ファイヤアーベント「第一の対話 知とは何か」

これは、ある有名な大学という設定の、哲学の認識論のセミナーで、何人かの学生と指導教官が、集まって、わいわいと話している授業の場面の様子を切り取ったものとなっている。
それにしても、その対談の中の、ある学生が、ふざけて「ポストモダン料理」と言っているのが象徴的である。
なぜなら、このセミナーが、プラトン『テアイテトス』

テアイテトス (岩波文庫 青 601-4)

テアイテトス (岩波文庫 青 601-4)

を討論の教材としているからである。
『テアイテトス』は、まさに、ポストモダン的だと言える。
哲学と一般に呼ばれるものの始まりを、どこに置くかは、いろいろ考えがあるかもしれないが、こうやって、ある程度のヴォリュームのまとまった熟考の塊となっている、という意味で、プラトンを、まず最初に設定することは可能だろう。
プラトンの対話編は、多くあるが、『テアイテトス』こそ、「全て」と言っていいくらいの重要さがある。
ある意味、プラトンの考えたこと(イデア論)とは、『テアイテトス』で検討された問題の、「哲学的な逸脱」と言えるからだ。
哲学とはなにか、と考えるなら、一つの「言いすぎ」となるだろう。ある問題に対する考察が、「形而上的に」逸脱(昇華)したとき、それを我々は「哲学」と呼んできた、と言えるのではないか。
そう考えるなら、その「ある問題」の原石を、まず、検討した段階があるわけであり、それが『テアイテトス』となる。
つまり、

この、相対主義懐疑主義)の主張の検討にこそ、さまざまな源流を見ることができる。
それにしても、この『テアイテトス』の議論は、「古い」のだろうか。こうして、わざわざ、ファイヤアーベントがとりあげていることもあるが、彼の、

方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム

方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム

で検討さたような、アナーキズム的科学論の主眼にあったものが、多分に、こういったものの延長において考えられているように、思えることからも、あまりにも、ど真ん中ピンポイントなため、読み方によっては、「今の問題」が、深く考えられているようにさえ思えるのだ。
プロタゴラスの、「人間は万物の尺度である」とは、この文脈においては、経験主義と言えるだろう。あらゆることは、経験である。どんな事実も、ある人が経験することによって、「発見」される。
つまり、この主張を「言いすぎ」れば、この世の、あらゆる物事は、「ある人が経験する」ことによってしか、気付かれない。もし、ある主張が、過去から未来に渡っての人間のだれにも気付かれることがなかったとするなら、それは、
存在している、と言えるのだろうか。
ここから、さらに「言いすぎ」ると、観念論になる。つまり、人間の「外」の世界を認めない、のである。あらゆる「セカイ」は、人間が「生み出している」。つまり、人それぞれ「に対応して」セカイ、がある(つまり、どこまでも、独我論的に進むのだが...)。
しかし、この主張は、さらに、デコンストラクションできる。だって、人間は最初から、「このように」はないからである。つまり、だれもが、赤ん坊の時期を経て、成長して今があるのであれば、その赤ん坊(もっと、さかのぼれば、母親のお腹の中や受精卵だが)の頃の「セカイ」とは、一体、なにを言ったことになるのだろう?
つまり、「経験」と言ったとき、その内容にとやかく言うつもりはないのだが、いずれにしろ、その「経験」を言語化するときには、どこかそれを、「指し示せる」対象、として、主張せざるを得ない。つまり、「これ」と言うためには、ある「固定」した、これと言ってしまえば「変わらない」なにかが切り取れないと、主張にならないわけだ。
しかし、この主張は、ヘラクレイトスの「万物は流転する」の主張と、なにげに相性がよくない。あらゆるものは、常に変化している。人間の体にしたところで、ずっと同じ物質が、同じ細胞として、一つ所に、存在するものは、一つとしてない。ずっと変わり続けている。それは、石だって金属だって、ある意味、同じだ。
すべての物が、常に、同じ状態を維持することなく、変わり続けているというのに、それを「それ」と指示することに、どんな意味があるのだろうか。
これが、一般にヒューム問題と呼ばれるものと言えるのかもしれない。

B シュレーディンガーと昼飯を一緒に食べたことがあってね。そのとき彼はポパーの本を抱えていた。そして彼はそれを指しながら突然怒鳴ったよ、「一体ポパーって自分を何さまだと思っているんだろう。本人は、ヒュームの問題を解決したと称している。

B (前略)ヒュームの問題というのは、証拠となる例が有限個しかないのに、それを基礎にどうして全称命題が正当化できるのか、というものだ。で、その正当化は、細部にわたって書き上げることのできるいくつかの規則に従う一つの手続きになると考えられる。

ポパーは、まず、一般に科学と呼ばれているものが、ある「リジッドネス」を指摘されているように思われることを表明した。それが「反証可能性」である。
科学的に「正しい」というとき、その内と外には、科学的に正しくない主張が存在するという立場だということを意味している。
では、その分かれ目であるが、それが「どんな事実が存在すれば、この命題が偽であるか」が、その主張から含意されていなければならない、となる。
どう思われるだろうか? ずいぶんと、「狭い知」ではないだろうか。
こういうふうなものだけが、「科学」だというなら、フロイト精神分析も、マルクス主義も科学ではないだろうし(もちろん、経済学のかなりのものも科学ではない)、そもそも、量子物理の解釈問題なんて、そう簡単に「反証可能性」が生まれるように思えない(同じような話は、相対論にもあるだろう)。スーパーストリングや統一理論なんて、どないせーっちゅーねん、でしょう。
いや、こんなものですまないだろう。さまざまな分野で、こういうことは、たくさんあるはずだ。特に、医学の分野を考えればいい(この辺りの事情を検討したのが、第2対話の方にある)。
病気という表現は、よく考えると、あまりに「病的」である。つまり、病気とラベリングをした時点で、健康であることと病気であることの、2分類が成立してしまっているからである。しかし、そんな区別など、
人の体には関係ない。
勝手に痛がったり、痛がらなかったり、勝手に病気が進行して死んだり死ななかったりしているだけで、「区別」など、あろうがなかろうが、その「体」そのものに、区別などない。
つまり、そうそう難しいのではないだろうか。よく言われるように、ぎっくり腰のような、あまりに普通に起きる現象でさえ、「原因」が分かっていない。つまり、
人間の体の構造
がそんなに「分明」じゃないってことなんでしょう。ぎっくり腰の状態と、その他の普通のときの状態の、区別が今までの科学の知となっていない。
しかし、こういったことは、医学では、たくさんあるのではないか。
そこで、著者が注目するのが、今でも、世界中にある、その地方の民間医療行為である。日本であれば、東洋医学がその一つとなる。
まず、ポパーの定義から、こういったもののかなりは、「科学」ではないことになる。そこから、極論として、
東洋医学に保険の適用をすべきでない、という主張まででてくる。
その可否を問うつもりはないが、そもそも、なぜこんな主張がでてくるかといえば、それは、ポパーの定義ですよね。あまりに「科学」の定義が狭くなってしまってることが、もたらしている結果ですよね。
病気は結局のところ、その「真の原因」に関心があるわけではない。患者が直ったと思えば直ったのだろう、としか言いようのない現象なのだろう。実際、その日から病院に来なくなるのだろうから。つまり、すべての医療行為は(ポパーの定義による)「科学」ではない可能性がある。そもそも、医療行為は「ポパーの科学の定義に関心がない」わけなのだから。
しかし、である。
ポパーの科学の定義だって、そこには、ある「真実性」があるから、主張されるのだろう。つまり、「科学者集団」たちの、「生態」である。ここに注目したのが、トマス・クーンのパラダイム論であった。科学者たちは、どのようにして、自らの専門性を「生きている」か。
まず、当然であるが、彼らの専門は「複雑」であるから、学生は先生に、自分たちの「専門」を指導される。そこで注目されるのが、「練習問題」である。教科書に必ずついてくる、この練習問題を「解く」ことで、この問題「のようなもの」に対して、どのようにアプローチすべきかを、「身振り手振り」で身につける。
こうやって、体で覚えた「作法」によって、実際に、論文を書き、ジャッジする段階になると、あらわれるのがレフェリーである。
レフェリーたちは、どのように、その論文をジャッジするのだろうか。しかし、この「問い」は、どこか愚問なところがある。なぜなら、彼らも、同じ円環の中で、
「作法」
を体で覚えてきたはずだからである。
つまり、クーンのアイデアは、ポパーの科学定義の舞台裏、「内幕」を実態にあわせて検討した、より具体的に議論を深めた主張であると言えるだろう(実際、クーンの本の題名は「構造」とある)。
ですから、問題は「科学」がなんなのか、ではなく、
科学者集団「生態学
なのだ。いや、
科学者「村」
の人々(村民)の「生態」と言った方が、さらに正確だ。

さてとにかく以上でもって私は、これら二種類の者おのおのの流儀をお話ししたことになるのです、テオドロス。その一つは、真の意味の自由と時間の余裕とをもって、その中に育てられた人の流儀なのでし、こういう人こそあなたは好学求智の士と呼ばっることでしょう。かかる人にあっては、たとえば夜具類の荷ごしらえをどうするか知らないとか、うまいお菜を作ったり、うまいお世辞を言ったりすることを知らないとかいうふうで、奴隷奉行の仕事に当っては、のろまであるとか無能であるとか思われることがあっても、それは別に落度にはならないのです。これに反して、今度はまたもう一つの方の流儀となると、これは今のべたようなことの世話は万事如才なくきちんとやるけれども、衣服をまとうのに、これを自由人の境涯に育った人の作法通り、正しく身に着けることは知らないといったような者の流儀なのでして、こういう種類の人間は、なおまた言語の抑揚を誤らずに、神々であるとか、あるいはまた人々の中の浄福なる者どもであるとかが送るところの、真の生を賛美する心得をも欠く者なのです。
テアイテトス (岩波文庫 青 601-4)

この(プラトンによってデコンストラクトされた)プロタゴラスのアイデアを敷衍するなら、そこにアナーキズム的な人間観があらわれる。それぞれの人々は、それぞれの生活圏において、それぞれの慣習に囲まれ、各自の「作法」を体得する。
例えば、これを江戸時代の日本人の生態について、適用してみよう。彼らは、それぞれ、「藩」という地域圏において、生きていた。そして、それだけであった。つまり、東北と九州では、まったく「違う国」であった。
言葉が通じないのだ。
しかし、それでは、参勤交代などで、江戸に来たとき困るのではないか。一般に、そういう場合、どのように処理していたのだろう。一つ、考えられるのが、「おいらん語」であろう。基本的に、江戸時代の「接待」とは、吉原の遊廓にような場所、お酒と女の接待の場所だったと考えてみよう(今と変わらないという話もあるが)。
地方から来るお客にも、「一様に」対応できるように、おいらん語が「発明」されたと考えよう(そして、この、おいらん語が今の日本語の標準語のベースとなったと考えるのだ)。つまり、吉原の遊廓という

があると考えるのだ。
しかし、いずれにしろ、東北と九州の人の会話が通じないことは、ポルトガル語スペイン語が違うことと、なんの違いもない。言語が違うなら、ライフスタイルも違う。いや違う。
そもそも、なにが「同じ」と言えるのか。
なにかが「同じ」と言うことは、一種の「抽象」なのだ。その正当性は「ない」。なにかの正当性は、またその「専門家集団」(たとえば、吉原の遊廓での、女たちの「おいらん語」圏)の生成と共に、主張されるにすぎない。
ファイヤアーベントの主張とは、我々は常に「ここ」にとどまり続けなければならないことを求めるところにあり、理性を越権する「形而上学的な」真理を隠微に画策する「哲学」を拒否するところにある、と言えるであろう。
しかしこれを、いずれ、科学の終り、「偶像の黄昏」というような、
静的なコスモロジー
が運命づけられていると考えるべきなのか、と問うなら、それはまったく逆であろう。さまざまな人々のローカネスと共に、さまざまな「村」が形成され、それぞれに、そのローカルネスに狭められた眼差しは、空想的に「夢」を仰ぎ見、その先の「世界」を眺望する...。

知についての三つの対話 (ちくま学芸文庫)

知についての三つの対話 (ちくま学芸文庫)