」の否定は、かつて、反国家罪に問われ、死刑の恐怖を味わった男ならではの究極の結論だった。だからこそ作者は、殺人の罪を犯した青年を自殺の道から救いだしたのだ。ほかでもない、この青年に生命の絶対性を教えこもうとして...。しかし、青年を救いだそうとする神の心に、何らの矛盾もなかったのだろうか。殺された二人の命はどうなるのか。天国に召された、の一言で片づけられる問題だろうか。殺された二人の命はどうなるのか。天国に召された、の一言で片づけられる問題だろうか。そもそも、あの金貸し老女のアパートで殺されたのは、アリョーシャとリザヴェータという二人の女性だけではなかったはずではないか。
九月の終わり、刷りあがった『罪と罰』の訳書を手にしながら、およそ一年を労苦をともにした編集者と語りあった。わたしに負けずこの小説を読みこんできた彼が、話の途中、ふいに眉をしかめる。
ラスコーリニコフがいまの日本に生きていたら、どんな罰が下りますかね」

この作品の、あまりにもの、「問題」は全て、ここにあると言っていいだろう。だれもが思うことは、彼の罪は、自らの死によってしか、釣合わない、そういった犯罪ではないのか、ということにある。人類は多くの場合、相互性の中を、生きてきた。歯には歯を目には目を。そう考える人は、この作品の最後まで、彼が死ぬことがないことに、彼に殺められた、金貸しの老女アリョーナ、また、特に、彼女の腹ちがいの妹リザヴェータ、の死が報われないのではいか、と考える。
しかし、それ以上の、問題がここにはある。
彼は、最後逮捕されるのだが、この作品全体を通して、彼は、「本当に反省したのか」かなりあやしい、ということなのだ。ラスコーリニコフは、この作品を通じて、本当の意味で、自己の行為を反省し、その罪をあがなうために生きることを選んだのか。(いろいろと彼の心理が揺れるのはそうなのだが)どう読んでも、それをはっきりと思わせる場面がない。
この命題が実に多くの人に、さまざまな、「罪と罰」読解を生んできた。「罪と罰」読解の数だけ、作家が存在してきたと言ってもいいんじゃないか。
例えば、桜庭一樹の作品は、ほとんど、ドストエフスキーを中心に回ってきた面があるのではないか、とも思う(埴谷雄高の『死霊』にいろいろ注目していたようですし、当然なんでしょうが)。
私たちは、殺人というと、いわゆる、直接に、手を下す、そういったものの不気味さ、禁忌、ケガレ、そういったものをイメージしがちだ。しかし、例えば、「赤朽葉家の伝説」の瞳子おばあちゃんは、近所の井戸の側に捨てられ、一生、だれが本当の自分の親であるかを知ることはなかった(育ての親に育てられることを彼女は、なんと「足りている」と言ったのだが)。私たちは、言葉を間違えてはいけないのではないか。彼女は、捨てる、という行為によって「殺された」のでないのか。
この問題をもっとも、禁忌的なまでに突き詰めた作品こそ、彼女の直木賞作品の、「私の男」であっただろう。主人公、腐野花は、子供の頃、実の父親でない、父親に、地震、洪水のとき、自分を置いて、彼ら家族は、津波にさらわれ、帰らぬ人となる。その父親は、彼女に「生きろ」と言う。しかし、彼女は、そういうふうにこのメッセージを受けとることはなかった。捨てられた、「一緒に連れていってもらえなかった」と受け止め、その後の人生を生きていくことになる。彼女は自分は生き残ったと考えず、「家族に捨てられた」つまり「殺された」と考えた。
彼女はその後、実の父親である、腐野淳悟、と暮し始めるのだが、年を重ねていくうちに、彼と、近親相姦の関係になることすら、自然のことと思うようになる。そして、彼女が高校生くらいになった頃の、この作品のクライマックス、彼女が、淳悟をかばうため、あの北海道の海で、村の相談役の、大塩さんを「殺す」場面となる。この不思議な場面をどう考えるべきなのか。いずれにしろ、その後の、花の(一見反省を感じされない)態度をみても、どこか、「罪と罰」のモチーフと近いものを考えさせずにもいない、感じを受ける。
(彼女の作品でやはり、「ファミリー・ポートレート」の印象は、強烈であったが、なんといっても、今でも私の一番好きな作品が、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」であることは、ずっと変わらないですね。この作品から彼女の全てが始まったと考えていい。海野藻屑。彼女は今も私たちの中で生きている...)。
ドストエフスキーの「罪と罰」がさまざまに、事件的な作品であることは、よく知られている。まず、この舞台、ペテルブルクである。農奴解放が行われ、まだ、何年もたっていない帝政ロシア、その頃、急速な発展をとげ、都会となったのが、このペテルブルグである。都市化は、人口の急増と、犯罪者の急激な増加を生む。まさに、ユダヤキリスト教の、バベルの搭、をどうしても考えざるをえない、不吉な予兆を示唆する。
実は、ドストエフスキーは若い頃、出版関係の仕事の関係で、不敬罪で、死刑宣告を受けている。結果としては、恩赦で一命をとりとめる。
彼は、この「罪と罰」執筆当時、ギャンブルにはまり、多くの借金をかかえ、かなり苦しい生活の中で、この作品が生まれる。
この作品を読むとすぐに分かることは、これが、彼の始めての三人称、つまり、「第三者による語り手」の小説だということだ。それまでは、一人称、自分語りの作品しか書いていなかった。実はこの作品のかなりの部分は、すでに、主人公の一人称の形式で完成していたというのだが、ドストエフスキーは、これを「捨てて」、三人称のスタイルを始めて選択することになる。
彼自身も言うように、ラスコーリニコフという殺人者の心理を一人称で描ききることは、不可能、だったのだろう。そもそも、人間は自分を「騙し」自分を欺いて生きる存在である。私小説、一人称、というのも、本来ありえないスタイルなのだろう。しかし、そのことによって、最初に描かれた、一人称ラスコーリニコフは、リアルなまでに、この三人称ラスコーリニコフの世界で、逆に、リアリティを照射する。
また、彼の作品の中で、これは、初の「モチーフ作品」でもあった。その題材は、ロシアにおいて、初めて、公開審理となった、ある殺人事件を題材にしていることも、まさに「事件的」な作品であったと言える。
さて、最初にも、書いたように、この「罪と罰」は、駄作なのか、たんなる非道徳の本なのか、この小説をどのように受け止めればいいのか、この本題にとりくんでみたい。
主人公の、ラスコーリニコフは、苦学生で、日々の食事にも困るくらいの、極貧であったが、ある、暗い思想をもっていた。いわゆる、ナポレオン、の思想と呼ばれるもの、である。

ラスコーリニコフの理論の欺瞞を突こうとするポルフィーリーはきわめて明晰だった。彼は、このように問いかける。
「つまりその、凡人と非凡人ってのをどうやって見分けるかってことです。生まれたときに、すでに何か印でもついてるわけですか? [......]たとえば、特別な服を着させるとか、ラベルをはるとかしたらどうでしょう?......だって、そうでしょう、万が一もめごとが起きて、どっちかの階層の人間が、自分はもうこっちの階層に属しているなんて思いこんで、あなたがさっきいみじくもおっしゃったように、「いっさいの障害を排除する」なんてことをおっぱじめたら、それこそ目もあてられないでしょう......」
それに対して、ラスコーリニコフはどう答えたのか。
「ただ念頭に置いていただきたいのは、勘ちがいが起こりやすいのは第一の階層、つまり、「凡人」[......]の側だけってことなんです。[......]少なからぬ凡人が自分を進歩的な人間、「破壊者」と思い、「新しい言葉」を口にしたがるんです。しかも心底そう思いこんでるんですよ。そのくせ、彼らはほんとうに新しい人間に気づかづずに、見下してさえいるわけです、時代遅れだとか、考え方が卑屈だとかいってね」

たしかに、こういう思想は、今でも、官僚エリートを始めとして、実は、一般的な面がある。
(今でも、人生の成功者は、多くは、立派な大学に行くのだろうか。ある程度、出世コースというのもある。こういったレールに乗れた連中は、無意識だろうが、どこかしら、自分へのそういった優越をもっている。もちろん、自分が自分をほめないなら、だれが自分をほめてくれるのか、という部分はあるのかもしれないが、こういったものは、すぐに反転して、自分が「差別」できる相手を探すことになる)。
しかし、そのことは、この事実が、実に、「喜劇的」な面をもつことを意味している。ナポレオンという、世界を実際に動かす、「強者」に自分を投射している主人公の実態は、大都会ペテルブルグ、の超極貧生活で日々を食いつないでいる、はた目には、ただの「弱者」である男の暮す、暗く狭く汚い小宇宙、「屋根裏部屋」、だということだ。これは、(最近のネット右翼も含めていいですね)都会に孤独に生きる人間の、姿を投影していると言ってもいいんですね。
彼は、この思想の延長に、近所にいる、金貸しの老女アリョーナを殺すことをくわだて(この、ナポレオンという、世界を又にかけた政治家と対照的なまでに、ただの、どこにでもいる、ケチな金貸しでしかない、その老女を殺すという、なんとも不釣合いな喜劇となっているわけだ)、さまざまに、心迷いながら、さまざまななりゆきもあり、彼女を殺してしまうのだが、彼は、たまたま、そこに、大変に美しく心の純真な、彼女の腹ちがいの妹リザヴェータ、が通りかかり、現場を見たことで、その彼女も、一緒に、無計画に、殺してしまう。
彼は、その後、さまざまに事件を隠蔽し、逃げ続けるが、逆に、心はどこまでも、不安定になり、苦しみが続く。母親の手紙に、ずっと涙すると思えば、ころっと変わり、逆に、この罪から逃げ切ってみせようという野望、をみせる。と思えば、また、心は乱れ、悪夢が彼を襲い...。

ソーニャを守ろうとするラスコーリニコフの心のうちには、かなり個人的な動機が含まれていた。彼はリザヴェータ殺しの犯人をソーニャに教えなければならなかった。ラスコーリニコフはそれを告白するのが恐ろしくなったが、言わずにはいられないとも感じていた。彼は、犯人は自分の親友で、リザヴェータを殺すつもりはなく、老女だけをねらったと話した。やがてソーニャは、ラスコーニコフの目に恐ろしい真実が隠されていることに気づく。彼女は彼を両手で抱きしめ、泣きだした。リザヴェータの持っていた十字架を差しだし、彼の肩をつかんで、いますぐセンナヤ広場に行って、「四つ辻に立ってください」、あなたが汚した大地にキスをしてください、「自分が殺しました」と大声で言ってください、そうすれば、神はあなたに「命を授けてくださいます」と言い、自首することを勧める。

これが、彼の恋人の、ソーニャ、という、ペテルブルグの娼婦を職業とする女性から、言われることが重要なんですね。娼婦は、新約聖書にもでてくる、象徴的な存在であることはいまさらですが。
例えば、掲題の著者は、以下のような、事実を強調する。

この問題を探るうえで鍵となるのが、ラスコーリニコフによって殺された「神がかり」リザヴェータの存在である。主人公にとってリザヴェータ殺しは、むろん一種の「誤算」だった。しかし作者は、その誤算が主人公の運命であり、業であったことを一つの象徴的なイメージによって示そうとする。リザヴェータがソーニャに与えた十字架のモチーフである。当時のしきたりによると、この儀式は、社会の底辺に生きる人々の心の連帯を象徴するだけでなく、それを行う二人が、同胞の契りを交したことを意味していた。いや、ロシアの研究者グロムイコによると、古くから民間信仰においては、血のつながりのないもの同士の十字架交換は、肉親以上の絆の強さを意味したという。

中盤から、後半は、さらに作品は、錯綜としてきて、「謎」が多く散見されるようになる(もともと一人称で、一度、書かれたこの作品は、どこか、それを読んだ著者による、作品全体の傍観という姿を思わせる。それだけに、作品は、語られない作者の無意識なのかもしれない、謎かけで、埋め尽くされている、そういう側面を多分に見せる)。
作品の最後は、自首し、刑を受けるために、田舎にきて、農作業を行う、ラスコーリニコフ、のある生命の横溢を、自らに感じてる、そんな場面で(確か)終わる。
まず、この最後の刑罰の軽さがなんなのかである、その理由は、いわゆる、「精神薄弱」状態であったから、それほど罪は問えない、という判決ということのようだ。しかし、本当にそうなのだろうか。ここは、作者が、第三人称を選んだ、真骨頂である。このことによって、読者は、本当は彼がどんな心理状態だったのか、を想像することしかできない。
しかし、一つだけ言えることは、この作品が、あまりに、「人の死」、にあふれていることだ。

まず、ラスコーリニコフによる、金貸し老女アリョーナとその腹ちがいの妹リザヴェータの二人の女性の殺害がある。これとほぼ同じ時間にラスコーリニコフの故郷では、スヴィドリガイロフの妻マルファが死亡している。次に、酔漢マルメラードフの事故死がある。つづいてその妻のカテリーナが結核でこの世を去り、そしてスヴィトリガイロフが自殺する。その自殺の前に、水に溺れた少女の話が出てくる。彼らの死は、カテリーナひとりを除けば、いずれも横死というにふさわしい死であり、この小説のあまりの陰惨さをあらためて驚かされる。

掲題の著者も言うように、この作品に対する、ドストエフスキーのテーマを最も簡単に言えば、都会のペテルブルグに対して、田舎の農作業、を生命の横溢として、礼賛するようなものなのだろう。こういう農本主義のようなものこそ、彼の晩年の境地と言っていい。

本書を読んで驚かれた人も少なくないだろう。主人公ラスコーリニコフが田舎に住む母からの手紙を手にする日が七月八日なのだが、この日は、「カザンの聖母」祭の第一日目にあたっている。すでにご存知のように、1578年、カザンの町で一人の少女が大地から聖母像を掘りあて、その聖母像は、長く民衆の心の支えとなって慈しまれてきた。犯行の前日にあたる七月八日とは、ほかでもない、聖母と大地の信仰が一体となる日だったのである。

たとえば、宗教に造詣のある人は、このラストの章に、ラスコーリニコフ、の、回心、をみる。つまり、罪は、宗教においては、救済され「なければいけない」からだ。
しかし、もしそうなら、あまりにこの作品は、傲慢、であろう。なぜなら、我々は、この作品を通して、本当に、ラスコーリニコフ、は反省したのか、彼に罪の自覚は、どこまであったのか、と疑ってしまう。
つまり、そういう読み方は、一つのアイデアではあるが、満足のいく回答とは思えない、ということだ。しかし、掲題の著者は、その辺りに、一つの仮説を提示する。

自伝的ディテールの最たるもの、それは、ドストエフスキー二十八歳の年に経験した死刑宣告である。犯罪と刑罰との関係性のなかに立ち現れる不条理を、このときほど痛切に感じたことはなかったろう。わたしには、『罪と罰』の作者が、どうしても何かを隠しているように思えてならなかった。その何かとは、主人公の恐ろしいまでの傲慢さの陰に隠さた何か、すなわち青春時代の作者の信念である。その何かが、ラスコーリニコフのなかに決定的な罪の自覚の欠如を生みだしているように思われたのだ。

私も、この読み、に基本的に賛成だ。晩年のドストエフスキーは、ラスコーリニコフを第三人称で記述すると選んだとき、この主人公に、自らの、若者時代を反映したのではないか。そう考えると、そう簡単に転向し、罪を認め、自覚し、罰を受ける、そういう人格としては描けなかったのだ。なぜなら、自分の若者時代が、そもそも、そう簡単に、今の老年の彼の境地に、たどりつけなかったはずなのだから(彼自身がそうなのだから)。この作品を、晩年の作者による、若い頃の彼との対決と考えるとき、この作品は、言わば、未完でしかありえなかったことを意味する。読者は、この彼の対決の結末を、彼の後続の作品の中にこそ探すことになるのだろう。
母親殺しをテーマとするこの作品。人間は、母親を殺そうとする。しかし、失敗する。しかし、そのことを、これ幸いとして、今まで、生きてきた。これが人間なんだと言った人がいたが、人生には、そういうところがある。ドストエフスキー自身も、結果としては、若い頃もそれほど大きな犯罪に手を染めることはなかったのだろう。しかし、だれでも、いろいろな考えを経てきて、今がある。それを、思想・信条の自由などと簡単には言うが、この作品についても、もう少し謙虚になって、読む必要がありそうだ

『罪と罰』ノート (平凡社新書 458)

『罪と罰』ノート (平凡社新書 458)