小島毅『父が子に語る近現代史』

私が「礼」という言葉が気になりだしたのは、この方の以下の本を読んだころからでした。

この本自体は、宋の時代を専門とする著者の、研究の成果が集約されたような、アカデミックな本です。おもしろい、というような感じではありません。しかし、たいへん印象的でした。
こういった昔の時代(話の主題は宋でした)の政治、権力関係を、礼、という漢字を通してみることは、大変に強烈な印象を与えました。
国王の回りには、多くの側近、官僚が、脇を固め、運営されます。しかし、彼ら側近は、国王に、諫言していくことで、その重用の度合が変わるだけでなく、この国のさまざまな「ルール」が変更されていきます。
しかし、これだけ重要なことでありながら、その諫言の内容は実に奇妙です。
礼。
それが礼であるか、礼でないか。
側近たちが話していることは、延々と、その回りを、周り続けるわけです。
そのあたりから、中国の歴史に猛烈な興味がわいてきました。あんなに、高校生の頃は歴史を毛嫌いしていたのに...。
さて、掲題の新刊も、大変に、興味深く、隅から隅まで、熟読させてもらっています(まだ途中ですが)。
印象的だったのは、以下の、日本の明治での、旧暦から太陽暦、への変更についての部分でした。

びっくりしたのは一般庶民です。特に伝統的な年中行事は、太陽暦採用で日付が一ヶ月近く繰り上がったことで混乱します。それまで立春の前後だった正月が、まだ寒(かん)の内に、桃の節句だった雛祭り(三月三日)が、早春の梅の花のころに、真夏の空を見上げて祝っていた七夕(七月七日)が、梅雨の真っ最中になってしまいました。そのため、これらの諸行事はかなりのちまで(地方によっては昭和まで)、旧暦の日取りで行われました。「旧正月」というのは、旧暦による正月のことです。
中国や韓国でも、日本に数十年遅れて太陽暦が採用されます。しかし、ベトナムをふくむこれらの国々では、伝統的な行事はいまでも旧暦でおこなっています。彼らにとって、太陽暦の一月一日はたしかに暦のうえでの新年ですが、本当のお正月ではありません。官庁や会社が数日間休みになり、故郷に限って一族集まって祝うのは、旧正月のほうです。ぼくの個人的意見ですが、日本が今後、東アジアの一員としてやっていくつもりであれば、ぜひ彼らにあわせて、日本でも旧正月を復活すべきだと思います。

著者がどうしてこのように言うのかについては、著者の上記の本など、著者のをいろいろ読んでいて、だんだん私にも分かってきます。どういうところを見られていらっしゃるのか。
暦(こよみ)は私たちの生活リズムそのものです。
大事なことは、だれかが決めた暦が、別に自分たちの暦である必要はない、ということなのでしょう。暦は連続性と関係している。暦が失なわれたとき、なにかが失われる。
本当に祝うべきこと、祝うべき日。
(ちょっと寝たんですが、まだ、頭痛がしますwa。今日は、このへんで)。

父が子に語る近現代史

父が子に語る近現代史