フォークナー『八月の光』

久しぶりに、掲題の本を読んでみた。再読であるが、以前読んだのは、果して、いつだったのだろうか。忘れてしまった。まだ、社会人になっていなかっただろう。その頃の記憶もあまり残っていない。ただ、印象的だったことは間違いない。
(そもそも、フォークナーというアメリカの作家を知っている人というのは、どれくらいいるのだろうか。)
そういうわけで、フォークナーについて、最近また考え始め、読み始めたのであるが、そのいきさつについて、いろいろ、書きながら、話を始めたい。
まず、その最初は、以下の本を読んでであった。

群島‐世界論

群島‐世界論

文芸誌に連載したものの、単行本化だそうであるが、なかなか、おもしろかった(また、細かくは読めていないが)。この本は、
クレオール
という概念を中心にした考察になっており、フォークナーもその中で位置付けられている(クレオールの問題については、今回深くほりさげない)。まず、最初に、映画「ルイジアナ物語」(1948)の話がある(ちょっと見てみたいと思ったら、DMM.com で簡単に見れた)。
海辺に、(グローブ林と言うのだろうか)森林が埋もれているようなところで、ある少年が身長大の手掘りみたいなボートで、一本のオールを使って、こいで、移動していく。すると、その先に、石油採掘の、やぐら、が見える。石油の採掘をしているのだが、ストーリーの後半で、突然、ある、「爆発」が起きるわけである。

フラハティの映画撮影現場につねに同行した伴侶フランシス・フラハティは、この、フィルムを決定づけるヴィジョンが夫の脳裡に降り立った瞬間を、のちにこう回想している。

それは春の初めで、ミシシッピー河が大洪水になっていまいた。全てのものが流されていました。枝、樹木、粉々に砕けた様々な断片、カメやイエガモや丸太に乗って氾濫した河を流れ下っていきます。渦巻き、泡立ちながら、どくどくと流れている水に、家畜たちが膝まで浸かりながら立ち続けていました。そのとき、私たちは幻影を見ました。ふと空を見上げた瞬間、陽を受けて銀色に光輝く油田やぐら、その「果てるともない沼地に整然と聳え立っている細長い姿」さえもが動いて見えたのです。見慣れた風景が驚くべきものに変わっていました。

群島‐世界論

この場面は、映画では、石油の層にぶちあたる前に、ガスの層にぶつかり、水圧の爆発、洪水のようになるんですね。
私には、この海を小舟で移動していく、少年の姿が印象的であった。人間は昔から、こうやって、小さな船で海を移動していた。それは間違いない。
ただ、大きく変わったのは、つまりは、大航海時代なのだろう。大型船舶が、大量の人を乗せて、猛スピードで移動していく。つまり、それが、植民地であり、クレオールなのだろう。そして、もう一つの象徴が、石油採掘の「やぐら」ということなのだろう。
著者は、そこに、「群島」というアイデアを提示する。群島から、世界を見る。港が
世界の中心
になった、ということなのだろう。
海から眺める。そうすると、日本というのは、けっこう大きな国なのかもしれない、とは思わなくもない。これだけ、太平洋に広がっていると、領海ということではそういうことになるのだろう。
著者は、この群島の「光景」を、さまざまな近代文学の中に、見出していく。メルヴィルジョイス、イェイツ、...。しかし、なによりもその最初の章で紹介されるのが、フォークナーであった。

女と話すうちに、赤子の父である白人男が結婚の前に女を捨てこと、女が宿命の子供を持つに至る経緯がアイク老の過去のさまざまな過ちに関係していることなどがわかってくる。そして、最後に女のひとことで、彼女の家系に洗濯女の叔母がいたという事実が知らされた時、アイザックに啓示のような直感が走る。

いま初めて、彼には、女がテントの中にはこんできたあの感じがなんであったか、アイシャムじいんが若者を寄こして女を彼のところに案内させることによって、なにを彼に伝えようとしたのかがわかったのだ----色の薄い唇と、病気ではないのに青ざめて死んだように見える皮膚と、暗くて、悲劇的で、未来を予知するような眼の意味するものがなんであるかがわかったのだ。タブン千年カ二千年ノウチニハアメリカモ変ワルダロウ、と彼は思った。ダガイマハマダ駄目ダ! 老人は大声ではないが、驚きとあわれみといらだちのこもった声で、「おまえさんは黒んぼ(ニガー)なんだね!」と叫んだ。(フォークナー「熊」)

群島‐世界論

フォークナー文学について、知らない人も多いと思うが、彼の描いたものこそ、
南北戦争以降のアメリカ南部
だったわけである。南北戦争によって、アメリカは、黒人奴隷が解放される。しかし、当然であるが、南北戦争直後の南部が、急に、白人による黒人への差別感情がなくなったわけがない。というか、つい最近まで、この問題が、そう簡単に解消されたなど言えない大きなイシューだったわけである。
というか、この問題は、少しも解決などされていないのではないか、という気持ちにさえどういても傾いてしまう。例えば、有名な、2008年3月18日の、オバマの差別演説

screenshot

において、あらためて、
フォークナーが引用されている
ことの意味を考えなければいけない。ところが、日本においては、なぜか、この演説についての注目が低い。これってなんなのだろうか。なぜ、日本人は、この大統領の演説を読まないのだろうか。他人事だと思っているのだろうか。自分を白人だとでも思っているのだろうか。
しかし、それ以上に、日本における、差別の問題を本気で考えていないからなのだろう。
(たとえば、つい最近も、NHKスペシャルで、日本の終戦直後、なぜ在日朝鮮人たちが、日本にとどまり、本国に帰らなかったのか、を描いていた。そもそも重要なことは、敗戦まで、彼ら朝鮮人は「日本人」だったことなんですね。そこに複雑な経緯がある。彼ら在日朝鮮人の方々が複雑な感情を持つのは当然だとして、なぜ日本人の側がまるで他人事のように考えるのか、なのだろう。)
私がこの個所を読んで、はっ、としたのは、最近読んだ、

徳川ビレッジ―近世村落における階級・身分・権力・法

徳川ビレッジ―近世村落における階級・身分・権力・法

についてであった。つまり、私は、江戸時代の「差別」について考えていた。たとえば、以前引用した個所と重複を許して、再度引用すると、

布施村のものも含めた村法の第一場、村にはキリシタンは一人もいないことを確証うる文脈のなかで、このヒエラルキーを明らかにしている------「一貴利支丹宗門之儀、前々より御改被成候通、村中家持之義ハ不及申、男女子共召仕之者並門屋借屋抱之もの、其外出家社人山伏行人虚無僧鐘叩穢多乞食非人等至迄、村中之者壱人も不穿鑿仕候......」。この包括的な一覧は、あきかに階層化されている。そしてこれらの好ましくない輩は、一人として牧布施には住んでいなかったように見える。
非百姓は村のなかの二級の村民であったが、百姓がこの階層に転落することもあった。百姓の最下層にいるのは土地も財産もなく、まったくの小作である水呑百姓で、その数はどんどん増えていった。その次は抱百姓で、彼は自律的な土地所有者であったが、本家や家系の長、保護者などの「抱親」に対する、現実のあるいは虚構の「抱」として政治的依存関係のなかに編入されていた。このようにして五人組と交差し、重なり合ったりもする家筋や分家筋が構成されたのである。土地を所有するすべての百姓は、移植者さえどこかの家系に属していた。けんの母親の死以前、けんの家は叔父の源太夫の「抱」だったのである。
村の議会は本百姓で構成されており、すべての家系の長は本百姓であった。領主の眼から見れば、彼らは年貢の配達人である。土地を所有するこの二種の百姓------抱百姓と本百姓------は、しばしば多くの扶養人を抱えていた。譜代や下人、屋敷内の離れに住む半分家(門屋)、借家人、そして母の死後のけんのような同居人などである。
この多層的な階級・身分・社会的上下関係には、規制があったとはいえある程度の流動性もあったが、それらを下からいえば次のようになる------非農民、譜代、下人、同居人、小作、門屋、抱百姓、本百姓である。
徳川ビレッジ―近世村落における階級・身分・権力・法

つまり、身分と言ってもいい、階級と言ってもいい。ある区別があった。実際、役所の登記簿がそうなっている、そういう「順番で書かれている」、ということなのである。
しかし、それをどう表現したらいいのか。そう思ったとき、それが、なぜ、フォークナー文学は、
こんなふうになっているのか
の答にもなっているんじゃないか、と思えたわけです。
ご存知のように、フォークナー文学は、
意識の流れ
の分類に属するとされている。これは、心理学者、ウィリアム・ジェームスのアイデアで、人の心の「連続」は、知覚や認識と「同列」に、想起、が起きる。こういったものが、次々の浮かんでは流れていく(ウィキを見ると、このアイデアと、ベルグソンの「持続」の概念との関係も書いてあったりする)。
ただ、私はあまり、この辺りを強調するのはどうか、とは、ちょっと思った。実際、「意識の流れ」というのは、ヴァージニア・ウルフから、なにから、さまざまな当時の作家が意識していたスタイルであったわけで、それをフォークナーの一作家の特徴とすることには公平でないように思える。実際、作品によっては、かなり、映画のシナリオのようなラフなものもある。
例えば1965年頃の以下の本では、当時の、サルトルの流行と比較して、以下のように記述してある。

『想像力の問題』に於てサルトルは人間が外界にかかわる仕方は「感覚する、想像する、概念する」の三種しかなく、それ以外の仕方はありえないという。それと対照して、フォークナーは「観察、想像、経験」を小説創作に当っての不可欠な三つの源として繰り返し語ってきた。上記三つのうち、最後の「経験」が僅かにそれに当らなくもないが、概してフォークナーという作家には「概念する」ふうな外界とのかかわり方が徹底して欠けている。では、「概念する」資質が欠如している作家が、概念することが必要とされる思考領域を捉えようと望む場合、それにかわるどのような代替手段が採られるであろうか?

たしかに、近年の自称作家たちが書いている「なにか」は、すべからく、
サルトル文学
と言っていいだろう。つまり、「概念」文学。もっと言えば、哲学くさいわけだ。別にそれは、文章が哲学然としていることを意味している、ということではなくて、発想そのものが、(私のよく使う用語で言わせてもらえば)デカルト的分割、を自明と考えるような、「メタ言語」「自然科学」的な、「抽象」文学、と言ったらいいだろうか。
例えば、これについて、バルトは自らの記号学との関係について、ちょっと複雑な表現をしている。

第一の帰結として、記号学は言語活動についての言語活動であるため、最初はとかくそう考えられがちであったが、記号学そのものはメタ言語になりえない。まさに記号について反省するからこそ、記号学は、つぎのことを発見うるのである。すなわち、ある言語活動が他の言語活動の外に立つ関係は、すべて、時がたつにつれて維持できなくなる、ということ。時間が、距離を保つ私の力をうり減らし、おとろえさせ、その距離を硬化させてしまう。一生のあいだ。言語活動の外に立ってそれを標的のように扱うこと、言語活動のなかにいてそれを武器のように扱うことなど、私にはとうていできない。化学の主体というものは姿を見せない主体であり、われわれが「メタ言語」と呼ぶものは、要するに見世物とならずにいることである、というのが本当なら、その場合、記号を用いて記号について語ることにより、私が引き受けざるをえなくなるのは、まさに二つの言語活動のそうした奇妙な一致、そうした不思議な斜視現象(アンバランス)の見世物なのである。私は影絵芝居を見せる人と同じことになり、自分の手を見せると同時に、うさぎやあひるや狼のシルエットをまねて見せているのである。そしてもしある人々が、このような状況に便乗して、能動的な記号学エクリチュールをおこなう記号学に、科学とのあらゆる関連を拒むとしたら、つぎのことを示唆してやる必要がある。すなわち、われわれはメタ言語を科学と同一視し、あたかもメタ言語が科学の不可欠な条件であるかのように考えているが、それはまさしく腐食されつつある認識論的誤謬であって、実はメタ言語は、科学の歴史的な記号(しるし)にすぎず、したがって拒否できるということ。おそらくいまこそ、科学性の基準はほかにあるのだ(ついでに言うなら、おそらく、固有の意味で科学的なのは、先行する科学を破壊することであろう)。

私たちは簡単にメタな議論が「成立している」と考えがちである。しかし、そういった「全体」は往々にいて、それを主張している個人の
ナルシシズム
である場合が多い。問題は、そういった立場がありうるかどうかではないのだろう。むしろ、「その専門性において」なら、その「全体」はありうるわけである。いや、ありうると言う「べき」ということである。しかし、その場合、
そういった「科学」とはまったく違ったところから、
ある歴史性が噴出してくる、ということなのだろう。
話を戻すと、上掲の著者は、むしろ、その「概念の欠如」こそが、フォークナー文学の弱点なんだ、という考えで整理する。フォークナーは「概念」が苦手だから、「準概念」としての寓意(アフォリズム)に行く。実際、聖書にしても、ギリシア悲劇にしても、アフォリズムの世界そのものであろう。
ただ、(掲題の本を読み終わった今、考えてみるに)強調すべきは、そういった部分なのか、というのは思わなくはない。たとえば、松岡正剛さんはフォークナーについて、ちょっと無類の評価をしている(彼はそれを、「ごっつい」、と表現している)。

大学3年のころだったか、それまでノーマン・メイラーテネシー・ウィリアムズカポーティヘンリー・ミラーヘミングウェイというふうにアメリカ文学を飛び石づたいに溯っていたら、ここで「ごついもの」にどしんと躓いた。それがフォークナーだった。同じころ観ていたエリア・カザンの映画にもちょっと「ごついもの」を感じていたのだが、その向こうにもちらりとフォークナーが見えた。
なんだ、こいつは。
こんな奴は日本にはいない。しかも、アメリカでもない。何かここには別の人種がいる。いや、その人種と向き合った奴がいる。
ぼくはこの「ごついもの」が秘める怖いような物語の塊りに怯(ひる)み、これをしばらく避けて、また、ヘンリー・ジェイムズメルヴィルホイットマン、ポーというふうにアメリカの時を溯っていったものだった。
screenshot

松岡さんは、なみいる作家と比肩して、フォークナーは
特別
と言っているわけである。フォークナーはろくな学歴もない。たんに友達が、ジョイスなどが好きだったというだけで、ここまでものもを書いてしまう。しかし、ここまでのもの、という「それ」とは結局のところ、なんなのだろう。
このストイックな文体...。
こんなことを書こうと、掲題の本をあらためて読んでみたんですが、とにかく、そんなこと以上に重要なことがあるように思えた。つまりまず、思ったことは、フォークナーという個人はとても簡単な単純な人なのではないか、という実に当然のことであった。
この作品がどういう意味で重要かは、その文庫の後書きに以下のようにある。

しかし彼の作品では三十四歳の時の『サンクチュアリ』が凄まじい暴行シーンで世間に知られたのみで、あとはほとんど世間の注目を得ず、一九四五年には彼の十七冊の創作集はすべて絶版になっていた。

彼は長い間自分の諸作品について固い沈黙を守り、あらゆる批評を無視してきたが、晩年になると自由に語るようになった。

一九二九年から三二年の四年間に、フォークナーは爆発的な創作力を発揮した。『サートリス』『響きと怒り』『死の床に横たわりて』『サンクチュアリ』『八月の光』が出たのである。これは現代の作家の誰もが比肩しえぬ最も豊かな精力的な創作期間と言われている。『八月の光』はこの爆発的創作期の最後の年、フォークナーの三十五歳の時に生まれた。

加島祥造「あとがき」

フォークナーの作品は、まったく売れなかったし、それ以上に、フォークナー自身が1、自らの作品に「ついて」、オンタイムで語ることを拒否したんですね(つまり、彼は極力、メタ、の語りをしなかった)。このことは、非常に重要だと思うわけです。つまり、
そういう作家
なのです。非常に「個人的な」作家であり、「個人的な」作品なんですね。その彼が、最も、旺盛に次々と作品を生み出した4年間の最後の作品が「八月の光」ということは、彼は、ある意味、この作品において、
書ききった
ということなわけでしょう。であるなら、まず、この作品になにが書かれているのかを考えることは自然なんだと思うのです。そうして読んでみると、とにかくも、結局のところは、なぜ、上記の意味でのこの「八月の光」という重要な作品で、
ジョー・クリスマス
の人生がここまで、克明に描かれたのかな、ということから考え始めたわけです。
ジョー・クリスマス、はある(けっこう都会を思わせるところの)擁護施設のようなところの前に、ある日、捨てられ、そこで育てられていたが、彼の顔のいくつかの容貌が、どことなく、黒人の特徴をもっている、ように見える、というところから(その頃にすでに、本人も、そういった回りの話から、自らを、黒人のハーフではないかと思う自覚が芽生えている)、5歳のとき、ある田舎の乳牛で生計を立てている家庭の養子になるが、18歳のときに、育ての父を殴り倒して、放浪の人生が始まるわけですね。
(ちょっと余談ですが、ここで、著者は、ジョー・クリスマス、に奇妙な体験をさせるわけです。

これは彼が(大まかに言って)南部にいた間のことであった。というのはある晩、この手がきかなくなったのだ。彼はベッドから立ちあがり、自分は黒人だと女につげた。「あらそう?」と女は言った、「あたしはまたイタリア系かなんかかと思った」。女はべつに興味なっそうな目つきで彼を見やり、彼の顔に何かをみとめたらしく、「それがどうしたの? あんた一人前の顔してるわ。あんたがくる前に送りだした黒(クロ)なんかすごいご面相だったわ」。

つまり、これは明確に、「南部文学」なんですね。ここが分からないと、結局、何が書かれているか、さっぱり、ぴんとこないことになる。)
そして、30歳を過ぎて、この物語の舞台である南部の街に流れ着き、ある40代の女性、ジョアナ・バーデン、の裏庭の小屋に住み始める(この女性こそ、このフォークナーが描く、ヨクナパトーファ・サーガのキーパーソンなのだが、それは、この「八月の光」のメイン・ストーリーではない)。ジョー・クリスマス、は、彼女を殺し、逃走するわけですね。
(また余談ですが、14章の文庫版の、逃走の場面は、前に読んだときもそうでしたけど、圧巻ですね。

ドアがばたんと鳴ったとき、彼は静かに「ありがとう」と言った。それから彼は走っていた。いつ走りはじめたか覚えはなかった。しばらく、自分が走っているのも、そうすることで突然に思い出すどこかの目的地へ向っているのだと考え、だからなぜ自分が走っているか無理に考える気にもならなかったし、実際のところ走ることはべつに苦労でなかった。むしろとても楽だった。自分が軽くて何の重さもないものに感じられた。全速力で駆けたときでさえ、両脚はゆっくりと軽々と思いのままに大地の上を何の抵抗もなしにさまようようであったが、それから彼は倒れた。べつに何につまずいたのでもなかった。ただばたりと倒れたのであり、それでもしばらくは自分がまだ立って走っているよ信じてさえいた。いかし彼はいま、畑の浅い溝にうつ伏せに倒れていた。それから彼はだしぬけに言った。「起きたほうがいいようだな」。

こんな感じのがなんと、431頁から440頁まで続くわけですね。)
つまり、白人女性が、黒人の血をもつ男と、性的関係をもち、殺された、という(南北戦争以前の、黒人奴隷制度を過去に持ち、それを理由に戦争して負けた、その地域の)象徴的な意味なわけですね。それで、最終的には、警察につかまった後、脱走したところを、退役軍人(州の自衛軍)のグリムに、射殺される(そこで、グリムに、まだ息がある間に、性器の切断をされる)。
(これも余談ですが、上記で紹介した本にこんな記述がある。

譬えていえば、中国で去勢された宦官は、出血数升、仮死の状態になり、果てはまつげやひげが抜けて身体が女のようになってくるのだという。
W.フォークナーの小説群―その<全体化>理論の展望 (1966年)

ジョー・クリスマスのグリムによる性器の切断は、「黒人」による、白人への性行為を、「あの世に行ってもできないようにさせる」という意味のことをその場面で言っているのだが、もう少し一般的な意味についてですね。
中国の宦官は有名ですが、古代ローマにも、宦官はいたそうである。つまり、巨大帝国には、宦官がつきもの、であった。宦官の特徴は、「自らの」子孫をあきらめている、という意味で、皇帝の座を狙う意志を、明確に放棄していることを「体現」している。逆にそういった存在たちの「過剰な」能力が、あのような巨大な帝国の維持を可能にしていたのかもいれない。そう考えると、現代のさまざまな官僚制度が、どうも雑な概念にいか思えず、実際に、多くの場面で、とても成功していると思えない現象となっているのかもしれない。)
話としては、おおむね、これ位の内容なんですけど(そもそも、クリスマスが本当に黒人だったのかの、明確な証拠は最後まで描かれないわけで、なかなか複雑な話なんですね...)、読んで思うことは、この膨大の語り、なんですよね。こういったものの
存在可能性
について、ちょっと考えていた。すると、間違いなく、そこには、キリスト教がある。というより、この小説でも、非常に重要な役割を演じる、ハイタワーという牧師がでてくるが、むしろ、重要なのは、その、教会で日々、行われている、
懺悔行為
なのではないか。とにかく、どうでもいいような、一市民が日々思っていること、考えていること、そういったことが、そもそも言葉にされる場面って、人間活動の中でも、そんなにないのではないか、とちょっと思ったわけです。
別にそれによって、牧師が真面目に聞かなかろうがなんだろうが、少なくとも、一般庶民の感情が、その時、言葉にされる。恐らくそれは、
膨大な量
になるだろう。しかし、それが重要なのではないだろうか。その膨大な量の言葉が言語にあれることが重要なのであって、むしろ、そういう場が、この社会にあるのかどうなのか、そここそが重要な分岐点になっているのではないだろうか。
たとえば、日本において、丸山眞男が言ったように、簡単に若者が、そういった「中間集団」を飛び越えて、国家と直接リンクする。それが最近の、ネトウヨというものなのでしょうが、国家とは、言わば、
悪人計量加刑マシーン
ですから、その自己運動そのものとして、市民の犯罪蓄積量を計算することを宿命つけられているわけですね。つまり、官僚というのは、どんなに個人的に、その市民がいい人だし、この人の手足を縛ることは自分には忍びない、と思ったとしても、その人の罪の量を計算して、その量に応じて、豚箱に放り込まざるをえないわけですね。
つまり、これは、いい悪いの問題じゃなくて、国家とは、そういうものなんだ、ということです。ということは、一つだけはっきりしていることは、
だれも国家に対して本音で話さない
ということです。下手に余計なことを喋りまくって、自分の罪の量を可算されたら、やってられないわけですね。そこで、国家とは、その
理想
に近づけば近づくほど、ヘーゲルの国家論のように、「有機体」的になっていく。個人には、どんどん、個性がなくなっていく。なぜなら、個性ということは、なんらかの「理想」の逸脱を意味しているわけですから、それだけ、犯罪量の多さの目安にしかならないから。みんな、まるで、国家のコピーのように(オウムが麻原のコピーとなることを理想としたように)、みんな国家の言うことの、口パクしか言わなくなる。
しかし、そんなことは、おかしいわけだから、つまりは、市民はより、面従腹背になる、ということを意味する。私は、このことがいいとか悪いとか言うことに意味はない、と思う。大事なことは、そういうものと考えるということであって、そのときに大事なのは、しかしだからといって、人々の
言葉
を「抑圧」することを肯定する態度を是認するかどうか、なのだろうと思う。そう考えたとき、アメリカにおける、キリスト教文化の「中間集団」性が、さまざまな、いい面、悪い面はあるにしても、ある種の、バランスと、言論の開放を実現していることは間違いないのではないか、と思わなくない。
人々は、教会で懺悔の場で、自分が今まで行なった、「あらゆる」行為を話す。しかし、彼らはそう単純に、彼らを警察に突き出したりしないでしょう。もし、教会が「そういう」機関だったなら、だれも教会には行かないわけでしょう。そのことが重要なんじゃないか、とちょっと思ったんですね。
(では、現代の日本において、こういった代替物はあるのだろうか。中世の日本なら、無縁所のようなお寺が、アナール空間として、そういった言論の場となっていたのだろうか。そこはあまり知識がないが、現代においては、むしろ、そういう場がないことこそが、この、ブログやツイッターでの膨大な、つぶやき、の理由でもあるのかもしれない...。)
たとえば、ジョー・クリスマスが、ジョアナ・バーデンを殺したとされている場面は、私たちに、強烈に印象づけるのは、むしろその「直前」の場面の方なんですね。

「では大学はやめていいわ、行きくなければ......それなしでもできる......あんたの魂を......罪の贖いを......」そして彼が冷たく、じっと待っている中でしまいに女は言いおける。「......地獄におちるから......永遠に、永久に......」
「いやだ」と彼は言う。

「ひざまずいてあたしと懺悔をして」と彼女は言った。
「いやだ」と彼は言った。
「ひざまずきなさい」彼女は言った。「あんたが自分であの方に話しかけなくたっていいわ。ただひざまずきなあい。第一歩だけやって」
「いやだ」と彼は言った。

「あたしと一緒にひざまずく?」と彼女は言った。「頼みはしないわ」
「いやだ」と彼は言った。
「頼みはしないわ。頼むのはあたしではないもの。さあ一緒にひざまずきなさい」
「いやだ」彼が言った。それから彼は女の両腕がほぐれ、右手がショールの下から突き出されるのを見た。それは旧式の、一段式の雷管突きの拳銃で、長さは小型猟銃ほどあり、目方はそれより重そうなものだった。

正直に言って、こういう複雑な場面の、その意味というのは、分かりにくく、難しい(それは、宗教的な意味だけでなく、ヨクナパトーファ・サーガ全体において、見えてくるものなのかもしれないが...)。
ただ、間違いなく、フォークナーは、ドストエフスキーを正統に継承する作家であり、かつ、この複雑な南部の世界を、さまざまな文学的手法にチャレンジすることで描こうとした、単純で簡単な人だったのではないか、という印象を今回もったのだが...。

八月の光 (新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)