KOKIA「エリカ」

正直に言うと、あまり自分がとりあげにくい歌い手という印象がある。かなり、自分とタイプの違う人という印象がある。
ただ、あまりそういったことは気にしない。むしろ、そういった異質さは、違うがゆえにその本質を分明にする。
彼女を考えるうえで、私とつなぐものがあるとするなら、新潟県中越沖地震での提供曲「私にできること」であろう。
こういった災害を多くの人はどのように考えたらいいのかが分からない。人は死ぬ。突然、なんの意味もなく、なんの条理もなく、かたっぱしから。
昨日まで、あんなにピンピンして、これからの夢を語っていた人たちが、あの「瞬間」...。
しかし、つらいのは、そんな亡くなっていった彼らの「隣」にいて、彼らのその顛末を見守ることしかできなかった人々なのだろう。
一体、彼らに何ができたのだろう。いや嘘だ。「これから何ができるというのか」。

がんばってほしい 乗り越えてほしい

KOKIA「私にできること」

これが、彼女の答えである。考えてみれば、彼らに語れる言葉が他にあるだろうか。しかし、だれが「こんなことを語れるだろう」。こんな言い方は変だろうか。いや変じゃない。こんなことを言えるのは、「いつもこんなことを言っていた奴に決まっている」。よく考えてみれば、彼女は、デビューした頃から、ずっとこんなことばかり書いていた。彼女はこのこと「しか」言ってこなかった。
彼女には、あの日、これを言う「資格」があったのだ。
彼女の言葉の特徴は、いつもストレートだということなのだろう。思えば、彼女の歌は、デビューの頃から、ずっとそうだ。しかし、そのどれも、どこか、抽象的な印象がある。例えば、

完璧な理想になりたかったの?
誰かを真似てただけでしょう?

KOKIA「人間ってそんなものね」

(理想とか真似とか、あの日、「向こうに行った」彼らになんの関係があるというのか。私たちには、なにかが必要なのだ。なにかこう...。このなにかを表現できる、その「なにか」が。)
その中でも、掲題の、初期の曲は、めずらしく、まるで、誰か、彼女が懇意にしている人に向けて、語りかけているような印象を、ひしひしと感じさせられる。

今二人は別々の道を歩き始めてるけど
忘れないでどんなに険しい道も二人で語った夢の為にある事を

二人並べた肩のぬくもりは
淋しい時慰めてくれるから

進め迷う事なく君の選んだ道を
進め迷う事なく振り返る事なく

残された私たちは、生きる。生き続ける。「あの日、二人で語った夢のために」。

songbird

songbird