小寺裕『和算書「算法少女」を読む』

掲題をみて、なんのことを言っているのかを分かる人は少ないだろう。それを説明するにはまた、少々、話が混み入ってくる。
算法少女、という本は、二つある、掲題の文庫が解説をしている、江戸時代の、和算書、と、1970年代に、発表された、児童向け文学

算法少女 (ちくま学芸文庫)

算法少女 (ちくま学芸文庫)

である。この本は、長い間、絶版になっていたが、一部の教育関係者は、よく知っていたようだ。医者として、生計をたてながら、上方の和算の芸道を、習い極めていた、在野の父親に子供の頃から、和算の英才教育を受けていた、娘あき、が活躍していく児童文学(なかなか、興味深く、おもしろかったですね)。
著者は、もちろん、上記、江戸時代の和算書から、ヒントを得て、このような、ハッピーエンドなストーリーを作ったということである。
和算というのは、江戸時代に流行した、数学を「芸道」とする、分野ですね。小説の方では、一部の理解ある、藩が、優秀な和算家を、サロンのように、かこっていたケースを紹介している。
さて、この、和算。現代の数学のレベルからは、どれくらいの、ものなのであろうか。見ると、もちろん、その記述のスタイルは、あまり洗練されたものではないが、幾何学(線と点と円のユークリッド幾何学)、代数学連立方程式)、と、基本的な要素は、そろっていたようである。おしむらくは、ラマヌジャンのような、天才までは、あらわれなかった、ということなのか。でも、円周率計算など、おもしろい課題が話題にはなっていたようだ。
そして、問題の「算法少女」である。なんでこんな、へんてこな名前の数学書が出現したのだろうか。この、江戸時代の、「算法少女」は、あまりの希少本で、国会図書館あたりでも行かないと、みれなかったようである。一方で、こういう状況にありながら、他方では、上記、児童文学によって、その名前だけは、やたら、有名、という事態が続いていた。
なぜ、だれも、見向きもしてこなかったか。
なんのことはない、この本自体、ほとんど、価値がないからなんですね。当時にしても、たいして、新しい話題が書いてあるわけでもなかった。だから、今、こんなに、版本も少ししか残っていないのでしょう。
じゃあ、この本は、なんなのか。それは、掲題の本を見てみられればいい。
一言で言って、完全な「おふざけ」ですね。江戸時代には、こういった、社会を、おもしろ、おかしく、ちゃかす、そういった文化があった(だてに、徳川200年の平和を、なめるなってわけです)。掲題の解説者は、いきまいて、

筆者はこの平章子は架空の人物であると考えている。

などといきみまくっているが、そんなの見れば、あきらかです(さかんに、「算法の妙」なんて、表現が頻発してますって)。たとえ娘がいたとしても、こんな本を書くまで、極めているわけがない。土佐日記でしたか、女もすなる、ってやつで、日本には、そういう「おふざけ」文化があるんですね(言い忘れていましたが、この本はなんと、その医者の、娘が書いたものだって、この医者の前書きにあって、その娘による、まえがき、まであるんですね)。
医者は(そういえば、本居宣長も医者でしたね)、当時から、比較的、社会から、しがらみのない、立ち位置にあっただけに、こういった、ふざけまくったことがやれたのでしょう。
(じゃあ、その児童文学のほうはどうなるかと言うと、言ってみれば、真面目に、おふざけ、をやったと言ったところでしょうか。)
じゃあ、その和算書が、今読んで、まったく退屈なだけかというと、例えば、

六芸の中で数が果たしているはたらきは、六君湯の中で橘皮(みかんの皮)が果たしているそれに似ていないだろうか。礼・音楽・弓術・馬術・書法に精通するには、数にもとづかなければならないし、人参・茯苓・白朮・甘草・半夏の効能は、橘皮がなければ高めることができない。だから、数はささやかな技ながらも立派な技芸の世界につらなり、みかんの皮はいやしい身分ながらも気高い薬材にまじわっているのである。数術が巧妙なこと、みかんの皮に貴老という雅称が与えられていること、どちらも当然のことなのだ。

(医者らしい、変な比喩ですけど。)

このことを聞いてからというもの、ほんとうにおどろくような物語をますます聞きたくなり、また、目にしていないものごとをいっそう見たくなるのは、おんな子供のつね、しきりにお願いしたところ、口頭で教えてくださったり、書いておかれたものを出してきてくださったりして習いましたので、多くの数を足すことにも慣れ、乗除のわざを扱うことにも慣れたのです。

(著者自身が、そうだったのでしょう。)

ほんとうに、父の送られた年月は、この芸に心を尽くすもので、あれこれ忙しいなかでも、奥深くわけいられましたが、その父の心づかいのほどを、同じ志の人々にはこの書物によって知っていただきたいものと、つたない筆をとっていろいろなことをつづり、巻の初めに置くことといたします。

(江戸時代は、庶民を含めて、「孝経」がはやったそうですね。こういう、子供が親に感謝し孝行するという美談が、やたらと、喜ばれ、尊ばれたんだです。)
と、ちょっと、おもしろいことも書いてあったりする。いずれにしろ、江戸時代の、雰囲気を味わわせてくれる、ちょっと、変な本でした。

和算書「算法少女」を読む (ちくま学芸文庫)

和算書「算法少女」を読む (ちくま学芸文庫)