原発という「ボロネオの環」

videonews.com で、佐藤栄佐久元副島県知事が、電話インタビューに応じていたが、この方は、地方主権から、原発を考えるとき、非常に重要であることは間違いなく思われる。
彼は知事時代に、基本的には、東電の原発の推進に真っ向から反対していたわけではない。つまり、それなりに「理解」派の姿勢であった。
ところが、あまりに、東電と経産省原発族、国の原発推進議員の、現場無視で、秘密主義でトップダウンで決めていく姿勢に、しまいにあきれてしまい、ついていけなくなる。地方主権、地域民主主義の立場から、それなりに距離を置かざるをえなくなる。そうでなければ、住民に示しがつかなくなる。それなりに、地域主権による原発秘密主義から住民を守るために、慎重派に移行せざるをえなくなる。
ところが、そうなっていったとき、急に、
検察による逮捕
である。今、その存在と活動の「正当性」が限りなく、あやしまれてる連中が「また」である。
番組でも指摘していたが、ここには、旧帝大東工大の、原子物理工学学科の人たちの、就職先として、再生産され続けてきた、ある種の「なわばり」があるようだ。彼らが卒業して、就職していく先として、こういった分野があり、あるレベルの給料が確約される。するとそこに、同窓会を通した鉄の結束が生まれるのだろう。
この特徴は、この利権を守るために、国民に判断させない、判断されてしまう危険のある情報を外に出さない、こういった関係にあるのだろう。
たとえば、東電の今回の対応、について考えてみよう。
今回、非常な批判にさらされたものとは、まず、政府の発表が後手後手だったこと、つまり、東電が、徹底して、内部で持っている情報や内部で決定した判断の発表を避けようとしたことであろう。そのため、今になっても、多くの事柄の不整合を専門化も疑問にもち、説明できない状態が続いている。
しかし、重要なのは、東電とは「発電所」を中心に考えるなら、
カスタマー
つまり、その商品の使用者となるわけで、その商品の状態の判断は基本的に、作成者、つまり、東芝などの設計者、製造者でなければ分からない、ということなのだ。
作った人たちが、テストをし、安全保障したから、
売る
のであって、こういった企業の「サポート」が今、どうなっているのかが問われているのであろう。
いずにしろ、なぜ、政府発表は、このような秘密主義が続いたのか。国民の不安をかきたてないように、発表しようとしたことも、一つの理由だろう。しかし、最大の理由は、
大マスコミ
が、追及しないから、しかありえない。
なぜ、大マスコミが追及しないのか。NHKは、基本、国家と分離してありえないのだから、政府に近い姿勢を示す可能性があることは、理解できなくはない(もちろん、国民の受信料で成り立っているわけですから「逆の場合」もあるわけですが)。
では、大民放マスコミはなぜか。
大量の、東電からのコマーシャル料に依存した、経営体質になっていたから、としか言いようがないだろう。

  • コマーシャル料:東電 --> 大マスコミ
  • 東電の批判を自粛(無料での情報サービス):大マスコミ --> 国民

私たちが子供の頃から、何度も見続けさせられてきた、テレビのコマーシャルは、ほとんどが、原発がいかに安全かを宣伝する電力会社のものか、海外の保険会社の宣伝ばかりだった。この二つで、どれほどの割合を占めるだろう。
つまり、大マスコミにとって、電力会社は、お得意様なわけだ。無料のテレビが、お得意様の意向を無視して、徹底検証などできるわけがない。
ところが、である。
ということは、である。大マスコミを敵に回せる国民は果して、いるのか、という話になるのだ。大マスコミは全国に日本の情報をメディアしているのであって、彼らと仲良くするから、私たちは、いいイメージを国民に認知してもらえる。経済にとって、自分たちセラーに対するカスタマー側からのイメージがどういうものかが、決定的に重要であることは言うまでもない。彼らに敵対するということは、この日本で生活することを著しく困難にする可能性があるわけである。

  • メディアとして情報を提供:大マスコミ --> 国民
  • 自分たちをいいイメージで報道してもらう:国民 --> 大マスコミ

広瀬隆さんの批判をする人もいるけど、彼は少なくとも、原発を一貫して批判することで、大マスコミからほされ続けてきたわけでしょう(以前の、videonews.com で本人がそんなことを語っていた記憶がある)。物書きとはそういうもので、そこまで、一貫して信念を貫いてきた人を、簡単に批判できない。
その彼が、あらためて以下で、この「原子力村」の
構造
を分析してくれている。

あのね、それはあの、私なんか集会や講演会をやると、最後に必ずでる質問なんです。私の話を聞いてくださった方は最後に、じゃあなんでこんなひどい危険なものをやるんですか、って。で私は答えらんない。なぜかというと、あの、動かしてる人間がこの産業を今、神保さんがおっしゃった、ものを動かしてる塊は我々は「原子力村」と呼んでるんです。こういう一つの集団ね。
あの、テレビにでくるコメンテーターも含めて、言うんですけど、あの、みんなレベルが違うんですよ。今、あのテレビのコメンテーターたちは原子力がなくなったら生きていけない大学教授たちなんです。原子力なくなったら、あいつら首なんですよ。他のね。これから太陽電池の研究でもやってくれなきゃ生きてけない連中なんです。あの連中は。(全部止めるとなったら)仕事なくなる。だから必死なんです。あの連中は。だから一つ。そういう人間たちもいます。それはね、鈴木篤之、とかいっぱいいるんです。今の悪い連中はみんなそう。
それから、政治家の方はお分かりと思いますが、自民党がずっと政権にぎってやってきたので、これは核兵器を持ちたいんです。今もそうです。民主党もそうです。民主党の大部分の連中はそうです。これはね。核兵器をもちたかった。
それから、メーカーがあるでしょ。メーカーは儲かるでしょ。あの、日立、東芝三菱重工、ね。この三社は、みんな儲かるんです。
それから、ゼネコンがあるんです。巨大な。いわゆるこの、箱モノを作る。原子力発電所って巨大な工事ですから。(すごい設備ですね。)
それからね、あのこのいわゆる、なかにいろんな部品を作るメーカーもこの中にとりこまれている、メーカーはね、みんな。だから、電力会社には抵抗できないんですよ。
それから、電力会社そのものは、本来は原発がなくて大丈夫なんです。電気代とればいいんですから。(独占でいってるんですから。)本来はね。だから、そういう人間たちとつるんでやってきたわけです。
それから地元があるんですよ。これはもっとレベルずっと低い話で金が欲しいだけなんです。いろんな交付金をもらいたいだけなんです。で、地元の住民はどうかというと、反対してる人はいるけど、最後はみんな工場がなくなっていくんです。原発が来ればほかの企業、みんな逃げるから。原発県になっちゃう。福井や副島。そうすると、だからそこ職場に行くと、そこしかないから、みんな恐くても黙っちゃう。黙ってそのうち、忘れちゃうんです。
で、そういう放射能がでて、副島の人は、大変ですよ。もう今、山形県の隣は、みんな逃げだしています。ほんと早く逃げ出した方がいいと思うんですが、今、そんな状態。
だから、みんな一つづつ違う。ただ全体を通して言えることは金ですね、やっぱり。(やっぱり、金ですか。)金ですね。基本は、金ですよ。薄汚い金ですよ。これは。これは人間の健康を蝕んで平気でね。金をやりとりする人間たちが、この金のやりとりで、この産業をね、なんとか維持しようとしてると。そういうことになります。
(その一番奥座敷には、なんかいるんですか。)いや。私ね。そんなに、だれか動かしてこう動くってもんじゃあないと思います。(欲がそう...。)そうそうそう。だからようするに、電気事業連合会って、電力会社が全部集まった集団があって、そこにね。親分がいて、今まではね、親分は、平岩外四、って東電の会長がいて、あれがその、ようするに経団連のね、会長もやって、そうやって日本をずっとこういう原発産業に追い込んできた。だけど、あの親分はね。あのこの、駿河湾地震のたしか直前に死んだと思うんでね。今はそんなに力のある連中はいなんでね、あんまり、ワルってより子ワルぐらいの連中がみんな社長やってんですよ。どうしようもないね。
screenshot

たとえば、有名進学高校から、旧帝大早慶に入るような人たちは、大企業に入るか、大学教授になるか、公務員になるか、政治家になる。
だとするなら、こういった「同僚」「同窓会」を持っている人たちが、社交的で、友達つきあいを大切にしている人であればあるほど、彼ら「原発関係の人」との、しがらみを断ち切った立場にたてない。
これは、言論人としては、決定的だろう。そういう人は、どうしても、こういった「エリート」階層代表として、振る舞わなければ、「同僚」「同窓会」的な

から村八分にされてしまう。しかし他方において、言論人としては、自分を、あたかも、一般の人たち「世間」を代表しているかのように、振る舞わなければ、ポピュリズムに迎合できない...。
そう考えてくると、一体、原発に対して、どのような情報力学が、
こういったカタストロフィーを迎えることなく
この原発推進の流れを止められたのか、を考えると、絶望的に思えてくる。一体、この
ボロネオの環
の外に出ることは、可能だったのだろうか...。
今の議論を振り返るなら、やはり最初の、上記の、佐藤栄佐久元副島県知事の、国策逮捕が一つ大きいことは間違いなく思えるわけである。もちろん、彼は無条件の反対主義者ではなかった。しかし、なんにせよ、地域が考え決める、その「インフラ」がどこまで健全なのかが大事なのであって、結局、地域主権を、国策が
ひねりつぶし
たわけだ。我らが首長をお縄にかけられて、そんなことで、どうやって地域主権が確立できるだろうか。
ところが、この事実に、今まで、どれだけの言論人が注目してきただろう(videonews.com が以前から、佐藤栄佐久元副島県知事の裁判に注目し続けてきたことは、刮目すべき事実であることは間違いなく思える)。
阪神淡路大震災のときと、今回が、決定的に違うのは、言うまでもなく、原発の被害である。原発があるから、私たちは、ボランティア活動を制限せざるをえない。ただ、それだけのことでも、原発は「あること」が罪深い、とどうしても言いたくなってしまう...。
(今、放射性物質がだだ漏れしてるわけでw。天上まで吹き飛んでw、ですね。どれだけの量が放出されているか。死の灰がどれだけ拡散しているか。たとえ微量でも、幼い子供への影響がまず心配されるなら、せめて、小さな子供がいるご家庭くらいはなんとかできないかと思うが、じゃあ、どうしたらいいのか。なにをしたらいいのか...。)