ネットのインフラ化

インターネットとは、インフラなのだろうか。電話や水道や道路や電気や下水道がインフラとして存在するとするなら、テレビや新聞はインフラなのだろう。
ところが、最近の若者は新聞をとらない。テレビを家に置いていない人も多いのだろう。
(しかし、そういう若者は、ネットでヤフーのポータルなどで、新聞社が発行している、ニュースを見ているのだから、代替物を利用しているという意味では、テレビや新聞が、インフラであり続けているという言い方は、それほど間違っていないように思える。)
私がテレビや新聞をインフラと言ったのは、ある年齢以上の人たちが、ずっとその二つを「需要」してきた、という事実に対してである。戦後の復興から、三種の神器として、テレビを家に置くことがステータスであった時代の延長に今を考えることを重要視しているわけである。
朝生の議論については、言いたいことは分かるし、時代はいずれ、そういう方向に向かうのであろうが、だからといって、彼らの言っていることは、全日本国民のなかの、
ただの一つの意見
にすぎない。もちろん、そう言っても、ツイッター内で、それらは話題となり、一つの派閥を形成していくのだろうが、私が問題にしているのは、ツイッターをやらない、いや、そもそも、インターネットと関係せずに生きている、多くの、
高齢者たち
を問題にしている。
ツイッターツイッターをやったり見たりしている人たち「の」民主主義であるなら、私たちが空想する民主主義は、当然、全日本国民による、民主主義である。ツイッターやネットを利用しない人たちを、置き去りにした民主主義に私は興味がない(彼らの正義を信用しない)。
ネット強者たちは、おそらく、時代が推移するにつれて、そういった年寄りは、
死んで
くれるから、彼らを無視できる、と考えているのではないだろうか。しかし、そうはいかない。彼らは、そう簡単に死なない。人類は、どんどん、長生きするようになっている。なかなか死ななくなったのだ。
そういう時代に突入しているのに、あいかわらず、国家政策は、高度経済成長時代の、夢よ再びでやっているというのは、どういうことなのだろう。なぜ、高齢時代の、社会政策を提案する人がいないのだろう。
はっきり言ってしまえば、高齢者が、年金だけで生きることは、なかなか大変だということである。いや、ただ生きるのであれば、可能であろう。自らの労働力が、市場で売れなくなった、年金生活者たちが、それでも、余生を生きていくために、必要なものはなんなのか。
年金とは、今まで、各個人が積立ててきた、見返りにすぎなかった。もちろん、年金制度は義務であるが、国民年金と厚生年金の、額の差は、老後の設計に
論理的矛盾
を結果する。もちろん、国民年金のみに依存していた人がバブル以前の日本においてはまだ、特殊な職業の人しかいなかった時代(ラーメン屋みたいな、定年後も存続可能な職業をしている人たちですね)においては、この制度の正当性はまだあったのだろうが、これだけ、正社員になれない人が多くなって、今の年金制度は、その正当性が無くなってきていることは間違いないだろう。
私が言いたいのは、年金がどういった制度であるべきなのか、である。現在でも、高額の収入のある年寄りは、年金が払われないようになっている。当然である。年金はより、社会福祉的性格をもたざるをえないわけだ。
私がここで、問題にしたかったことは、現在の、年寄りたちが、インターネットを、
インフラ
として、享受していないことへの是非についてである。
国民は、インターネットが、全国民に普及す「べき」と考えているのか、考えていないのか。考えていないのであれば、今まで通りの、マスコミと政治でいいでしょう。
もし考えているのなら(以下は、こちらの立場であることを前提に推論します)、まずもって問われるべきは、
どうやって「全」国民の、インフラ、にできるか
が政治課題化されなければ変じゃないでしょうか。
つまり、これに至るための、工程表が、選挙の争点とならなければならないんじゃないでしょうか。
はっきり言って、今のインターネットは、まだ高額なんじゃないでしょうか。もし、インターネットをインフラとして、考えるなら、月定額、である必要があるでしょう。すると、今安いやつで ADSL で、月2000円くらいですから、年金生活者には、ちょっと、躊躇するだろう。せめて、月500円くらいじゃないですかね。だって、ただの、インフラ、なんですから(この辺りは、意見がいろいろあるでしょうが)。
次は、お年寄りが、楽に使える、インフラについてです。非常に期待が高いのは、インターネットテレビですね。
お年寄りは、間違いなく、家にテレビがある。このインフラは、貴重です。つまり、テレビなら、敷居が低いんです。だったら、テレビの延長にこそ、お年寄りの
ファミリアリティ
があることは当然のように思えます。実際に、お年寄りが使わなくてもいいのです。ある日、間違って、変なボタンを押したら、インターネットにつながって、自分が知りたい情報を調べられた、というくらいから始まるでいいわけです。
テレビは、間違いなく、買い代える。そのとき、各家庭に、インターネット・インフラをばらまけるのではないか。国家政策として、ネットつきテレビは、圧倒的な補助金を出すとか、ツイッター好き政治家は、もうちょっと政策を発信されたらどうでしょうね。
(一番いいのは、難しいボタンがないような、インターフェースだと思う。アイパッドが、リモコンになるようなのが、理想なんじゃないですかね。)
とにかく、頼むから、
ネット貴族
だけが日本国民であるっていう、差別感情をやめてくれませんかね。そう思いたいんだったら、強引にでも、全日本国民を、ネット化(ネットのインフラ化)してもらえませんかね。つまり、
政治課題(選挙の争点)
にしてもらえませんかね。田原さんが、ツイッターをやっているから、朝生がツイッターと連動って、だったら、せめて、地デジ並みくらいには、
ツイッターを国民のインフラ
にしてもらえないものかな(地デジの双方向なんて使わないんだから、それを、ネットのツイッターにリンクするみたいなイメージ)。でもそれって、ツイッター社製でなくても、国内産だってありでしょうし(ツイッターとのインターフェース、プロトコルさえ、きっちりしていれば)、せっかく新年が始まるんだから、もう少し、国全体がもりあがることを言ってほしいもんですね。