トゥキュディデス『歴史』

また今年も、終戦記念日の8月になろうとしている。そして、8月は、お盆の時期でもある(ミシオちゃんの両親が「彼女の元に」帰ってくる時期だ)。なぜ、日本は8月に降伏したのだろう。もしかしたら、こんなお盆の先祖の意志がそこにはあったのかもしれない。
そんな、第二次世界大戦の頃のような古い話をされても、と思う人も多いだろう。しかし、それは大きな間違いである。なぜか。それが「情報公開」だから、である。最近になって、さらにアメリカは、戦中のさまざまな情報を公開するようになっている。むしろ、これからやっと分かっていくことも多いのだろう。
ここのところ、掲題の古代ギリシアの古典(アテナイ戦記)を読んでいる。この本は、マイケル・ウォルツァーの有名な本を読んでいると、最初にでてくる。その最初の第一部第一章は、日本のだれもが読むに値する重要な個所である。

アテナイ側の指揮官クレオメデスおよびテイシアスと、独立したポリスだったメロス島の為政者との対話は、トゥキュディデスの『歴史』の山場のひとつであり、著者のリアリズムの真髄が現れている。メロスはスパルタ[ラケダイモン]の植民都市であった。メロスの人々は「それゆえ、他の島々のようにアテナイに従属することを拒否いていた。ただ当初は、[スパルタの側につくでもなく]中立を保っていた。しかしながらその後、アテナイが島の土地を荒らして、従属するよう追い込んだとき、ついに彼らは公然と戦争状態に入った」。

彼らは言う。正義についての美辞麗句もわれわれには要らない。われわれの側としては、わが国はペルシアを打ち負かしたのだから支配者の座に着くのが当然だと言い張るつもりなどない。だからあなた方も、アテナイの人々をいささかも傷つけていないのだか、自分たちには他国から干渉を受けない権利があると主張してはならない。そのかわり、われわれは可能なことは何か、必然的なことは何かについて話し合いたい。まさにこれこそ、戦争の本当の姿に他ならない。「彼ら[アテナイ]は、まさにみずからの力に見合った軍事力を備えて優位に立ち、弱者[メロス]は、強者が引出せる条件を差し出す」。
ここで必然性(ネセシティ)の軛につながれているのは、メロスの人々だけではない。アテナイ人たちもそうせざるをえない点では同じである。クレオメデスとテイシアスは、アテナイ人は領土を拡張せねばならないと信じている。さもなくば、すでに獲得した領土を失うに相違ない。

仮にアテナイの将軍たちが可能なのに実際には征服しなかったとすれば、彼らは単に弱さを露呈しているのであり、攻撃を招くことになる。かくして「自然の必然性(ネセシティ)によって」(ホッブスが後に自分の著書で用いる表現)、彼らは能うときに征服する。

しかしながら、メロスの為政者たちは、安全よりも自由の価値を重んじる。「では、もしあなた方が、自分たちの支配力を保とうとし、同時に奴隷を解放するなら、愛大の危機に直面するであろう。ところで、われわれはすでに自由な人々なのである。だから、もしわれわれがみずから奴隷状態となるのを甘受する以外どんな道も敢えて引き受けるべきでないとすれば、それは、われわれの心がもっとも道徳的に卑しく臆病であるということではなかろうか」。もちろん、メロスの為政者たちには、アテナイが持つ力と運命に抗することは「極めて困難」であろうことは分かっている。けれも「にもかかわらず、われわれの側には神々がついているのだから、運命に関してわれわれは何ら劣っていようはずがないと確信する。そもそも、不正な人々を前にして、われわれは何らやましいことがないのだから」。

数ヶ月の戦闘の後ついに紀元前四一六年冬、メロスの市民の中には自分の国を裏切る者が出た。もはやこれ以上の抵抗は不可能と思われたとき、「アテナイ側の思うままにみずからを委ねた。そこでアテナイ側は、兵役年齢に達したすべての男性を殺害し、女性と子どもを奴隷にした。その後さらに自国から五〇〇人の男性をメロスに連れてきて、このメロスを植民市とした」。

正しい戦争と不正な戦争

正しい戦争と不正な戦争

アテナイ軍が小国メロスを包囲し虐殺する場面であり、トゥキュディデス「歴史」の最も有名な場面と言っていいだろう。トゥキュディデスは、この虐殺の前に、アテナイ側の指揮官クレオメデスおよびテイシアスと、メロス側の為政者との対話、を挿入している。しかし、ウォルツァーは、これは史実ではないと言う。つまり、なぜ、ウォルツァーはこの場面を重要視するのか。むしろ、ここには、当時の古代ギリシアの人々の思考の型、つまり、トゥキュディデスの思想、戦争論、が語られている、と考えるからである(いや、そう考えなければならない、と言っているわけである)。
ただ、ウォルツァーはあるポイントを指摘している。それは、なぜメロスが全面戦争を選んだのかはこれで分かるが、なぜ、アテナイがメロスを攻撃することを「国家」(つまり、アテナイの民会政治)が選んだのかは、書かれていないことです(書かれているのは、指揮官クレオメデスおよびテイシアスの考え)。そこで、ウォルツァーは、本来ありえただろう、アテナイ側の議論を推論します。

まず、支配領域を守ることそれ事態が必要不可欠なのかどうかという道徳的な問いに正面から答えていない。少なくともこの点に関して、懐疑的な考えを抱いているアテナイの人々がいた。さらに、支配領域が果して(メロスに対して採用された政策が示すような)画一的な支配服従体制をとらなければならないのかと訝った人々はもっと多かった。第二に、この主張はかの将軍たちがもつ知識と洞察力を誇張している。彼ら彼らとて、メロスに滅ぼされなければアテナイが没落すると確信を持って述べているわけではない。むしろ彼らの議論は、蓋然性と危険性に立脚している。このような議論はつねに疑わしい。メロスを破壊すれば本当にアテナイ人に迫る危険は低くなるのか。他にとりうる政策はないのか。この政策をとる代償と考えられることは何か。この政策は正しいのだろうか。これが実行に移された時、他のポリスの人々はアテナイのことをどう考えるのだろうか。

正しい戦争と不正な戦争

しかし、こういった推論は、自然である。実際、紀元前428年のミュティレネのときは、民会は、一度、皆殺しの決断を行いながら、翌日撤回している。いずれにしろ、トゥキュディデスは、その後、メロス虐殺の数ヶ月後に、アテナイがシケリアへ派遣する無謀さ傲慢さを描くわけですが(ごぞんじのように、アテナイは没落の「悲劇」へと向かう)。
マイケル・ウォルツァーは何が言いたいのか。彼の関心であり、この本で目指されていることは、いわば、戦争と一般に呼ばれているものを構成するさまざまなイシューの定義についてであった。多くの人たちは、戦争がどうあるべきなのか(どうあるべきだったのか)を語る。しかし、そもそも戦争の定義とはなにか。
上記でも、アテナイの民会、つまり、シヴィリアンコントロールの話があるが、そもそも、戦争そのものの定義から、整理されていないため、ある時は、道徳的に皆殺し命令が翌日撤回され、あるときは、実際に刑が執行される。それは、結局は、細かな細部の分析でさえ怠らず、考察するしかないということなのだろう。
しかしそれにしても、私たちには、どうしても、日本とアメリカ、のあの戦争についてのアナロジーをここに読んでしまう。
私たちは、過去を過去として読むことが困難である。過去は、その時代にあったものであり、今あるものではない。大航海時代以降の私たちに、遊牧民の意味が理解できないように、福沢諭吉の後の時代に生まれた我々に、江戸時代に「普通」にあった、その差別構造が「なんだったのか」が理解できないように。
はっきり言って、歴史(世界史)を勉強して、まず、思うことは、
日本がアメリカに宣戦布告したことが理解できない
という、ある種の「いらだち」である。なぜ、日本はパールハーバーをやったのか。というか、なぜ降伏せず、ずるずると戦局を広げたのか。
私たちが歴史を考えるということは、その「不合理」に耐えることなのでしょう。こういった事態をなにか分かったようなことを言うことは、欺瞞であり、本質的ではないのでしょう。
例えば、以下の本を読むと、

日本経済を殲滅せよ

日本経済を殲滅せよ

日本は長い間、アメリカにかなり強烈な経済封鎖を受けている(日本の経済学者は、今の日本の経済分析をあれほど精緻にやるのに、なぜ、この時代のことは、やらないのだろうか)。日本が生産する、絹織物は、もう、80%とかいう関税をかけられて、しまいには、今の北朝鮮のように、アメリカ国内にあった、日本の金融資産の「凍結」を受ける。日本は、欧米にとっては、常に、朝鮮、台湾、中国、への侵略国として扱われてきた。そこから、アメリカのさまざまな日本への、経済圧力が行われるのだが、もちろん、だからといって、日本と経済活動をやらない、ということではなかった。むしろ、日本経済は、当時、アメリカへの輸出に頼っていた。そもそも、明治維新は、多くの欧米人が八面六臂の活躍をしている。日本の明治維新の政治の流れは、多くの欧米のマネーをベースにしていた。
つまり、今と似ていた。実際、今のようなけっこう、いい服を着た、裕福な暮しをしていた。これが変わったのは、日米戦争である。国民は多くの戦費を国家に吸い取られる。私たちが戦中といって知っている、あの、もんぺを履いた貧しい姿(それは、今の北朝鮮に重なる)は、本質的には、それからなのである。

しかし、1941年7月25日にアメリカが取った在米日本資産の凍結措置は、単なる禁輸を超えていた。フランクリン・D・ローズヴェルト大統領が1917年成立の曖昧模糊とした法律、「対敵通商法」を引っ張り出して実施した措置は、日本が苦心の末に積み重ねてきた外貨準備を根底から突き崩すものであった。

1941年、すでにヨーロッパで広がっていた戦争は、ほかの大国の金融システムを機能不全に陥らせ、それぞれの通貨は交換不能の状態になっていた。海外では、円自体が流動性を失っていた。言い換えれば、大日本帝国の領土意外では、支払通貨として円が通用しなくなっていたのだ。一方、アメリカは、ほぼ全世界で取引可能な利金源を管理するという抜きん出た立場にあった。

アメリカ、さらにはドル建てのあらゆる輸出国で日本がすでに取得していた戦略物資購入許可証は、アメリカの指示を受けて保留扱いとなった。イギリスとオランダの2帝国もアメリカと歩調を合わせ、相次いで日本資産の凍結に踏み切った。日本の貿易圏は、自国の植民地と東アジアの占領地など、「円地域」のみに狭まったのである。

こうしたなかで、アメリカの金融凍結令は、日本に三つの選択を迫ることになった。経済的困窮に甘んじるか、領土拡張政策の放棄を迫るアメリカの要求を呑むか、あるいはアメリカとその同盟国との戦争へと突っ走るか、この三つの道である。

金融の流動性を失うことは、外交的には破産同然の状態を意味するが、こうした「選択の余地がありそうにみえながら、実際にはその余地がない選択」を突きつけられた強国の例はほとんどない。そして、今後もこの種の例は現われないだろう。21世紀の世界は、国境を超えて資金が自由に動き回る流動性の波に覆われている。たとえどこかの国が他国の金融上の命運を意のままにしようと考えたとしても、もはやこうした流動性を乗り超えることはできなくなっているのである。

日本経済を殲滅せよ

私は別に、日米戦争以外の、日本のアジア侵略を肯定しているわけではない。日本のアジア侵略は、強引だったわけだ。だが、それは、言わば、ヘーゲル弁証法のようなもので、日本側だって、それなりに反省して、彼らの自治を認める方向へ進んだのかもしれない。政治とはそういうもので、つねに、その時々の、微調整の延長が政治であろう。
しかし、上記のアメリカの一手は、当時の日本にとって、あまりに決定的だったのではないだろうか。そうでありながら、日本の指導部は、
泣いて
戦争を決断する。
たとえば、秀吉までの、日本の戦国時代の、戦争と呼ばれていたものは、普遍的に世界で言われる「戦争」だったのだろうか。秀吉は、朝鮮出兵やその先の中国侵略を、「ほとんど、日本の天下統一までのお国取り」の「慣習」と同列に考えていた、という話がある(ちょっと忘れてしまった)。彼には、朝鮮や中国が、まったく、違った慣習で戦争を考えている、という発想を持っていなかったのでは、というわけである。
同じように、日本は、イギリスがインドを植民地にしていると、小耳にはさむと、それを「まね」するように、朝鮮や台湾を実質領土としていく。しかし、その一連の過程は、かなり「強引」に見える。おそらく、その強引さは、日本の戦国時代から続く慣行的な「普通さ」があったのだろう。いずれにせよ、勝てば官軍負ければ賊軍、で、さまざまな問題は、その後の情勢を見て微調整すればいい、と。
日米開戦も、まず、一発逆転なんて、原爆でも開発しない限り、お互いの経済状況を見ても、難しいんじゃないのか、と思うけど、そこまで考えない。とりあえず始めて、ある程度、相手を押し込めば、和平条約を有利に結べるんじゃないか。まあ、日本の戦国時代の発想ですよね。
たとえば、上記にしても、日本の上層部は、上記の、トゥキュディデスの「歴史」の、メロス虐殺の部分を読んでいたのだろうか。明らかに、アメリカの軍隊はこのアナロジーで動いている(基本的に戦争は、ロマンティイズムなのだ)。
日本の戦争に一貫して言えるのは、その戦争の手法において、相手の文化や、慣習をどこまで考慮しているのか、ではないだろうか。自分たちの考える、正義や潔さや美徳を主張しているだけのようにも見えるわけである。
戦争に勝利するとは、相手を理解するということであろう。そうでない限り、その「無法な」行為が、人々の怨嗟を絶えず呼び起し、反逆の正当性を与えてしまう。メロスでは、その「恐怖」を、虐殺によって免れようとした(しかし、これこそ、現代の聖戦論で、(ほとんど唯一と言っていい)

とされる行為なわけである)。
アメリカは、日本と戦争している間、何を考えていたのか。彼らは、明らかに、自分が、アテナイなのか、メロスなのか、ミュティレネなのか、シケリアなのか、はたまた、スパルタなのか、絶えず自問していたはずなのだ。
例えば、アメリカによる日本の絨毯爆撃は、ほとんどの、日本の文化を壊滅したと言っていいだろう(もちろん、日本の中国への重慶爆撃や、ナチスのイギリス爆撃など、お互いやっていたといえば、そうだが)。いずれにしろ、なぜあそこまで、徹底して焼け野原にしたのか。
例えば、広島長崎の原爆についても、この本で書かれているが、原爆については、日本は被害者意識一色だが、そうしたとき、そもそも、日本だって、原爆研究をやってたわけで、以前、平泉澄が、結局は、原爆のような最終兵器を、戦局の一発逆転に期待していたのでは、という説を紹介したような記憶もあるが(たしか)、まあ、実際に、日常生活をしている市民に向かってこうやって使われると、なんなのかな、とは思いますよね。
そのあたりは、いつもの、videonews.com で、ジャーナリストの春名幹男さん、が以下のようなことを語っている。

広島でたとえばですね、原爆を落したときに、当時の国鉄の電車が走っていたんですよ。走ってるときに、窓ガラスが閉まっていたところの席に座っていた人はですね。ガラスが割れちゃったので、それで、みんなケガしちゃったんですよ。ところがね、生き残ったんですよ。ところが、窓ガラスが開いているところに、座ってい人は窓が開いているので、ケガはしなかったのですが、亡くなられたんですよ。つまり、ガラスには放射線を防ぐ効果があったと。これも我々全然知らなかったのですが、アメリカの戦略爆撃調査団の報告書に書いてあります。それは、そのときの戦略爆撃調査団の副団長だったポールニッツはそれを自分の回想録の中に書いています。あるいは、空襲警報が一旦出て、エノラゲイが一片旋回して来てるんですね、戻ってきて、空襲警報が解除されているのでみんな外に出てるときに原爆を落としたんですよ。しかし空襲警報の解除を知らないでずっと、防空壕にいた人たちは助かったんですよ。ということは、防空壕を作ればいいと。シェルターを作ればいいと。そういう形でものすごく戦略上学んでいるわけなんですよ。
[それは意図的だった可能性はないんですか。]
疑わしいですよ。ようするに、随伴機が、もうとてつもない大音響のサイレンを鳴らすと、そうするとみんな上見ると。上見た瞬間に落とせば目にどういう影響が加わるのか、それも分かるはずだと。そんなことを書いている文書もあるんですよ。だからこれは非常に恐しい話なので言いたくもないような話なんですが、そういうこともあったんですね。現実にね。やはり、広島長崎で亡くなった方々、被爆者になられた方々の臓器なんかをアメリカに持って行ってるわけです。
screenshot

こういうのを見ると、戦争とテクノロジーの問題を考えさせられる。日本の広島と長崎は間違いなく、「実験」に使われた(そして、皮肉なことに、そのとき、さまざまに集まられた知見の多くが、今の世界的な核軍縮の流れを強烈に後押ししている)。それを、戦争を終わらせるため、と言うのはおかしい。おかしいのだが、逆に、日本政府からの反論がそれに対して弱くないだろうか。
近年も、核安保サミットというのがあった。しかし、そこでの日本の存在感というのはなんだったのかみたいなニュースがあった。日本は、たしかに、核爆弾を持ってないのか知らないけど、その原料なら、ごまんとある。つまり、原発の廃棄物ってやつで、そもそも、日本の原発の廃棄物管理って、どうなっているのだろうか。これを、テロリストに盗まれでもしたら、どうするのだろうか。
たとえば、アテナイ(のエリート将校)はトロイを滅ぼさなければ、自分たちがいつか滅ぶ、と思い込んでいる。しかし、その「危険」性には、蓋然性はあっても、論理性はない。滅ぼそうが滅ぼさなかろうが、まず「大いに」関係あると考えることが、どう考えても無理があるということである。つまり、ある種の(ナルシシズム的な)
恐怖
が彼らを突き動かす。
しかし、そうではない。ウルリヒ・ベックの言う「危険社会」とは、そういうことではない。

経済、農業、法律、政治などの分野の高度に専門化された近代化過程の舞台に登場する人物たちが相互依存関係にある以上、個々の原因や責任を分離することは難しい。農業が土壌を汚染しているのか。それとも、農民は被害の循環の連鎖のなかの最も弱い構成員に過ぎないのか。農民は化学肥料や化学肥料業界の従属的な下部組織を構じることなどできないのではないか。当局側には、とっくの昔に、有害物質の販売を禁じるとか徹底的に制限するといった何らかの手を売つことができたはずである。しかし、当局はそれをしないどころか、科学の支持を得て「無害な」有害物質の生産を許可し続けている。今や、生産された有害物質はわれわれすべての健康を害する以上のものになりつつある。それでは、ババ抜き遊びの鬼は、役所や科学や政治のジャンルの中にいるのか。だが結局のところ、これらの人々は耕作には携わっていないのである。そうすると元凶は、やはり農民なのか。しかし、彼らもECとの板ばさいになっていて、経済的に生き延びるためには肥料多投の農法によって生産性を上げざるを得ない......。
言い換えれば、高度に細分化された分業体制こそ、すべてにかかわる真犯人なのである。

危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

人間活動とは、この近代自然科学の知見を得て、今では、
汚染活動
と区別がつかなくなった。さまざまな化学物質が、この自然界にどういう影響をおよぼすか。もちろん、放射能にしても、自然界に普通にあるものであり、宇宙はこれで埋め尽されている。しかし、ちょっとした(私たちが慣習的に行ってきた)「不手際」が、容易に、チェルノブイリのような事故をもたらす。
上記の本は、まさに、チェルノブイリ・ショックのまっただ中に書かれたようなところがあったわけだが、近年、ウルリヒ・ベックは、こういった事態にどういった、処方箋を提示しているのか(以下、あまり、熟読まで、できてませんが)。

国家を超えた企業もまた民主的に組織さない、あるいは正統化されないにもかかわらず、多くの人々には、反グローバル化の運動はロビン・フッドのような一種の正義の味方に思える。たとえば、青少年にどんな政治的行為主体を評価するかと尋ねると、彼らはグリーンピースアムネスティインターンショナルといった運動を、最も高く評価するのである。つまり、そこでは権力と正統性の逆説が存在する。国家を超えた巨大企業や経済組織は大きな権力をもつが、正統性が低い。これに対して社会運動は高い正統性をもつが、小さな権力しかもたない。世界経済の発展が加速するにつれて、世界経済のメタ権力の正統性が失われる速度も速まる。世界経済権力のこの「正統性の落差」は大きな政治的可能性を示している。慢性的な正統性不足は世界市場を極端に不安定なものにする。というのも巨大企業もまた依存関係にあるからである。有権者や国家という制度から「解放」されればされるほど、巨大企業は消費者の信頼や市場、競争相手に依存することになる。

社会運動の華々しい活動は、この[グローバル経済の正統性の低さ(信頼の危うさ)]脆弱性を狙い撃ちする。しかし、新自由主義的なアメリカ政府でさえ、経済の劇的な信頼喪失に対しては、(少なくとも象徴的に)統制と制御という反自由主義的な転向政策によって対処するのである。
(たとえばグリーンピースのような)権利擁護的な運動は、どこから必要な委託を獲得するのだろうか。こうした運動は、国民国家や世界経済のエゴイズムを告発することによって環境に対するグローバルな責任を明確にい、さらに一つの「国家に属さない主権」を要求する。しかし、そのための有権者の委託はなく、その組織内部ではグローバルに闘い取るはずの民主主義の原則を侵害する。その運動は文明が自らを危険にさらすというマスメディアによって喧伝される事態から正統性を手に要れるのである。

ナショナリズムの超克

ナショナリズムの超克

ウルリヒ・ベックが言う、コスモポリタンとは、グローバル企業に対応している。企業がグローバルになるなら、企業人もグローバルにならざるをえない。しかしそれは、自らの地域を否定することではない。
そこでおもしろいのは、彼は、正統性を、市民活動の中にこそ、見出していることである(グローバル企業との対比の中でではあるが)。つまり、究極的に、正統性とは、国民一人一人にある、という考えと言っていいだろう。彼らが主張しているということは、その分、正統性がある、という考えである。そう考えると、実に、見通しがよくなる。
私たちは、どうやって、正統性を調達するか、それに四苦八苦している。これさえ獲得できるなら、もっと、自分たちの思い描くユートピアを実現できるのだろう。しかし、それとは、ようするに市民の声、そのものなわけである。
たとえば、イラクのテロリストたちが、口をそろえて言うことは、イスラエルのことである。それに対して、欧米各国は本気で取り組んできたのだろうか。一体、イスラエルはどうなればいいのか。今、オバマはなにをしているのか。もし、イスラエル問題が解決されたら、相当な範囲でのアラブ社会のテロの脅威が減りはしないか。
こう言ってはわるいが、テロへの有効な処方箋は、社会的な矛盾への手当てを一つ一つ根気よくやっていくしかないんじゃないか。核の拡散が、この世界にどのような、パワーバランスを与えるのか。考えるのも恐しいかもしれないが、もっと単純に、人々がそれなりに、満足している社会でさえあれば、そういった
破壊そのもの
の「正統性」は著しく減少するだろうし、文化的な活動がやれることは、せいぜい、それくらいなのだろう。
さて、核安保サミットで、まったく存在感がなかった日本だが、それで、一体、この21世紀に、この国はどんな理念を世界に発信しようというんでしょうねえ。

歴史〈1〉 (西洋古典叢書)

歴史〈1〉 (西洋古典叢書)