アニメ「CLANNAD」についての雑考

アニメ「CLANNAD

CLANNAD Blu-ray Box【初回限定生産】

CLANNAD Blu-ray Box【初回限定生産】

CLANNAD AFTER STORY 1 (初回限定版) [DVD]

CLANNAD AFTER STORY 1 (初回限定版) [DVD]

の最後について、多くの人はどう思ったのだろうか(PCゲームの方はやってませんので、今回の話はあくまで、テレビアニメ版についてですが)。
うーん。どう考えたらいいのだろうか。
もちろん、古河渚(ふるかわなぎさ)を中心としたこのストーリーの
ハッピーエンド
についてである。
第22、23話(最終話)において、彼女が死ぬのとひきかえに産んだ娘の、汐(うしお)が、死ぬのと同時に世界は、ある
選択
を迫られることになる。主人公であり、渚(なぎさ)の夫である、岡崎朋也(おかざきともや)は、このような悲劇を前に、自分が、あの、高校3年が始まる日の通学路で、彼女、渚(なぎさ)に声をかけなければよかったのではないか、という疑問にとらえられる。
目の前にいる彼女。あの時と同じ場所、同じ時間。あの時と同じように、目の前で、大きな声で「あんぱん」と叫ぶ彼女に、彼は、前とは違い声をかけるのを、ためらう。声をかけない方がいいんじゃないか。このまま、出会わない方がいいんじゃないか...。お互いすれ違い、うつむき...。でも、彼は振り向く。大声で彼女を呼び、走って、彼女に抱きつく。

  • 朋也「渚、おれはここにいるぞ」
  • 渚「朋也くん、よかったです、声かけてもらえて」
  • 朋也「渚」
  • 渚「もしかして朋也くん、わたしと出会わなければよかったとか、そんなこと思ってるんじゃないかって、すごく不安でした、わたし、朋也くんと出会えてよかったです、とても幸せでした」
  • 朋也「渚」
  • 渚「だからどうか、もう迷わないでください、これから先、なにが待っていようとも、私と出会えたことを後悔しないでください、だめ、でしょうか」
  • 朋也「そうだよな、ありがとう」

作品は、その後(あと)、急展開する。岡崎朋也(おかざきともや)は、渚(なぎさ)が、汐(うしお)の出産に「成功」する場面に、タイムスリップして、そこで意識を戻すところから始まる。そして、このパラレルワールドでは、渚が死ぬこともなく、汐もすくすく育ち、ハッピーエンドが「完成」している。
しかし、この世界は「存在する」と言えるのだろうか。最終回で、かけ足で、描かれるその姿は、言わば、普通の夫婦と子供を示唆している。一般に、子供の頃、弱かった子供は、大人になっていくことで、峠を超え、比較的体も丈夫になる。普通の体力になっていく。
アニメ「AIR」やこの作品の前半で示唆されていたような、原因不明の難病と、悲劇(呪い)との関係は、この「終わった後の世界」では、存在の影すらない。
しかし、なぜ、朋也は、「再度」声をかけたのか。あれだけ、この世界に絶望し、生きることを疑っていたのに。
それは、アニメを見られれば分かる(というか、実際に「描かれている」)。つまり、もう一つの別の世界のストーリーが関係している。もっと言えば、ここまでの舞台設定でもしなければ、悲劇を悲劇とせずに描くことは難しい、ということなのだろう。
この最後を見ながら、やっぱり、これはハッピーエンドなのだろうか、という疑問が残る。それは当然、この最終回前までの濃密なストーリーが、あまりにリアルだからである。つまり、言い方を変えた方がいい。むしろ、これが現実なのだろう。二人は、幸せになる。というか、普通は幸せに「なれる」わけであり、実際に幸せになっている。
では、最終回までの濃密なストーリーはなんだったのか。それは、アナザーストーリーとして「必要」だった、ということである。二人はたとえ幸せになったとしても、それは二人の関係でしかない。朋也が、ずっと悩み続けていた、父親への気持ちのこじれとの和解。そのきっかけとなった、酒に酔った父親が自分の右肩を痛めたハンデがありながらも、仕事を成功させていく姿。つまりそこには、描かれなければならない何かがあったから、存在したわけですね。
「AFTER STORY」の辺りで、父親が間違いをやって、主人公の仕事の話がなくなるっていうような場面がありましたが、あの辺りが、なんか嫌な予感がしましたね。なんか、韓流ドラマ(つまり昔の日本のドラマ)のような展開で、こういう不幸な展開を重ねて、意味不明に、主人公にとって重要な人を不幸に落して、
ストーリーをもりあげる
いつもの、メロドラマ風のワンパターン。結果的に、そういった問題をクリアできていたかはなんとも言えないところもあるけど、むしろ、上記で紹介した、
もう一度選ぶ
という部分についてのフォーカスを評価したい、という感覚で最後は私は見ました。
Kanon」「AIR」「CLANNAD」と、共通しているのは、これがあくまで、主人公(つまり、ゲームのプレーヤー)の内的な世界だということだと思います。一貫して、彼の内的なイメージの世界が描かれる。
明確に、ビルドゥングスロマンの伝統を継ぐ、正統的なストーリーであり、特に、この「CLANNAD」は、もっと上の世代の日本人に消費されるべき、アニメが市民権を得ていく可能性を感じさせるものだと思うのですが、そういう視点で考えると、ちょっと煩雑なんですよね。
(それが魅力でもあるんで困るんですが。うまく、年長者向けにまとめて、難しいですけど、NHKとかで流すなりして、普段はアニメを見ない年長者も無理矢理見させれば、国民的な物語として、上の世代からも評価されるくらいの完成度だと思うんですけどね)。