加藤さん「それでも」本後記

今回は、前回書いた、加藤さん、の本の、論点を補足するような内容にしようと思います。
ちょっと本屋に行ったら、前回紹介した、加藤さんのこの本が、某保守系の雑誌で、「徹底批判」と称して、座談会で、とりあげられていて、びっくりした。と同時に、ちょっと困ったな、と思った。
それは別に、たいした理由があるわけではない。ようするに、いつものように、この記事を、あまり、深く考えないで書いたから、という、なんとも、どーしようもない理由だ。
ただ、その座談会を読んだ印象は(以下次号、とあり、途中のようだったが)、にんまり、だ。それは、言っていることが合ってるかどうか、ではない。この座談会をもし、「高校生を前に話されていた」と思って読んでみられればいい、加藤さんのように。彼らがどうもピント違いであることがわかるだろう(加藤さんの本が出色なのは、そこだったはずだ)。
私が、この加藤さんの本で、実は、最も、気になったことは、終戦間際の、ロシア、そして、その後の、ロシアとの関係について、であった。
ただ、この辺りを、ちょっと書こうとすると、また、話がいりくんでくるので、ちょっと、うまく書けるか自信がないのですが、やってみましょう。
(どうでもいいですけど、「DARKER THAN BLACK」も、第二部は、ロシアのウラジオストックから、始まりましたね。そういうのって、すごく、イメージとして残りますね(村上春樹の今度のベストセラーもロシアと関係しているのだろうか。読んでないけど)。第一話しょっぱなの、ニカがターニャにコクるのを、スオウが木の上で見てる場面が印象的でしたね。でも、ニカもターニャも亡くなってしまいましたが...。)
この問題について、比較的最近では、いつぞやの、videonews.com の放送、

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で、ゲストの、中村逸郎さん、が、言われていたことが、記憶にありました。しかし、それをなにげに聞いていたときは、まだ、この問題の重要さが、私には、意識されていませんでした。
上記の番組では、むしろ、北方領土問題、が主要な話題でした。日本は、ロシア、とこの問題を理由に、今だに、平和条約すら、結んでいません(つまり、北朝鮮と同じで、休戦というだけの、戦争状態、なんですね)。しかし、この、北方領土問題、って表現、ロシア側には、意味不明ですよね(日本から見て、北、ですからね)。ある時期から、急に日本側が言い始めたのだそうです。いずれにしろ、上記の番組では、これは、完全に日本の国内問題、に、ある日から、なっていったのだ、という解釈をしていた。日本は、もう、四島同時返還、でなければ、引き返しがつかない。上げた拳を下ろせない。下ろしたら、弱腰、とののしられる。
これは、北朝鮮、の拉致問題と、まったく、同型の国民感情エスカレーションがみられる。
もともと、日本は、終戦間際の、ロシアの参戦や、シベリア抑留で、受けた被害から、日本国内では、冷戦もあいまって、ロシアに対する被害感情が、くすぶり続けてきた。
もし、ロシアが、四島を返還したとしよう。日本は、そうしたとき、本当に、四島「だけ」で満足できるであろうか。やっぱり、あの島も、くれ、そう言い始めるであろう。
問題は、四島の返還を、日本側が、「ある時期から」言い始めておきながら、その「国際法での」根拠が、まったく弱いことなわけだ。それでも、旧ソ連が、二島返還に言及したことがあったのは、日本の言い分にったく賛成しないながらも、「お互いの国の友好」を考えて、という限定した国益だったわけですね。しかし、今は、ロシア、大産油国でもありますし、あまり、日本に譲歩するモチベーションもなくなってきているんじゃないか、と。
しかし、です。
それ以上に、日本側の方に「こそ」、この問題を進展させたくない、絶対に解決させたくない、という、理由があるではないか、というのが、上記の番組でした。
それが、シベリア抑留、問題です。たとえば、

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をみると、元シベリア抑留者の方たちが、日本政府を、訴えて、地方裁判所で、裁判をしているそうです。そして、なぜ、日本政府を訴えるかと言うと、93年に公開された、ソ連側の文書に、日本側が、その日本人のシベリア抑留者を、棄てて、ソ連に「くれてやった」と読めるような、記述がでてきているのだそうです。上記のサイトの記事を、引用させてもらいますと、

そんなとき、一九九三年八月の共同通信社配信の記事を見つけました。一九四五年八月末、「大本営浅枝参謀」が作成した「関東軍方面停戦状況に関する実視報告」(一九四五年八月二六日)の内容を報じたものです。
「内地に於ける食糧事情及思想経済事情より考ふるに規定方針通大陸方面に於ては在留邦人及武装解除後の軍人はソ連の庇護下に満鮮に土着せしめて生活を営む如くソ連側に依頼するを可とす」
「満鮮に土着する者は日本国籍を離るるも支障なきものとす」
兵士たちの処遇をソ連に委ね、日本国籍を失ってもかまわないというこの文書が、抑留時、「日本人であることを忘れろ」と教えられた体験と重なりました。この文書は、崩壊後のソ連で見つかったものでした。日本政府はあらゆる公文書を、戦後、処分してしまったからです。

裁判のなかで、敗戦直前の日本政府が「国体護持」のために、「労務提供」をソ連に申し出た経過もわかってきました。満州などにいた日本兵を「貴軍の経営に協力せしめ其他は逐次内地に帰還せしめられ度いと存じます。右帰還迄の間に於きましては極力貴軍の経営に協力する如く御使い願い度いと思います」(注)という文書も明るみに出ました。
(注)関東軍総司令部、「ワシレフスキー元帥に対する報告」(一九四五年八月二九日)

「それなのに敗戦になったとたん、関東軍や政府の高官は真っ先に金銀財宝を持って日本に逃げ帰り、兵士や住民は置き去りにされた。シベリア抑留も中国残留孤児もこうして生まれた」と林さん。シベリア抑留には、一般住民まで「労務提供」に動員されました。

終戦時に海外にいた民間人 321万。軍人が 367万。満州には、終戦時に、民間人 150万、関東軍兵士 50万。うち、ソ連に抑留されたのが、1990年発表のロシア側資料で、63万。そのうち、抑留の苛酷な環境で亡くなったのが、6万強。ソ連の侵攻の後で亡くなったのが 24万強。つまり、人口の 8.7%弱が、引き揚げ、を体験している、となる。
つまり、これだけの人たちが、体験した、これだけの問題。
ものすごい数の日本人が、この体験を、共有した、ということなんですね。それに対して、「関東軍や政府の高官は真っ先に金銀財宝を持って日本に逃げ帰り」...。
どう考えても、こっちの方が、本丸ですね。しかし、そんなシベリア抑留の被害者は、だれもがすでに、高齢、です。自民党は明らかに、逃げ切り、をはかってきた。
私が心配するのは、民主党です。マイケル・ムーアが来日していますが、彼は、ブッシュに代わって、オバマ、になったことに、賛成する。しかし、今回の、アフガンの米軍増派には、反対だ、と言う。しかし、これこそ、アメリカの「正義」を体現していると言えるであろう。オバマは、「正義」だからこそ、アフガンに方には、もっと、深入りせずにいられない。
似たようなことは、日本の民主党にも起きるだろう。民主党が、どうして、徴兵制や憲法改正国民総背番号制を主張しないと言えるだろう。もし、それが、正義だと、理屈をつけるなら、いくらでもやるだろう。
日本の民主党が、核密約問題で、密約文書の公開を行おうとしている。しかし、一度そういうことを行えば、別の、問題は、どうするのだ、と追求されるだろう。いずれ、このシベリア抑留問題が、政治化されていくのかもしれない。
日本の民主党とは、なんなのだろう。
たとえば、民主党の一部を含めて、自民党が、右翼的な考えで、ここ何年かやってきたことは、もちろん、それによって、結果として、そういったことに賛同するネット右翼のような、若者を取り込めるという思惑があったことは確かであるだろうし、高齢の企業人には、そういった考えを熱烈に今でも持っている人がそれなりの割合いることは確かであろうが、この、長い戦後からの年月をかけて、大衆民主主義が普及してくると、やはり、過激なだけの右では、国民の「大半」に対しては、ドン引きに合うだけ、という傾向も見えてくる。
しかし、ここで重要なことは、この議論は、一見、国民に踏み絵を踏ませるもののように見えて、まったく、そうなっていないことなんですね。どっちにしろ、国民なら、国を「それなりに」愛するのは、当然だから、である。
それは、戦中においてもそうで、「お前は根性が入っていない」と理不尽にぶんなぐった、戦中指導者は、言わば、お前が感じる「程度」の上での、差を、どーこー言ってるだけなんですね。お前のモノサシでは、こいつはやる気がなく見えるな、と言っても、「ある程度」はやる気であることは間違いないわけですから(つまり、これが、精神主義、心理学主義、というものなのでしょう)。
ジェラルド・カーチスという人が言っていたが、日本には、二大政党制になりようがない。それは、本質的に、「対立」がないから、です。もともと、日本の自民党が、長期政権でやってこれたのは、日本の中に、そもそも、対立が存在しなかったから、のはずです(たかだか、派閥なんです)。アメリカのような、アプリオリに人種が混在している、というには、あまりに外国人が少ないため、対立が一向に立ち上がってこないんですね。
ただし、今の民主党の政策には、それなりの特徴があるように思えます。それは、戦前の軍部に似ている、ということです。
1930年において、国民の農業従事者は、47%だそうです。ところが、戦前において、25歳以上の男子を対象とした、普通選挙が、実施されているのに、たかだか、小作人の権利を守る小作法すら作られない。各政党は、まったく、国民の 半分もいる、農民を代表していなかったわけです。しかし、時は、世界恐慌のまっただ中。一刻も早く、農民救済の手が必要なはずでした。
そんな中、軍部は、そういった、農民の心をくすぐる、政策を、次々と発表していました。

同じく陸軍の統制派が、三四年一月に作成していた計画書「政治的非常事変勃発に処する対策要網」にも、農民救済策が満載されていました。政友会の選挙スローガンなどに農民救済や国民保険や労働政策の項目がなかったのに対して、陸軍はすごいですよ。たとえば、農民救済の項目では、義務教育費の国庫負担、肥料販売の国営、農産物価格の維持、耕作権などの借地権保護をめざすなどの項目が掲げられ、労働問題については、労働組合法の制定、適正な労働葬儀調停機関の設置などが掲げられていた。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

しかし、なぜ、軍部は、そういったことを言っていたのか。なんのことはない。農民以外の、学生や、企業の技術者には、兵役免除にしていたから、こういった、田舎の農民を兵隊にするしかなかったからなんですね。
つまり、こういった福祉政策が、「国民の義務」とセットで考えられてきたことは、注意が必要です。
今の社民党国民新党とのパフォーマンスは、民主党は衆参の過半数をとるべき、という、地均し、のようにも見える。小沢さんの昔からの「普通の国」論から考えれば、両方取った暁には、電撃戦で(安倍さんが、教育基本法憲法改正のための法律、とやったように)、消費税増税憲法改正、徴兵制、ここまで、行かないとも限らない。なぜなら、それが「普通の国」だと言うんですから(国民に、それが、世界の常識、普通だと、正義だと、説得さえできれば、やるのでしょう)。
最後ですが、前回の最後に書いたことが、少し気になっていました。ドイツとソ連が、組む、というのは、どれくらいの話まではなっていたのだろうか。

スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想 (朝日選書)

スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想 (朝日選書)

という本がありました。日独伊の同盟に、ソ連が加わっていたら。そういうことが書いてあるようですが、まだ、読んではいません。これなら、もうちょっと互角に戦えたかも、って言われても...、ですね。これも、戦略的互恵関係、ということでなのでしょうか。