米原謙「日本ナショナリズムにおける"アメリカの影"」

とうとう、アメリカの大統領、オバマ、が日本に来る。
その意味はなんだろう。
vvこれは、小泉ブッシュの蜜月関係の時期に、ブッシュが来るというのとは、まったく意味が違う。こんなものと比較するな、というくらい違う。
それは、オバマ、という久しぶりに、アメリカの「正義」を体現する人が、日本に来るということであるから。
もちろん、オバマ、は「日本に」来るわけではない。いろいろなアジア歴訪の一つとして、訪ねるという言い方が正しい。
しかし、こと日本にとっては、そういうわけにはいかない。アメリカにとっては、アジアの中の一国家だったとしても、日本にとって、アメリカは、世界の中の一国家ではない。
日本にとっての「全て」...。
最近は、民主党政権になって、一見、保守というアイデアが、政治の中心とはなっていない。
しかし、つい最近まで、さかんに、教科書問題などを通じて、議論されてきた。
しかし、なぜこの古くて新しい問題が、あれほど、議論となるのか。それは、やはりそこに、「矛盾」があるから、と言うほかない。ヘーゲルが言うように、矛盾は、次のステップへの前兆として、その跡を残していく。
なぜ、この議論は、前に進まないのか。なぜ、解決の糸口に、ぶつからないのか。
それは、すべての始まり、つまり、「アメリカ」、にある。

このとき若者のあいだに熱狂的に受け入れられたのが、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言 SPECIAL 戦争論』である。小林自身の言及によれば、2002年の時点で『戦争論』は七十万部、『戦争論2』は四十万部売れたという。注目すべきは、『戦争論2』が2001年の九・一一同時多発テロの叙述から始まることである。小林はそこで「その手があったかー」と叫び、「驚くべきことに、思わず自分のなかに「反米感情」が噴き出してしまった」と告白している。

なぜ、保守は、完全に、反米と親米の、二つに、分断されるのか。彼らのこの「水と油」は、まさに、「喜劇」としか言いようがない。その自分たちの醜態を、そのままにしておいて、「国を侮辱する」反日勢力と「戦っている」そうであるが、さて、その、反日勢力、とやらは、反米なんでしょうかね、親米なんでしょうかね。どっちの味方(???)なんでしょうかね。
もっと、一言、で言ってみせよう。
反米は反日? 親米は反日
一秒でも、早く、「親日国民」になりたい、日本中の人々が、この質問に、答えてくれることを、今か今かと、待っているのだが、いつまで待っても、保守派と呼ばれる人たちの、お互いを罵り合う、罵詈雑言は、いっかな、収まっていかないようだ。
そうなってくると、どうも、おかしいんではないか、という多くの国民の、疑心暗鬼が、巷を跳梁跋扈するようになる。
だんだんと、明らかになってくることは、彼らが言っている、そもそもの、「保守」こそ、テメーカッテの、御都合主義、マスタベーション、じゃねーのか、と。

例えば八木秀次は、以下のように小林の反米主義を批判する。「私は思想と政治や外交は分けて考えるべきだと思っております。思想の上では私も反米を叫びたい衝動に駆られることがあります。しかし、政治の上では反米は選択肢たり得ない」。滑稽なことに、八木は、このような便宜主義(オポチュニズム)が、かれらのナショナリズムを根底から揺るがす危険性を孕んでいることを自覚していない。例えば慰安婦問題で、「強制」を実証する資料が見つからなかったのに謝罪を表明した「河野談話」を「つくる会」は激しく批判してきた。外交的な配慮にもとづく政治決着が日本人の自尊心を傷つけたというのである。だが八木のいう思想と政治・外交との区別は、「河野談話」と同じ構造をもっている。八木は、対象によって基準を変え、中国や韓国に対しては政治決着を批判し、米国に対しては政治的妥協を主張している。
これはかれらのナショナリズムの内実を映しだしたものである。ナショナリズムの核心が国民的自負心だとすれば、占領時代(もっと遡ってもいいが)から現在まで、日本人の自尊心をつねに傷つけてきたのは何より米国だった。

おそらく、保守という、アイデアはありうる。
(たとえば、「アメリカの民主主義」を書いた、トクヴィルは、民主主義を批判し、そこに「貴族」を置く。貴族とは、民主主義の視点からみると、存在自体が許されなく思われるが、一つの役割を担うことになる。それこそ、「国家への対抗勢力」だ。もし、ネット右翼が理想とするような、国家と国民の、蜜月、ちびくろさんぼ、のように、虎とまざりあう、はちみつ、になるなら、つまり、その間に、「中間組織」がなくなるなら、国家の暴走は、そのまま、個人の、壊疽切り、になるだろう。しかし、この世界史は、世界の権力構造が、必ずしも、一枚岩ではなかったことを、証明している。国家が一方にありながら、他方で、キリスト教勢力(教会)がありまた、ギャングがいる。そういった、多層的、かつ、重層的な、「中間組織」は、非常に重要になる一方で、今後、ますます、国家による、テクノロジーの利用が進む上で、その存在を維持するのは難しくなっていくであろう。)
しかし、主義主張とは、一度でも、お前自身の、「家庭の事情」で、その信念を曲げたとき、「誰も信用しなくなる」。
保守を語るとき、天皇の名前を出すことは、細心の注意を払うべきであろう。坂口安吾が指摘してから、さまざまな人が注意してきたように、「家庭の事情」で天皇を語ることによって、自分に箔を付けようとする行為、なんの文脈的必然もないのに、天皇礼賛の言葉を連ね、「まっさきに天皇にぬかづこうとする」行為こそ、天皇の政治利用そのものでしかなく、天皇を私物化しようとする「野心」を意味するだけである。まさに、君側の奸。もし、上記の指摘が正しいとするなら、本当の真の保守とは、絶対に、天皇を名指しして、言及しない、ということになる。そうでない保守は「すべて」マガイモノのようなものなのだ。
さて、アメリカは、日本にとって、「何者」なのだろう。
アメリカが、日本を、「救済」したのは、彼らが、博愛精神の賜物だったから、というわけではない(彼らは、残念ながら、うちの首相のように、友愛主義者ではない)。そちらの方が、「わりにあう」からでしかない。
あの戦中まで、日本の「神」でありながら、(あまりに生物学好きの好青年、であったため、一部の極右に、彼の兄弟と変えて、天皇の地位をひきづり降ろそうとされようとまでされようとしていた)明治天皇は、戦後、まっさきに、GHQマッカーサーと「手打」をする。そういう、明治天皇を終生、心の底では軽蔑し続けた人こそ、あの2.26事件のショックからものを考え始めた、三島由紀夫だったのだろう。しかし、驚くべきこととは、むしろ、その国民がまったくの全面的に、その明治天皇を中心として回ったこの事態をなんの抵抗もなく「受け入れた」ことであった。
アメリカは、戦後一貫して、この日本に、軍事基地を配備し続けてきた。これほど、戦略的に重要であった基地は、実は、アメリカの国外においては、ほかに、ありえなかったと言ってもいい。日本の基地提供によって、さまざまな物資の補給などを考えても、ことこの、地理的プレゼンスは、「おいしすぎる」。
アメリカは、日本の基地提供によって、地球の半分にも渡る、太平洋の移動にかかる、燃料、機体のメンテナンス、乗客の疲労、こういったものを「全て」リセット、できる。
アメリカは、すごいことを実現してしまった。
つまり、彼らは、完全に「兵站」に成功したのだ。あの、戦中、日本がどんなにやりたくてもできなかったことを。
実は、日本兵の「ほとんど」は、「戦って」死んでいない。それは、どういう意味か。石原都知事が言っていたように、日本兵の死者のほとんどは、大本営によって、実は、「飢え」で殺されていたのだ。無謀な、「突撃」を命令され、ジャングルの泥沼の奥地を無謀に突撃させられ、そのまま、食料とできるものもなく、亡くなっていった戦士たち。
政敵の「不信心=国家侮辱」を「告発」して、政敵の、将来の目を、かたっぱしからつぶし、自分のような無能な連中しか「いない」状態にして、出世コースを確保する(どうも、人間には、出世を目指すためだけに秀でる、それだけの、才能、遺伝子、が存在するようだ)。どれだけの日本の頭脳が、そうやって、窓際に追いやられていったか...。
だれもが気付いている。組織とはいつも、「政治」のことであった...。
大本営は、魏の曹操のように、最も優秀な人が重用される体制になっておらず、天皇を中心にうずまく「嫉妬」がとぐろをまき、凡庸な連中こそ徒党を組み、俊秀をパージしていく...。最後まで、その構造から抜けられることはなかった。
だんだんと分かってくることは、アメリカは、戦後一貫して、「日本」そのものに、なんの興味ももっていない、ことだ。彼らが、見ているのは、日本にある「自分たちの基地」それしか、目に入らない。彼らに、この、東アジアの生活を想像させること、それ自体が、難しいし、不可能に近い(「グラン・トリノ」のようなものは、晩年の孤独な老人の境地、と言っったもので、いつか、アメリカが「老人」となる日を待つしかないようだ)。
日本による、いつまでも続く、片想い...。

日本思想史学 第41号

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