ご批判の応えにかえて

「ハウジングプア」という本の紹介のところで、一つ、コメントがありました。短かいものですが、それをみて考えたことだけを書いておきます。
まず、このコメントは、たいへんバランスのとれた、正確な記述をしてもらえたと思っています。正直に言いまして、この本は、精読していません。気になったところの、ひろい読みです。私は、よくそういうことをします。それは、時間がない、というより、多くの場合は、「恐い」からじゃないかと思っています。また、自分のだらしなさの批判を受け入れることに耐えられなくなる(ただ、最初の、巨大怪獣の話は、読んでいました)。あと、書籍は、本屋で購入させてもらいました。
(また、衒学的でもうしわけありませんが)戸籍のことについては、以前、小説で、桜庭一樹さんの『ファミリーポートレート』を読んだとき、考えました。でも、今回のことで、また興味をもってみたく思います。
あと、私は、アナルコ・キャピタリストでは、必ずしも、ありません。いろいろな考えの間を、迷っている、というのが正しいです。でも、絶対的貧困には、だれかが、手をさしのべられないか、というのには、「NPO法人自立サポートセンターもやい」の活動には尊敬の意を感じますし、こういった活動に、国家による、税制優遇などの援助だけでなく、多くの国民の理解が深まることを、希望します(この本が、さらに多くの人に読まれればと思っています)。
あと、「縄文式」という表現は、どちらかと言うと、「原始時代」のような方が正確だったと思っています。私は、むしろ、いつか、自分が、そういう立場になったとしたなら、どうやってその事実を受けとめるか、どう自分の尊厳を保っていられるか、どう「冷静」でいられるか、というふうに(コメントでおっしゃっている「夢の中の話」ですね)考えていました。
私は、(また、衒学的でごめんなさい)アメリカの批評家、エリック・ホッファーが大好きです。彼は、生涯を低賃金労働で、生計をやりくりしながら、たいへんに濃密なエッセイを残しています。彼が、その原始時代の有名なある壁画について、論評しているところを、以前、この日記の記事に書きました。その壁画は、何十年も、その原始時代のものと受け取られなかったのだそうです。そんな昔の人のものと、とても思えないくらい「美しかった」からなのだそうです。
日々のことに追われる毎日ですが、なにかを考えてはいたいと思っています。でも、最終的には、すべて「自分で」気付いていくしかない、とも思っています。
昔、私の尊敬する、文芸批評家の、柄谷行人さんが、「理想は、人々がなにも意識しないでも、勝手に、人々が理想的な状態の行動をやって(しまって)いる、そういう、(世の中の)システムを、構築することなんだ」、というようなことを書いておられたことを思い出しました。
(またわけのわからないことを言うようで大変もうしわけなくも思うのですが)わたしはこのご批判を、(この前書いた記事の話ですが)李珍宇が朴寿南さんから、もらった、手紙にある「指導」のように読みました。李珍宇は、在日朝鮮人でありながら、祖国朝鮮人としての「アイデンティティ」を深くもっていない少年でして、そのことをこの死刑囚に教育したのでした(彼は、在日の中でさえ、疎外されていた家庭だった、と彼自身が受けとっていた、というようなことをにおわすことを、手紙に書いていたんですけどね)。
(最後ですが、このサイトの自分なりの運用としては、あくまで、「日記」だと思って書いています。ですから、基本的に、私がコメント欄を使うことはありません。ただ「情報」を補足してもらえるものは、公開を承認する考えです。基本的には、あくまで、ご自分の意見は、ご自分のサイトで行ってもらえた方が、読む方には、それぞれの考えがまとまっていて、分かりやすいでしょうし、助かると思っています)。