「紙屋悦子の青春」について

もちろん、この、戦中日本の「構造」については、多くのことが語られてきたし、実際そこには、重要な視点がある。
しかし、私は、そういうものに、ほとほと、あきてきたし、根本的に「違う」んじゃないかという思いが、どうしても、ふつふつと湧いてきてしまう。
おそらく、あの戦争中の方こそ、国民は分かっていたのではないのか。
そんな根拠はないけど、どこまでも、吹き出し続ける、この思いから、抜け出ることができない。
黒木和雄の遺作となった、この日本映画

紙屋悦子の青春 [DVD]

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こそ、今思えば、私が考えている、戦中の「すべて」なのだ。
紙屋悦子は、両親を失ったばかりで、兄とその妻と、つつましく暮らす、少女であった。彼女には、ずっと、密かに想いをよせる相手がいた。兄の後輩、明石少尉、である。
しかし、ある日、兄が別の好青年を縁談の相手として、進めてくる。しかも、その相手は、あの、明石少尉の親友であり、明石少尉自身がこの縁談の成立を望んでいる、というのだ。
混乱の中、なりゆきで、この縁談に臨む悦子は、その青年に好印象をもつ。
しかし、同時に彼女は、ある衝撃的事実を知る。明石が特攻隊に志願し、間も無く出撃するというのだ...。
これが、戦中日本、の全てと言って、どうしていけないんでしょうね。
明石が、この、海軍航空隊の、パイロットである限り、いつか、カミカゼ、となるのは、必然であった。いずれにしろ、こういう事態になることは、分かっていた。
しかし、明石の方こそ、悦子が好きだったから、彼女の、ほのかなあこがれは、めばえたわけで、その原因は逆ではないのだ。
であるなら、明石が選ぶ道は、必然であった。
もちろん、私には、最初にこの映画を見たときは、ある種の、怒りしかなかった。しかし、いずれにしろ、これが、その時代の日本人だったのだろうと思えるようになったとき、別の考えばめばえてきた。
むしろ、これ「だけ」が、すべてだったのではないのか。
天皇も、侵略戦争も、全部、そんなものは、庶民には「なかった」。なんの、関係もなかった。むしろ、そんなものに、「庶民」が関係すると考えることこそ、「庶民」を低く見積ろうとする、庶民を愚弄する、無能なエリートの謬見でしかない。
庶民は、どこまでも、「その人」を見ていた。
彼らにあったのは、この、明石、という青年の、どこまでも優しく、悦子を見つめる視線だけだったのだ...。