311から一年

311から、一年が経とうとしているわけだが、私には、この一年は「違和感」の一年であった。
それは、なんと言うか、自分というか、自分を含めた、「技術系」の仕事をしている人であれば(それなりの年季を経た)、だれでも「皮膚感覚」している感覚と、あまりに離れた感じで、あの福島第一をこの一年、「受け止めている」人たちへの違和感であった。
これを一言で言えば、

  • 文系

の人たちへの違和感と言いかえられるだろう。世間的にネームバリューのある人でも、どうも技術系の「現場」で、おそらく、ペーペーから鍛えられるような、作業に関わってこなかったような人たちの感覚には、どうしても、こういった問題が、一体、なにを意味しているのか、

  • こういった事態が起きたら最初に「普通」なにを考えるのか

といった「感覚」が、どうも共有されていない反応が「最初」に発言されるので、それが大きな違和感となっていて、恐らく、そういった「文系」の方々も、こういった技術系の人たちの反応が、うまく受け止められていないんじゃないか、と思ったわけです。
それは、いわゆる、専門家と言うような、テレビに出てくる、日本に一人か二人しかいないような人たちの話ではなく、日本中のどこにでもいる、それなりに現場でやっている技術者なら「だれでも」が感覚しているものなわけですね。
たとえば、私も以前に紹介した記憶のある「原発関連御用学者リスト」
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というブログには、確かに批判もあるのは分からなくはないんですが、ここに載っている人の特徴として、ほとんど、技術屋が「いない」んですよね。そのことを、よく考えてほしいわけです。なぜ技術屋がいないか。それは、技術屋なら、みんな

  • まず何を考えるか

が、一緒なので、一定のコンセンサスが基本的にある、ということでしょう。今回の原発の事故が、どれだけインパクトの大きなことかは、自分の

  • 日常の業務

が「もしこれだったら」と考えるから、みんな反応が同じになるわけです。
上記のブログに載っている人で、多いのが、学者とジャーナリストで、そのことが、

  • なぜ、ここに載るような人が世間的にKYとされるのか

を、ここに載るような人たち自身が「気付いていない」という点(それが、KYの特徴ですが)を、こういうものがカリカチュアに象徴するわけです。
たとえば、佐々木俊尚さんという方については、著書をブログで紹介したこともありますが、少し長いですがイメージが掴みやすいので、この人のフェースブックから、そのまま、引用してみましょう。

まずゼロリスク幻想について。誰が言い出したのかははっきりしませんが、この考え方の危険性についてはかなり以前から科学者らによって指摘されています。
ゼロリスクとは何でしょうか。それは食品や環境などの危険性(リスク)に「絶対安全」「100パーセント大丈夫」を求める考え方のこと。そしてこの考え方に「幻想」という言葉が加えられているということは、すなわちこのような「絶対安全」を求める考え方そのものが幻想でしかないということを意味しています。
もちろん、リスクは減らした方がいいのに決まってます。リスクがゼロに近づけば近づくほど、私たちが安心感を抱けるというのは事実です。でも問題は、私たちがリスクを減らすことに割ける資源や資金は有限だということ。お金や人力や資源エネルギーなどが無限にあれば、私たちはリスクをどこまでも減らしてゼロに近づけていくという試みに挑戦することはできるでしょう。しかし残念ながら、資源も資金も有限ではない。
そこで、「リスクマネジメント」という考え方が生まれてきました。これはリスクの大きさと、そのリスクを減らすことによって得られるベネフィット(便益)、そのリスクを減らすために必要なコストの大きさをはかりにかけ、その比率を計算して、リスクを減らすかどうかを社会全体で考えていきましょうということです。
もちろん、人の生命は地球より重いという意見もあります。人の生命を救うために、機械的な計算をするなんて不謹慎じゃないかと指摘される方もいらっしゃるでしょう。しかしそれはあくまでも建前であって、社会の現実ではありません。人の命を救うために無限のお金をかけたいと思っても、実際にはそんなことができずに人が死んでいくという悲しい現実は、私たちのまわりにいくらでも転がっているのではないでしょうか。
さらにいうと、ここで言っているコストというのは必ずしもお金の問題だけではなく、エネルギーや資源や人力や、あるいはそのために生じる不便さなどのさまざまな「損すること」の話です。
たとえば自動車は交通事故のリスクがあって、人がたくさん死んでいます。でもこのリスクをゼロにするために自動車を全面禁止にしてしまえば、そこで生まれてくる不便さは想像もできないほどでしょう。そこで、「交通事故のリスク」と「交通事故が無くなることによるベネフィット」と「自動車が無くなることの不便さというコスト」という三つの要素を天秤にかけて判断しましょう、というのがリスクマネジメントなわけです。
もちろん、このリスクマネジメントの厳密で冷酷な計算が、すべてのものごとに当てはまるわけではありません。たとえば典型的な例が原子力発電所
環境リスクの専門家として有名な中西準子さんは、著書『環境リスク論』(岩波書店)で、ポール・スロヴィックという心理学者が80年代に行ったある調査結果を紹介しています。
スロヴィックは婦人有権者組織と大学の学生、専門家という三つのグループに対して、何が重要なリスクかをアンケートしました。
専門家がリスクが高いと答えたのは、
1 自動車 2 喫煙 3 飲酒 4 ハンドガン 5 外科手術
でした。ところが婦人有権者組織は、
1 原子力発電 2 自動車 3 ハンドガン 4 喫煙 5 オートバイ
だったそうです。ちなみに学生のグループも原子力発電を1位に。一方で専門家グループでは原子力発電のリスクはたったの20位でした。
これについてスロヴィックは、こう結論付けています。専門家はリスクを年間死亡率で判断するが、普通の人は破滅的なことになる危険性と、未来の世代に対する恐怖を重く見て判断している、と。
そして前者の「破滅の危険性」を破滅因子(ドレッドリスク)、後者の未来の世代
の危険性を未知因子(アンノウンリスク)と呼びました。
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こうやって見ると、佐々木俊尚さんが言っていることが、池田信夫と、まったく同じというのがよく分かると思いますが、それはともかくとしても、佐々木俊尚さんにしても、池田信夫にしても、もっと言えば、中西準子さんにしても、共通しているのは、

  • 技術屋としてのバックグラウンドがない(んじゃないか)

ということなんですね。だから、一言で言うと、

  • 話し始める「順番」が「おかしい」

んです。もっと言えば、もし「技術屋」が、上記のような議論「から」始めたら、「恥かしい」わけです。なぜなら、そうだとしたら、その人は技術屋でないことを疑われてもしょうがないわけで、スキルシートをごまかして、この業界に入ってきた「もぐり」なんじゃないかと疑われる(もし自分がそういう相手と仕事をしていたら、疑う)、そういった感覚なんですね。
311の混乱の中で、私が最初に注目したのは、東浩紀さんという、何度かこのブログでも、御著書を紹介させてもらっている方が、後藤政志さんのインタビューを、ツイートしていたのを見たときでした(私はこの方は影響力のある方だと思うだけに、あの段階で、後藤さんに注目されたことは、大変に評価されるべき行動だったと考えているわけです)。
私はそのインタビューを見たときに、初めて、今回の事故で
「まとも」な「感覚」
と出会えたように思ったわけです。日常的に仕事をしていて、「普通に出会う」反応が見えた、と思いました。
今回、あらためて、videonews.com で後藤さんがインタビューを受けている内容を聞きまして、このインタビューを本当に多くの人に聴いてもらい、「技術屋」という人たちが、
どういう人なのか
を、あらためて一般の人々に「皮膚感覚」してもらいたいと思うわけです。

一番ポイントになりますのは、地震とか津波、のその設計で扱った条件って言いますかね。地震動だったら何ガロって言いますけど、揺れ、加速度を言うんですね。津波でしたら、何メートルと、その設定の仕方自身に非常に疑念がある。そもそも、福島の事故の前に、柏崎刈羽原発でものすごく大きな地震が来てしまった、設計した値よりもですね。
それは考ええられないんですよ。原子力プラントというのは、非常に、その地震力を検討するときに、それ以上ありえないという、最大限のものを使うと、そういうふうに設定していまして、限りなく大きなものを使うんだと、そう設定したと言っているのにもかかわらず、それの2倍以上、3倍近くなってしまっている。これはですね。もう、とんでもない話なんですね。そのことを、大きな事故に結果としては、柏崎はならなかった。火災が起こったりはいろいろあったんですけどね、ですけど、プラントの今回の炉心溶融までは行かなかったんですけれども、それをきちんと反省しないまま放っておいたんです。
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うちらの、IT業界でも、サーバの開発で、普通に、20代の後半にでもなれば、性能試験や負荷試験の、テスト項目の作成を任されます。そのときに、
2倍以上、3倍近く
の差で、試験に失敗するということが何を意味するか、この見積りを間違うことが、その後のリリースでなにが起きることになるのか、嫌というほど、

  • 実感

しているわけです。大事なことは、日本に2、3人しかいないような「専門家」の話ではなく、どんなに「若くても」技術屋なら、だれでも知っているような、皮膚感覚の話をしているわけです。
技術を勉強してきた人たちにとって、その「物理的な意味」というのは、極めて、分明な関係になっている。
それは言ってしまえば、この世界の物理系が、数学によって、どのように記述できるのか、という話なわけですが、現代の物理学は数学によって、かなりはっきりとした形で、提示できている。
たとえば、原子力というのは、あの少ない「物質」から、ものすごいエネルギーが生まれる。それを原爆や原発で利用しようとするわけですが、しかし、大事なことは、これは、
物理現象
だということです。自分たち人間が「便利になればいーなー」の「期待」に答えてくれる
サービス
じゃないわけです。大きなエネルギーがまず目の前にあったら、まず考えることは、それを、

  • どのように制御するのか

なんですね。もちろん、それを考えなくてもいいですが、そうした場合は、

  • どういう現象が起きるのか

を考えるわけです。それが、物理現象というものなのであって、言うまでもなく、エネルギーが大きくなればなるほど、その制御は難しく、やっかいになる。その「皮膚感覚」は、理系、なんですね。

通常でしたらね。たとえば、事故が我々を待ってくれるんだったら。一年二年。いいですよ。べつにそんなことくだくだ言いませんよ。電力が不足するとかそういうこともありますからね。ですけど事故はそうではないんですね、地震もそうです、いつ来るかわからない。で、来たときにですね。確実な対策をしてないとですね。極めて危険なんですね。それは、今回、証明されてしまったんです。
http://www.videonews.com/interviews/001999/002303.php

原子力プラントのような、ああいう、大規模システムでですね。そんな外からもってきたものを繋ぎ込むとかですね、なにかの行為があったり、人間のミスがありますからね。それから特に、ああいう外から持って来るものは、環境によりますから。夜。放射線がある。たとえば、あるいは、火災があるかもしれない。雪が降ってるかもしれない。台風が来るかもしれない。分からないんです。余震もあります。そうすると、そういう環境下で、あの、表現はあれですけれども、絶対的に近い、絶対に近い条件を要求されるんです。そうでないと、こういう事故が起こってしまう。
http://www.videonews.com/interviews/001999/002303.php

ここは、非常に重要なことを言っている。つまり、安全とは「基準」のことなんですね。クライテリア。だから、クライテリア「を」話さなければならないんです。ここが文系の人はダメなんです。その基準が、「絶対的に近い」ことを要求されているわけです。

調べてですね。ここに活断層がある。あったらそれで評価をして、確認するっていうのはですね。見落としたら御仕舞いなんですよ。あるいは、評価し落したら、御仕舞いなんですよ。そんなものは駄目なんです。ですからそれは、見るんですけど、同時に、最低限度、ここまでは考えとく、っていう、最低限度の保証といいますか、それをやるのが常識なんです。それが甘いんです。
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津波を考えました。十何メーターの津波が来ました。どこまで水が来るかとやります。そこに、原子炉建屋の建物の扉があります。精密扉のそこに、どんと水が当たる。それで、もつか、もたないかやってるわけですよ。ですけどそれはですね。今回福島の、あの、津波を見ていただくと分わかるように、大量な、瓦礫が流れているんです。家まで流れてきて、船だって流れてきて、そういう大きなものが流れてきてあたる。あたったら、一発でやられる。想定してません。水しか考えていない。ですからわたしはそれは、意味がないって言ったんです。
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福島第一のどれかが、爆発したら、もうだれも、福島第一に近づけなかったかもしれない。そうすると、一つとして、冷やせなかったかもしれない。そうすると、何を想定しなければならなかったか。福島第一の中にある、放射性物質
すべて
が爆発で、上に登っていき、雲の上に行き、風で運ばれる。つまり、
東京
が、今の福島のように、避難地域、つまり、
人の近づけない場所
になった可能性、つまり、
日本の終わり
なんですね。

東日本壊滅するって言ったらみんな、なに言っているんだって、マスコミも叩いたわけです、わたしはあのときに、管さんは、数少ない、唯一と言っていいくらい、日本の政治家の中で、地獄を見たといいますかね、分かった、だから、必死になった、と思います。それを分かんなかったのは、みんな、回りです。もっとひどいのは、御用学者さんたちはもっとひどいね。ほんとわかっているくせに、メルトダウンしたらどうなるかわかってるくせに、メルトダウンはおこらないとかね、そんなことはおこるはずはないとか、そういう、レベルの話をして、平気な顔をしてるんですね。
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万一、「いって」たら、東京がやられますからね。けっきょく、風のままに放射能がでますよね。今回、放射能が出てるんですけど、出てる量が、数パーセント、中にかなり留まっていて、出た分が少ないからね。まだいいですけど、全量が出るような格好になる。たとえばね、爆発的に言ったら、格納容器爆発っていったら、バーッとだす、そして、使用済燃料の所も、あそこも、もしあそこが、溶け出して全部行ったら、上なにもないですからね。建物飛んでるでしょ。そしたら、出るでしょ。そしたら、どこまでも風で飛ばされる。そうすると、二百キロ、二百五十キロという距離だって、全然遠くないんですよ。そうすると、例えば、東京が、避難区域になって全然おかしくない。そうするとそのときはいったいどう考える。われわれは、日本は壊滅するんですよ。
http://www.videonews.com/interviews/001999/002303.php

アメリカだって、相当な距離を取る努力をしてて、アメリカで原子力事故が起こっても、日本のようにはなりません。せいぜい、一つの州が相当なダメージを受けるだけで済みます。国が壊滅しません。日本は国が壊滅します。リスクの程度が違うんです。そのことをまったく理解していない。アメリカは絶対そんなことやりませんよ。
http://www.videonews.com/interviews/001999/002303.php

私が言いたかったことは、ブログ「原発関連御用学者リスト」に載っている人には、なぜ自分が載っているのか、そして、なぜその他の人は載っていないのかに、
謙虚
になってほしい、ということだけなわけです。こういうところに名前が載る人は、社会的に影響のある人なのですから、こういった、たんなる一市民のブロガーとは違うんですね。人々の行動を変えてしまうわけです...。