寺嶋秀明『平等論』

「平等」という言葉は、近年において、新自由主義的な文脈において、左翼の残滓として、徹底糾弾されてきた歴史があるだろう。サッチャーレーガン新自由主義は、日本では小泉旧自民党政策となり、その過程で、あらためて、戦前のアカ狩りと同列の視点として、「平等」とは旧ソ連マルクス主義社会主義共産主義の「勧善懲悪」なイデオロギーであり、徹底して撲滅しなければ、日本の不況からの脱出はない、と言われてきた。
しかし、多くの人たちが気付き始めているように、こういうことを言っている連中の言う通りの社会を実現すると大変なことになる、ということだろう。世界中に極端な貧富の差が生まれる。
ところが、こういうことを言っている連中にしてみれば、むしろ、
貧富の差をどこまでも拡大させ「なければならない」
と思っている。この差がどこまでも大きくなることが、彼らの考える理想社会が実現できていることの証明であって、そのことになんの疑問ももっていない連中なのだ。
日本の明治以降の近代化政策は、ちょうどダーウィンの進化論と共に輸入されたこともあり、この「弱肉強食」の世界こそが、彼らの考える「本当の世界」であって、ホンモノであればあるほど、「正しい」ということになるようだ。ところが、そのダーウィン自体が自らの進化論を、当時のアダムスミス経済学からアイデアを盗んできたというのだから、さて。どっちが本家なんですかね。
戦中世代の残滓からは、いわゆる旧日本軍の「暴力」への「哀愁」が漂う。私たちは戦後日本の平和主義を礼賛するが、その平和主義を実際の政治の場で担ったのは、自民党であった。しかし、その自民党とは、どういった人々で構成された集団だったのだろうか。歴史は戦中も戦後も連続しているのであって、なにか一つの事件が起きたからといって、その人員まで変わるわけがない。自民党は、戦中において、満州などでさまざまに私財を蓄えていた、企業や個人がその膨大な財産を背景にして、権力を構成した、と言えるだろう。しかし、なぜそういった人々が戦中に財産を築けたのかを考えるなら、多分に軍部の協力があったわけで、つまりは、自民党は多分に「戦争犯罪人」と区別できない性質を抱えていた、と言えるだろう。
(戦争とは「交通」の比喩で語られるように、多分に人の交流が生まれる。日本の多くの起業家が大陸で大儲けをしたのが、戦中であって、彼らは「そのため」に戦争を利用した。そう考えると、だれが戦争犯罪人でだれがそうでないかを簡単には分けられない。戦争が「交通」であるなら、だれもがその「交通」を利用して、生き延びようとするのだろう。)
つまり、自民党アイデンティティには、前の戦争を否定することができない、というアイロニーがある。否定することは、彼ら自民党がなぜ存在できたのか(なぜ資産家は財産を蓄財できたのか)を否定することにつながるからで、つまりはそれが、日本の戦後の出発点だったということなのだろう。
原発も、自民党の遺伝子の産物と言えるだろう。実際に、電力会社の献金自民党は切っても切れない関係にあったことが、指摘されている。現政権の民主党といっても、自民党の分派がこの政権の中枢を固めているのであって、福島原発のあれだけの事故の後も、かろうじて、民主党政権が、国民の信頼を得られているのは、総理大臣の管さんが一貫して自民党ではなかった、というところにしかないんじゃないだろうか。実際、今、管さんを総理の座から、ヒステリックにひきずり降ろそうと、まるで、戦前の226や515のように、叫んでいるのが、長らく自民党に、腰巾着のようにへばりついて、社会的発言権を得てきた文化人ばかりじゃないだろうか。そして、だからこそ、彼らの「抵抗」はヒステリックかつ非常識にエスカレートする...)。
生物は進化なんてしているのか。これと同じ意味で、人間社会に経済システムなんて存在するのか。優生学がうさんくさいように、新自由主義も、うさんくさい。こんなものをまともな学問だと思っている、計算バカを、いい加減、この21世紀には撲滅しないと、人類の未来もあやういんじゃないかな。
そのように考えてきたときに、上記の「平等」という言葉にへばりついている、人類の「怨念」のようなものに対して、いい加減に、けりをつけなければ、話はいつまでも前に進まないだろう。つまり、「平等」とはなんなのか。なにを言っていることになるのか。この「平等」という言葉の意味を人類が理解する日は来るのでしょうかね。
平等というのは、例えば、人間の言語活動にも通じるものがあるだろう。言語が通じるということは、ある言葉が以前と同じ意味で使われている、という認識が共有されているところで、始めて理解される。場所やメンバーが変わっても、同じ意味で使われる、つまり、同じ「人間間の同じ作法として」平等に使われることが、前提とされている。
また、自由というアイデアにしても、平等が生み出す形態だと言えるだろう。なにかの束縛から解放されるということは、人間社会的にみるなら、「だれもが」その束縛から解放されることによって、社会的な状態となるだろう。自由という目指される社会目標は、平等というアイデアによって、システムとなる。
しかし、ここではたと立ち止まるのである。
平等とはなにか。もちろん、ある種の「公平」な扱いのことを言っているのだが、さて。それは、どうなることを指しているのか。
だれもが、体の大きさが違うなら、食べる量も違うだろう。そう考えるなら、同じ量の食事が分配されなければならない、というのは極論に思える。また、近年、アメリカではアファーマティブ・アクションといって、同じ成績の生徒でも、ある採用枠の範囲では、マイノリティの人種の人たちが優先されたりする。これは、「今までの歴史的な経緯から、そういったマイノリティはどうせ大学に入れないのだから、勉強なんてしたって無駄」という共通認識があったことを前提として、
世代間での平等
を半強制的に実現しようという試みで、時限立法的にはそれなりの評価がされたりもする。
こうやって考えてくると、一体何が平等なのか、なにが公平、フェアなのか。どんどん分からなくなってくる。

「私が作ったものは私のものだ」という考え方こそ、近代社会の思考を支配し続けてきたものだ。それは自由主義者の議論の基盤となり、貢献物語の土台として機能し続けている。これに対して立岩(2004: 64)は、生産することと取得することを別のこととしてもまったくかまわないのではないかと主張する。「そもそも生産物を生産者の価値を表示するものであり、生産者の不可分の一部であり、ゆえに生産者に独占されるべきものだと主張するなら、それは不当である」。なぜなら「第一に必然的なつながりがないからである。第二に、より積極的には、それは存在と存在の自由を生産の下位に置き毀損するからである」。

私のものは私のもの。これが、近代的な所有論の原点と言えるのだろうが、しかしその、私のもの、とはどこから由来する正当性なのか。もしそれが、「私が作ったもの」というのなら、その主張の正当性はどこまでの範囲において言えるのか。あらゆるものは、私一人によって生み出すことはできない。だとするなら、それを「私が作った」と主張することの「自明性」が疑われている、と言えるだろう。
たとえば、17世紀を代表する社会契約論のホッブス、ロック、ルソーにおいて、前のホッブス、ロックは非常に似ていると言えるだろう。

ホッブズは、人間の第一の本性は自己保存であり、その最良の手段は「平和を求め、それに従え」であるとした。それが基本的自然法の第一となる(同書:160)。しかしホッブズ人間性に対する強い疑惑や不信感をもっており(田中 1998)、自然の平等から平和ではなく争いを引き出した。人間は元来自由を愛するが、他人を支配することを好む。平等な能力をもつ人間はさまざまな希望も平等に抱く。各人の希望がぶつかりあい、互いに相手をほろぼすか、屈服させようと努める。しべての人間を畏怖させるような共通の権力がないときには、「各人の各人にたいする戦争状態」(ホッブズ 1971:156)になる。
戦争は人間生来の諸情念に引き起こされるものであり、強大な力で抑えられない限り、自然法の尊守は達成されない(同書:192)。そこで、戦争を封ずるために、平等・対等な諸個人が契約を結んで政治社会=共通権力を形成し、自分たちの代表に権限を付与する、というのがホッブズの近代的政治システムの構想であった。

こうやって、ホッブズの議論を要約するだけでも分かるように、このホッブズの議論は人間の「本来性」から、自然状態を考察しているというより、ある「近代的な風景」を前提にしているように思える。古代ギリシアの、戦記物の翻訳を仕事としていたホッブズが見出した「自然状態」とは、古代ギリシア都市国家が、戦争に負け、市民全員が、相手国の奴隷となるか、または、全員その場で殺されるのかの、
その一瞬の風景
において仮構されているセカイと思われる。百済朝鮮半島において滅ぼされるとき、しかし、多くの百済人がそこに実際に住んでいたわけで、そのリアリティにおいて、そもそも国家は「そこから」どのように生まれうるのか、を考察したのがホッブズの議論のように思える(この妙なリアリティはそういった、特殊性において、考えられるべきではないだろうか)。
これに対して、ルソーの描く社会契約はまったく異なっている。ルソーは上記のホッブズやロックとはまったく異なる方向から議論を始める。

ルソーにとっての自然状態の人間は、自己の内奥に潜む矛盾した二つの面を抱え込んでいる(前書:27)。一面では人間は罪あるものであり、すべての悪を作り出し、その責任を負っている。他方では、人間は自然の子どもであり、おかされざる純潔を保っている。「人間は生まれつき善である」という宣言と「すべては人間の手で堕落している」という二つの宣言が並立している(同書:30)。ルソーはこの矛盾を個人と社会との分離によって解決しようとしたのだ。

ホッブズが人間不信を理論化したとするなら、ルソーは人間絶望から議論を始めた、と言えるだろう。こうやって見ると、ホッブズの社会理論は、著しく「近代的」と言わざるをえないだろう。そもそも、そういったホッブズが自ら思い描く
人間不信
はどこまで、普遍的なのか。彼はこれを人類普遍の法則として提示したとして、では、彼の考える人間は、そこまで「自明」なのだろうか。いつの時代にも、こういったフレームの人間セカイがあまねく広がっていたのだろうか。
古代ギリシアのポリス国家が特殊なように、彼が「ロマンティック」に見出す人間像もどこか、特殊なバイアスが見せている何かでしかない、ということはないのだろうか。
そうやって考えると、どう考えても、理論としては、ホッブズよりルソーの方が融通がききそうであり、使えそうと思わなくもない。
文化人類学が、今も地球の各所で生態している、狩猟採集民族を研究していくとき、そのアプローチは、ルソー的だったと言えるだろう。単純な狩猟採集民族において、マーシャル・サーリンズなどの議論にもあるように、徹底的なまでの
平等
が実現されていることは、近代人の私たちには、ただただ驚きである。

狩猟採集社会では腕の立つ狩人が威信を得るはずであり、そういった人物がリーダーシップをとると想像されるかもしれない。ピグミーは古来、槍一本でゾウを仕留める狩猟者として有名である。ゾウを一頭仕留めると、数十人が一週間以上、肉三昧の日々を送ることができる。しかし、ゾウの狩猟は大きな危険と背中合わせである。ピグミーの男は皆優れたハンターであるが、ゾウ狩りができる者は十人のうち一人か二人にすぎない。きわだった身体運動能力、ゾウの行動についての深い知識、勇気、決断力など、すべてが備わってこそ可能となる猟である。しかし、そのような資質をもった者であっても、しばしば大けがをしたり、命を落としたりする(市川 1982; 林 2010)。

狩猟採集民の平等の二つ目は、物質的平等である。狩猟採集民は「何もないから平等である」というのが素朴平等論であるが、彼らはけっして「何もない」わけではない。狩りの獲物などは財産であってしかるべきである。しかし、それはほとんどの場合「自動的に」と表現してもいいような流れによって、同じバンドの親族や仲間たちに分配されてしまう。少なくとも食料の保存をしない狩猟採集社会では、肉の分配は最大の社会規範と考えられている(Kelly 1995: 163; 岸上 2003)。
食料分配(シェアリング)は、物々交換とか貸借りといった通常の交換行為ではなく、まったくの贈与という形で行なわれる。食物分配の意味や機能については後の章でも検討するが、ここでは食物分配こそが狩猟採集民のもっとも根源的な行動様式であることを指摘しておきたい。分配によって食物という基本的資源の偏りが防がれている。肉はもっとも貴重な資源であるため、その分配には細心の注意が払われている。

しかし、これらの行動規範から、狩猟採集民では自然と平等な関係が成立していると考えるのは明らかに間違っている。むしろその反対である。規範としての平等の確立は、その破綻への恐れと表裏一体のものである。ブッシュマンの対面的コミュニケーションでは、直接相手に何らかの反応を指令するような働きかけをしないことなど、両者の間に優劣が顕現しないように細心の注意が払われる。多数が参加する共同作業でも、一人が他人に命令するようなことはない。共同作業において複数の役割があるときには、その役割の頻繁な交替が行なわれる。このような平等への「意志」に基づいて行なわれる動作や会話によって、ふだんの平等な関係が成立しているのだ(北村 1996; 菅原 1998)。

普通に考えると、ゾウをしとめた狩人は「英雄」だろう。それで、何日も食べて暮らせるのだから。しかし、その狩人は「もしかしたら死んでいたかもしれない」という自らの肉体的損傷の「リスク」の上に実現した、結果にすぎない。つまり、もしその狩人が怪我をしていたなら、彼はその後の人生を部族の人々のサポートによって生きていくことになっただろう。また、獲物を取りすぎれば、その土地は不毛になるわけで、そういったバランスの上で維持されてきた秩序を「英雄」かそうでないか、といった単純な話でわりきれない、ということなのだろう。
そう考えるなら、この「単純な」狩猟採集社会の「平等」の秩序の源泉を考察することができるだろう。
そうすると、私たちはある、単純な(ルソー的な)社会モデルを考えたくなる。単純狩猟採集社会から、牧畜農耕社会への「悪への堕落」。

「遅延リターンシステム(delayed-return system)」とは、船、網、梁、大掛かりな落とし罠、蜂蜜採集のための巣箱など、資産と言うべき道具や施設を用いて生業活動を行なう狩猟採集生活である。かなりの手間と時間を投入して作成される道具や施設が個人によって所有され、それらを用いた生業が主体となっている。自然資源へのアクセスにも制限がかかる。良い漁場などは世襲的にその権利が相続されることになる。入手した食料は加工され、ものによっては長期保存される。このような社会では、富や資産をめぐる個人間の格差が広がり、不平等な社会関係が日常的に出現する。人びとの活動は、現在ばかりではなく、過去からの継承資産の確保や未来への投資にも向けられる。

しかし、そう単純だろうか。それは、農耕社会を単純に「平等でない」と言えないだろう、という素朴な疑問に集約される。

霊長類学者で生態人類学者の伊谷純一郎は「人間平等起源論」(1986)と題した論文を発表した。これは、人間における平等と不平等のルーツをニホンザルチンパンジーなどの霊長類の世界に求めるという画期的な論考であった。その内容については次章で詳しく紹介するが、伊谷は、「社会的不平等への畏懼をもつ社会は、狩猟採集民の社会だけではなかった」賭し手、西部タンザニアの乾燥疎開林に住む焼畑農耕民トングヴェ族や、ケニア北西部の遊牧民トゥルカナ族などの例を挙げている。

つまり、なにが言いたいか。私たちは、上記のように「人間の本質としての不平等」をダーウィン進化論的に、または、優生学的に、または、自民党戦中資産家的に、考えてきた。つまり、不平等の「起源」を、それを
自然
の延長として考えてきた。しかし、そういった学問の姿勢は、どこまで「まっとう」なのだろうか。むしろ、我々が問うべきは、「なぜ人類の歴史上には、ここまでの人類による平等への努力が散見されるのか」だったのではないか、と。

以上、二つの農耕社会を紹介しただけだが、どのような社会にも平等と不平等のせめぎ合いがあり、その内容も一様ではないことが推察される。アフリカの農村では平等への志向と不平等の構造とが微妙な均衡を保っている。ジャワの農村はたしかに不平等社会であるが、そのままではやりきれない人びとの平等志向が社会のあちこちに噴出し、部分的な平等を実現している。これらの社会における平等・不平等のあり方、および狩猟採集社会との相違は、とうてい平等から不平等への一本調子な社会進化として描けるものではない。
これまで人類学では、平等や不平等は、それぞれの民族誌の中で、政治や経済、社会組織の特徴として指摘されるだけであった。平等そのものに焦点を当てようとする研究が始まったのは、二十世紀を終わり近くになってからであった。ジェームズ・フラナガンは、「政治人類学の大きな課題が不平等の起源とその様態を明らかにすることにあるならば、法人類学の課題は、その不平等の維持について理解することにある」というアンドリュー・アルノ(Arno 1985)の言葉を引用し、それまでの文化人類学における平等への無関心を糾弾している(Flanagan 1989)。アルノの言明には平等の起源という視点はない。平等は初めは理想化され、ついで自然化され、最後に無視されることになったとフラナガンは言う。今必要なのは、平等の再認識とその「脱自然化」である。

平等は「自然」ではない。平等とはその社会が自らのその社会の維持のために、生みだしてきたシステムと考えるべきなのではないか。
たとえば、掲題の著者はその「平等」の考察を、
霊長類研究
において拡張する。

チンパンジーボノボに関する研究が進むにつれ、それらの種でも、平等原則に基づくさまざまな行動が出現していることが明らかになった。上述のようにチンパンジーの順位序列では、複数固体の連合や同盟が大きな力をもつ。体力的に優位な固体といえども自分一頭だけではトップを維持することは困難である。劣位者たちが連合して立ち向かってくればとてもかなわないからだ。メスたちのサポートも必要だ。優位者が劣位者の同盟を確保するため、自らの優位を隠したり、劣位者的行動をするといった「逆不平等」とも呼べる行動も見られる。

霊長類において、「順位」というものが一般に見られる。日本社会で言えば、総理大臣がリーダーになるのだろうか(人によっては、天皇がそうだと言う人もいるのかもしれない)。普通は、リーダーがその群にある、餌を食べる権利が独占されている、と考える。ところが、ある霊長類において、食料の「分与」が見られる。あるサルがリーダーにへりくだり、その餌を分けてくれ、という姿勢を示す。すると、リーダーは多くの場合、分けて与える。また、「遊び」という姿も、霊長類において多く見られる。そこにおいて、上記の「順序」は存在しなくなる。それは、お互いが「これは遊びである」という共通認識をもっているから、と言うほかはない。
さて、平等とはなんだろう。これを、ある「個人」の行動として考えたとき、それはその個人が他人に「分与」した、という行為において考えられるしかないだろう。たとえば、それを日本社会で考えるなら、総理大臣が「これをある国民にあげたい」と思って法律を作ることが、総理大臣から、その人への「分与」であって、私たちはそういった個人的な行動の積み重ねの結果を眺めて、平等が実現されているか、そうでないかを考えているにすぎなく、つまりはそこにあるのは常に、個人の行動ということになるだろう。

一九五〇年代末、アウストラロピテクスの最初の発見者であるレイモンド・ダートは、遺跡の動物骨片などから、人類の祖先が「骨器」などを用いて動物を狩り、食人にふけっていたと推測した(ダート 1960)。狩猟と肉食が人を進化させたとする「狩猟仮説」の誕生である。劇作家のロバート・アードレイはさっそくそれに飛びつき『アフリカ創世記----殺戮と闘争の人類史』(1973)や『狩りをするサル----人間本性起源論』(1978)を著し、人類の本性が「殺し屋」であったと見なすキラー・エイプ論を喧伝した。動物行動学者のコンラート・ローレンツも『攻撃----悪の自然誌』(1970)において「悪」と見なされるような「攻撃」が、人も含めて動物全部にそなわった種の保存と進化のための重要な行動、すなわち「本能」であることを主張した。
文化人類学ではローレンス・キーリー(Keely 1996)が、近代化以前の未開社会における戦いの頻度、激しさ、残虐さなどは、近代社会の戦争にけっして劣るものではないと力説している。たしかに、日本の縄文時代にも殺人はあったようだ。しかし一万年におよぶ縄文時代の人骨五--六千体のうち、殺人によると思われる犠牲者は十人足らずにすぎないと言う(佐原 1999)。農耕文化の成熟過程が本格的な戦争を生んだという佐原の見解は妥当である。
狩猟仮説は一九七〇年代に入ると実証的観点から論破され、ほとんど消滅した。ダートが証拠として示した「骨器」や、狩猟や肉食の痕跡は、ことごとく間違った解釈にすぎないことが判明した。マット・カートミル(1995)は、狩猟仮説は、人間が動物一般とは異なった特別な存在であることを正当化しようとする「起源神話」であると指摘する。神話はたしかに人の進化においてきわめて重要な役割を果たしてきたはずだが、それが暴力と直結するというのは明らかに短絡的である。ランガムとピーターソン(1998)は、人の暴力性はチンパンジーと共有の本性であり、両者はさらにオスの一貫した凶暴性で同一であると断言する。しかしチンパンジーの攻撃と人の戦争を同一視するのはあまりに粗雑な議論である。人間の本性に暴力性とか攻撃性を仮定する根拠も必要もない(山極 2007)。
われわれの過去に安易に「平和な野蛮人」を想定するのはおめでたい話かもしれないが、戦いこそが人の本質であって平和は神話だとするのもまったく根拠がない。そのような本質主義的な言説にはほとんど意味がない。言い古されたことではあるが、人は戦士として生まれるのではなく戦士になるのである。元陸軍兵士であり、後に軍事心理学や社会学の教師となったデーヴ・グロスマン(2004)は、同類たる人間を殺すことに対する抵抗感を押し切って、戦場にて兵士を戦わせ、敵を殺させるためには、いかに軍隊や社会が兵士を訓練しなければならないかを説いている。「なぜ人は殺すのか」という問いが重要ならば、それと同じく重要なのが「なぜ人は殺さないのか」という問いなのである。
人も含めて霊長類社会では暴力や争いは至るところにあるが、友好や平和も同じく偏在する(加納 2001)。あやふやな「暴力の本能」をめぐって議論を重ねても埒があかない。必要なことは、これまで平和を主体的に生きてきた人びとの英知の仕組みを辿り、それを今後に生かすことである。

優生学的な発想には、どこか「人間を特別な存在」として考えたい、という姿勢が見られる。人間は他の動物と違ったなにか、なのではないか。そこから、他の動物にはない人間の「暴力の本能」というロマンティシズムを語りたがる連中が、後を断たない。しかし、なにかを「本能」と言った時点で、そいつは負けなのだ。この社会にさまざまなトラブルが生まれることは、どんな動物社会においても、当たり前のことであって、だからこそ、創造的に、さまざまな「からくり」が作られ続ける。
「平等」もそういった実践の一つにすぎないのであって、いいかげん、くだらないイデオロギーでなにかを言ったつもりになるのは卒業できないものなのかな...。

平等論

平等論