山崎養世『ジャパン・ショック』

日本はすでに「終わってる」。
こんなことを、つぶやく、知識人が近年、増えてきている。
お前(日本)はすでに死んでいる。

本当の財政危機は、現在すぐそこまで、忍び寄って来ています。3年後に消費税の税率を2倍に引き上げたとしても、税収は最大10兆円程度しか増えません。これでは、焼け石に水です。消費税の導入いかんに関係なく、危機は2年から3年以内に確実にやって来るでしょう。破綻そのものを回避することは、おそらく不可能です。しかも、今回は世界中を巻き込む経済危機を引き起す可能性が大きいのです。

どうだろう。今のテレビや新聞のニュースを見ていて、あまりにもの、そのピント外れに愕然としないだろか。
小沢さんの「政治と金」?
そんなことを言っている場合なのだろうか。とにかく、なにかがおかしい。あまりにも、どうでもいいことを、さも重大なことのようにルーティーンしていく、大手マスコミ。そんなことを話すより、今、もっと重大なことがあるのではないのか。ところが彼らに、そういった議論の組み立てはできない。
一ヶ月、ずっと、民法テレビは、日本の国債をどうすればいいのか「だけ」、ずっと、議論してみたらどうだろう。国民や、専門家、との、双方向をフルに使って、徹底的に議論してみたらどうだろう。
しかし、彼らが、そんなことをするはずがない。彼らはきっと、日本が滅んでも、くだらない、バラエティ番組を、たれ流し続ける。

これだけ国債が膨れ上がって今にも破裂しそうな状態にもかかわらず、2010年8月、国債価格は史上最高値のレベルにあり、長期金利はついに1%を割り込みました。日本は今「国債バブル」の絶頂期にあります。「国債は安全確実だ」と多くの人が信じて疑っていないのが今の日本ですが、はたしてそうなのでしょうか。

猫も杓子も、日本国債バンザイ。国債さえあれば、収入の倍以上、
散財。
できるよ。
金貸して。後で利子つけて返すから。
金貸して。後で利子つけて返すから。
金貸して。後で利子つけて返すから。
…。
税収の倍以上のお金を、国債で、借金して、自分の身の丈の倍以上の、暮しを実現...。しょうがないだろ、欲しいものがあるんだ。見てたら、どーしても欲しくなった。我慢できん。どうして、買わずにいられようか。
しかし、普通に考えて、借金をするということは、その投資のリターンを将来見込めるから、始めて、その正当性が生まれるのであって、その「リスクの責任をとる」から、許される場合もある、ってものでしょう?

つまり、国が赤字国債の発行によって財政を運用することは原則として停止されているのです。ただし、後半に記されているように、公共事業などの財源にする場合は国債を発行することが認められていて、そのために発行される国債建設国債です。しかし、建設国債も借金であることに変わりありません。そして、公共事業が期待したような税収を生まなければ、借金を増やすことになります。

これが普通の考えですよね。だから、そんなことは、なかなか難しいから、国による借金を日本では「禁止」してるわけですよね。
ところが、ここで、おかしなことが起きます。日本人。国債は「リスクが少ない」だとかで、むしろ、積極的に国から、日本の金融機関が、買うわけです。一見、日本のために、引き受けてくれてるんだ、と思って、ありがたく思うかもしれない。しかし、それは変である。だって、国債は、国にとって、よくないことだからこそ、法律が禁止しているわけでしょう。むしろ、国民は、国に国債を発行させないように、促すべきであろう。それこそ、
憂国の士
ではないか。国に諫言することこそ、真の愛国者ではないのか。ところが、売国奴の国内金融機関は、まるで、この日本国を
「滅びさせたい」
かのように、国債を買いまくり。たしかに考えてみれば、国の国債の発行額が増えたのと比例して、日本の失われた10年が始まり、日本は今だに、不況から立ち直れない。
そもそも、なぜ、日本の金融機関は、国債コレクターの「下等人種」になり下がってしまったのだろう。

問題は、リスクを算定する際に、貸付も株式も不動産もリスク100%とされてしまったことです。これによって、「金を貸すな」「株を買うな」「不動産を買うな」という、非常に強いタガが銀行に課せられたのです。ですから、何かあるたびに「リスクを減らせ」「とにかく、なにがなんでもリスクを減らせ」という圧力がかかり、民間への資金提供が減ることになりました。
その一方で、BISによれば、32カ国のOECD加盟国の国債なら、国債はリスクゼロの安全な資産とされました。もちろん、その中には、日本もアメリカもギリシアも入ります。

BIS規制については、一体、何度にわたって、多くの有識者が、告発してきただろう。ところが、いつになったら改正されるのか。というか、一度でも、国際機関で、BIS規制廃止が話し合われたことがあるのだろうか。いかに、これがメチャクチャか。こんなことは、ちょっと知識のある人なら、だれでも知っているはずなのに、まったく改正の動きすら見られない。
そもそも、なんなんだ、この「国際機関」ってやつは。オレは、こんなの認めてねえぞ。オレが国の選挙で投じた一票は、彼らに、一体なんらかの影響を与えるのか。彼らのどこが「民主主義的機関」なのだろう。一体、だれの意見を集約してんのか。

元はと言えば、80年代の初めにアメリカが、財政赤字を穴埋めするために自国の国債を日本に、この10年は中国にも売りつけてきたのが事の発端でした。そして、アメリカは外国からの借金で消費をつづけ、日本や中国が作った製品を買ってきたのです。

対外純資産をどういう形で持っているかというと、たとえば米国債で持っていますが、アメリカ政府が、そう簡単に米国債を売らせてくれると思いますか? 日本が持っている700億ドルを超える米国債を売れば、米国債は大暴落し、アメリカの金利は急上昇します。

BIS規制こそ、
第二の「アヘン戦争」。
国債という「アヘン」。日本は、BIS規制という、「第二の黒船」によって、BIS規制という、「第二の不平等条約」を飲まされ、その成れの果てが、この、失われた10年。
ところが、この滅び行く国に、山崎さんは、「消費税」を「推薦」するんですわ(このあたりが、元ゴールドマン・サックスの限界なんですかね)。

消費税を引き上げるべきだという議論には、一定の合理性があります。基本的には、高齢化社会の費用をまかなう目的なら、消費税は上げるしかないと、私は考えています。

今日の池田さんと城さんとの ust の対談で、誰かが、消費税は、若者にとっては、有利な税制だと言っていた。その論法は、所得税は、働く人にかかるわけで、年寄は払わない。だから、消費税がいいんだ、と。
一見、説得力があるように思えるが、こいつらの言う若者とは「いい大企業に入れる」高学歴、新卒のことを言っているにすぎない。彼らが、日本の大企業に入れないのが、おかしいと言っているだけであって、一般の「大学生」には、なんの関係もない。
一般の、ギリギリのお金で、地べたをはいずりまわってきた、庶民からすれば、彼らの言う、「高学歴若者」が幸せになる政策をいくらやってみたところで、関係ない。我々の景気がよくなるわけがない。むしろ、そういった庶民若者が、年寄になったとき、彼らを守る「セーフティネット」が、「高学歴若者」の職確保の権利保護のために、後回しにされているのがおちだろう。
若者と年寄の、世代間格差とは、「格差」じゃない。あるのは、「裕福な」年寄が、その上にさらに、「年金ももらえる」ウハウハの毎日、だということにすぎない。
しかし、どうだろう。
金持ちとは、「合理的な」人種である。彼らが、この国のために、とか言って、土下座されたからといって、簡単に、お金を国に「くれる」だろうか。彼らは「功利的な」人種である。なんとしてでも、なんらかの「取引」としてでない限り、彼ら「金持ち」が「貧乏人」に譲るわけがない。
だから、彼らは「金持ち」なのだ。
近年の、消費税論議とは、消費税増税のお金を、法人税減税の「トレードオフ」として、主張されたものであった。
これこそが、「経団連」(大企業連合)の悲願、である。

また一方で、法人税を減税すべきだという意見がありますが、今の経済構造のままで法人税を減税したら、そのまま税収が減るだけでしょう。

しかし、以前紹介した、

消費税は0%にできる―負担を減らして社会保障を充実させる経済学

消費税は0%にできる―負担を減らして社会保障を充実させる経済学

でも主張されているように、日本の法人税は少しも高くないし、今の日本の消費税は、世界でもトップクラスのお金を国民から、むしりとっている。つまり、まずもって、今だに、食料品などの、非課税品目の話を無視する(上記の対談でも、しっかり、スルーでしたね)。日本の大手マスコミは、経団連の「広告収入」で存在している、だけの存在ですから、「消費税」上げろ上げろ、のオンパレード。
しかしこれも、何度も言っているように、

消費税のカラクリ (講談社現代新書)

消費税のカラクリ (講談社現代新書)

消費税を今の倍にした時点で、日本は死ぬ。多くの「中小零細企業」の倒産ラッシュとなり、今以上に、不況は深刻になる。何度も言ってるように、(日本の今の制度の)消費税ほど、
大企業有利
な税制はない。そのしわ寄せは、「全て」末端におよぶ(前から言っているように、そういう
日本
にしたいのなら、勝手に、そう主張すればいい)。
結局、いろいろ考えれば考えるほど、暗くなる、ということか...。マックス・ウェーバーは、権力は腐敗する、と言ったそうですが、日本が世界第二位の経済大国で、ここ何年も戦争にまきこまれることもなく、平和だったということは、それだけ、
権力が腐敗している
ということを意味する。世界第二位のお金が、毎年毎年、国家の「権力中枢」にプールされる。この、ものすごいまでの、金額が、
平和裡
に「プール」されるだろうか。だって、ものすごいお金が「目の前」にあるんですよ。みんな、暇さえあれば、自分の懐にどうやれば、入れられるか、ばっかり考えるようになるんじゃないですかね。
なんとか、口先で、国民をだまくらかして、自分のものにしちゃいたい。
そう考えるようになる。
金のあるところに、権力が生まれる。
平和 = 腐敗
たとえば、

税を直す

税を直す

さんは、たしかに、私の考えにも近いことを言っていなくもない。しかし、一点だけ、私は、どうしても、同意できない。

かつて「公共事業」が地域格差の是正に一定の効果をもたらしていたことを否定しないが、もうその手は有効でない。むしろ人々に直接に渡すのがよい。
ただ、人やお金の海外流出、国際競争力の維持といった要因は残る。

そしてこのことを考えていくなら、なにか小さい単位・範囲でがんばってみることは、この財の分配についていえば、間違っていることがわかる。この部分については「分権」はよいことではない。これもまたはっきりしたことである。

税を直す

著者は、この点において、中央集権論者であり、国家官僚と気が合う。
そういう意味では、民族国家なんかやめて、「世界」国家、一つだけにしてしまえば、より「パイ」が大きくなって、「公平な」分配ができるだろう。
しかし、この机上の空論。そううまくいくものだろうか。
「普通の人間」に、そんな「膨大なお金」を「公平に」分配できるのだろうか。そんなことができるほどの、
強大な権力をもった指導者
こそ、闇討ち(辻斬り)ゲーム、のかっこうの、ターゲットにならないだろうか...。