藤野もやむ『忘却のクレイドル』

この作品世界を通底している色調を、理解することは、著しく困難であるが、この作品が最終巻において、描いた作品世界の世界観を考察することは、興味深く思えなくもない。
この世界の日本では、15歳以上の子どもに半年間の、義務教育の一環としての「特殊訓練」が行われる。つまり、徴兵制である。
主人公のカズキは、そのため、ある島に集められ、日々訓練を受けるのだが、その内容は多くが身体測定という「注射」を何度も受ける、変わった訓練であった。しかし、いずれにしろ半年したら、本土に返り就職活動を自分も始めるんだろうと、なんとなく考える日々を過していた、
そんなある日。
あるヒカリちゃんというしゃべることのできない女の子と、猫の騒ぎ声に目覚めるとそこは、何十年も時が過ぎた後の、廃墟と化した島の姿であった。
どうも、この世界の日本は、ある「戦争」に負けた後のようなのだが、じゃあ、この島の外の「本土」がどうなっているのか、彼らそこで目覚めた子供たちには分からないだけじゃない。彼らは何十年も時が過ぎているはずなのに、あの頃の目覚める前の年齢の姿であった。
それだけじゃない。彼ら島で生きていた子供たちは、
お互いでお互いを「殺し合う」。ナイフを刺し、ピストルで打ち抜き、バールで頭を砕くが、彼らはすぐに「回復」してしまう。ただし、どうも回復力の衰えているときは、そのまま死ぬ場合もあるようなのだが、その場合に、彼らは、ある「石のかけら」、だけをその場に残して消滅する。
第五巻において、ヒカリちゃんはカズキに、自分が母親に、母親の身にもしなにかあったら、ヒカリちゃんが「この島のシステムを止める」ように言われていたことを告白する。
ヒカリちゃんの母親の両親は、この島で行われていた研究室の上月という先生の助手で、この島のシステムを封印したときに、そのキーはもちだされたが、ヒカリちゃんの母親とヒカリちゃんは、そのキーをもってこの島に戻ってきた。
この島のシステムを止めるために。
しかし、ヒカリちゃんは自分の「淋しさ」から、「この島のシステムを止める」ことができず、カズキたちを目覚めさせてしまう。しかし、そうしたことの結果を知り始めた彼女は、少しずつ、自分の行為を、後悔し始める。
本来は、ヒカリちゃんは、この島を目覚めさせてはならなかったのだ。それが彼女の母親が彼女に固く言いつけていたことであった。
なぜ目覚めさせてはならなかったのか。
そして、カズキたち、この島に「生きる」子供たちは気付き始める。
自分が何者なのか、を。この島は、上月というある科学者が、(戦争の道具としての)「実験場」として、ある極秘の実験が行われていた場所であった。
カズキ。
カズキはだんだんと気付いていく。
自分には、孤児院に入る前の記憶がない。
自分が子供の頃、犬が死んでもなぜか泣けなかった記憶がある...。
自分がこうやって、何十年の眠りから目覚めたのも、こういったただの「偶然」であって、なにかの意味や目的があったわけではない。
自分は人間ではない。
クローン。
上月のクローンである彼は、上月の死んだ後も存在し、そして彼が死んだ後も、また彼のクローンが存在し...。

俺に 何ができたんだろう
からっぽの 俺は
与えられて ばかりだ
最初の記憶から 今に至るまで 思い返しても
自慢できるような ことは何もなくて

自分という存在に悩むカズキは、ある一つのことだけは最後に納得する。
この島のだれもが理解していることが一つある。ヒカリちゃんである。彼女だけは、
普通の人間
なのだ。彼らとは「違う」。たとえ自分たちがどうなろうとも、彼女だけは、
普通の人間
としていてもらうこと。この悲しい物語は、そういった自らの生きる意味に悩み苦しむ存在を、思考実験的にロールプレイしていき、その極限の姿を、どこまでも考察していく。
この終りのない悲しい物語...。

忘却のクレイドル(1) (BLADE COMICS)

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