ファザコン

以下の本なんですけど、

リトル・ピープルの時代

リトル・ピープルの時代

このけっこう分厚い本を読まれた方はこの
あとがき
をどのように思われたでしょうか。

ヘビースモーカーだった父は、51のときに肺癌で死んだ。父は自衛官だった。定年まであと4年の三等陸左、出世したほうではないが相応に勤め上げ、第二の人生を考え始めてもいい頃合いだった。
中学にあがった頃から私は父とは折り合いが悪くなかった。15のとき進学で家を出てからは無骨な父を軽蔑するようになり、それを薄々感じていたであろう父は私の文弱な傾向に苛立ちながらも、どこか諦めたような態度を取るようになった。そして、そのまま私は実家にあまり寄り付かなくなり、父はそのまま死んだ。最期の数週間は私も介護に通ったが、意識は投薬で朦朧としていたのでロクに話すことはできなかった。
リトル・ピープルの時代

思想的にも、趣味的にも私と相容れなかった父だが、義侠心のようなものは人一倍ある人間だった。近所で火事があったときは真っ先に駆けつけていたし、後輩の面倒見も良かった。自衛官という職業にも誇りをもっていたと思う。
そしてある日、3月11日に未曾有の震災がこの国を襲ってからしばらくして、テレビの報道番組を眺めていた私は、松島駐屯勤務の航空自衛隊員へのインタビューを目にした。番組では、50歳を超えた熟年男性が大泣きしていた。ひげを蓄えた立派な士官だった。
地震直後から、松島基地には救援要請が殺到したが、彼らはまったく対応できなかった。それは津波で救援用のヘリコプターが流された上、さらに滑走路が使用不可能になったからだ。昼夜を通した復旧活動の結果、滑走路が使用可能になったのはその数日後、既に多くの人命が失われていた。こんなときのために自分たちはずっと訓練してきたのに、と彼は無力感に泣き崩れていた。
私はそれを見ながら、あの熟年士官は父ではないかと思った。父が生きていれば、被災地に飛んでいたのは間違いない。
リトル・ピープルの時代

私は村上春樹については、初期の作品を、若い頃読んで以来、ほとんど読んでいない。また、あまり読みたいという気持ちにもならない。また後半で多くの紙幅をさいて議論されている、ウルトラマン仮面ライダーを私は考えたいと思わない。それほど、特に最新作を見たいと思わない。

たしかに被災地では確実に、現在においても日常性は断絶したままだ。だがその一方で西日本、北海道といった地域にまで「日常性の断絶」が及んでいるかは疑わしい。そして首都圏においては否応なく日常性が回復しつつあるその一方で、余震や放射能汚染の情報が断続的にもたらされることでそれが脅かされ続ける状況下にある。これが意味するところは何か。おそらく首都圏は今、日常と非日常が混在する奇妙な感覚に包まれている。
政府の見解によれば、廃炉までには十年の歳月を要するという。
このまましばらく日本は非日常的な緊張感を内包した日常が続いていくんだろう。日常と非日常がスイッチのオンとオフのように切り替わるのではなく、日常をベースに非日常が亀裂のようにところどころ入り込む感覚が、特に東京あたりだとぼんやりと共有されたまま長い時間が経つのだと思う。世界は終わらない。日常と非日常が混在したまま、ずっと続いていくのだ。
そして私たちは今、日常と非日常の境界が融解した、危機とともに生きるための想像力を必要としている。
それは人間が生み出したものでありながら、今や人間のコントロールを離れ、私たちの生活世界を内部から蝕み始めている。私たちのすぐそばに、生活空間の<内側>にありながらも、もはや誰にも制御できないものがある。おそらくは私たちの無意識に刷り込まれていくであろうこの感覚が、どんな想像力を生むのか。文化批評の担い手としての私の関心はこの一点にあると言っていい。
リトル・ピープルの時代

村上春樹はいち早く、311以降の反原発を表明した。しかし、この本の一貫した姿勢は、そういった村上春樹の後期の作品にあるような姿勢に対し批判的であり、つまりそういった姿勢への、ある種の、この時代からの「後退」を主張していると言えるだろう。
上記の引用を見ても分かるが、著者は311以降の福島原発の姿を「状態」として、認識し、我々の今後とはこの「状態」の中にある、という姿勢を一貫してつらぬく。
著者にとって、原発は民主主義的な「選択」の問題ではないようなのだ。著者のこの分厚い本からは、そういったメッセージは一切発せられることはない。
福島原発があのようになってしまった。
それ以降に著者にある、姿勢は、ではこの「存在」にどう向き合うのか、ということであって、それは、彼があとがきで書いている、「彼の父親への態度」に非常に似ている。
父親をヒーローや正義の味方として見ることから逃れられない著者にとって、福島原発とは、
父親が自分を守ってくれる、その相手
として、現れていることを理解しなければならない。著者は311を受けて、あの福島原発の姿に、自分の父親を「発見」する。著者にとって、その時点で、原発の問題とは自分の父親の問題と等値になっている、ことを理解する必要がある。
村上春樹もそうなのだろうが、311以降反原発派にとって、原発問題は非常に単純である。たんに原発を日本がやめればいい。そしてそれ以上にそのことを、面倒に考えていない。たんにそれだけのことであるから。
ところが、著者にとっては、そもそも、そういった問題設定がないのだ。だって、原発の問題とは、原発が問題じゃないから。原発から自分を守ってくれる、父親が問題なのだから。そうであるなら、むしろ原発を廃止すればいい、というテーゼは、彼にとって、なんの解決にもならない。なぜなら、彼が解決しなければならないのは、そういった父親に自分がどのように直面すべきか、なのだから、むしろそういう意味では、反原発を主張することは、それと戦っている父親の「行為」を、「無駄なこと」と言われているようなもので(反戦と似ていますね)、むしろ感情的に、反原発を受け入れることは単純には言えない、ということになるのだろう(つまり、原発は選択の問題ではなくて、「状態」なわけだ)。
例えば、上記の引用での「文化批評の担い手としての私の関心」という表現に、私はヘドが出る。自分で自分を「文化批評の担い手」と言い切ってしまうその態度もそうだが、そもそもこの本は、最初から、自分の父親のことを真正面から書けばいいではないか。現代思想だとか、サブカルチャーだとか、こんな教科書的な「まとめ」を、えんえんと書くんじゃなくて、これくらいの分厚さで、父親のことを書いた方が、よっぽど、著者にとって深刻な問題であって、読者を納得させられるんじゃないかな。
私はこの前、このブログで、なぜ日本は原発をやめるべきかと書いたときに、日本人が原発のことをやっているときも、原発
考えていない
ことを理由として書いた。日本人の頭の中は、生まれてから死ぬまで、原発と全然別のことで、頭の中がいっぱいであって、原発の安全性を「一種のゲーム」として、
本気
で徹底して考えられない。つまり、どんなときもこういった「ゲーム」を徹底してやる「暇」がないくらいに、全然別のことで頭の中がいっぱいだから、手に負えないのだろう、と(日本列島で原発をやるべきかの「判断」自体が、
徹底した思考実験
の結果として始めて結論がでるのであって、それができないなら、最初から選択肢にあるべきじゃない)。
しかし、おろらくは、こういった著者のような人は多いんじゃないだろうか。彼らには、「もっと大事なこと」があるのだ。そのもっと大事なことと自分が対決するために、原発が問題をクリアにしてくれるなら、むしろ原発という
状態
になにかを言うこと自体がタブーかつ蛇足なのだろう(父親が自衛隊というのも、なかなか大変なのだろうとは、分からないなりに想像はしますが...)。
311以降反原発派が、「戦わなければならない」相手は、実に多く、複雑かつ多様なわけですね...。