與那覇潤『中国化する日本』

学問とは、日々、進歩しているはずなのに、なぜ、義務教育は、中学で終わるのか。よく考えてみると、不思議なことだ。おそらく、卒業した後も、各自が独学を続けるので(そういう能力は与えたので)、不要だと言いたいのだろう。
しかし、これだけの複雑社会になって、どうしてそのように考えるのかは、あまり根拠がなく思われる。つまり、逆の意味で、
別に義務教育が死ぬまで続いたっていいんじゃないか?
と素朴に思うわけである。
こういった必要を、特に、感じさせるのが、歴史である。なぜ歴史は特別か。歴史は、私たちの「連続性」を考える上で、必須であるからだ。私たちの祖先が、どのように過去を生き、今に至っているのか。このことを考えることなく、未来を考察することは、反動的である。
著者は、フランシス・フクヤマの言う「歴史の終わり」は、中国の歴史の宋の時代に、
すでに
実現されていた、と言う。今のアメリカは「ようやく、中国に追い付いた」と考える。

「冷戦における自由主義に対する勝利によって、20世紀末をもって人類はついにその進歩の最終段階に入った」などというから、「歴史の終わり」がたいそう立派な世の中をもたらしてくれるように見えるのであす。実は、歴史(人類の進歩)は、っくの昔に終わっていた----冷戦後の世界を縮小コピーしてミニチュアにしたような社会が、実は1000年前の中国ですでに生まれていました。フクヤマさんは10年ではなく、1000年遅かったのです。

社会システムを、コジェーブのヘーゲル論の延長で考えている人というのは多いのではないだろうか。むしろ、自覚していない人ほどそうなのかもしれない。ここで言う、歴史の終焉とは、つまりはヘーゲル歴史哲学であったわけだが、ようするに、アメリカであり、日本であった。そこから、アメリカや日本の
これから
を考えることが、世界の趨勢の最先端を考えることを意味している、という含意があった。しかし、そういった人々は、つまりは、内藤湖南を読んでいなかった、ということを意味するのだろう。

こうして宋朝時代の中国では、世界で最初に(皇帝以外の)身分制や世襲制が撤廃された結果、移動の自由・営業の自由・職業選択の自由が、広く江湖に行きわたることになります。科挙という形で、官吏すなわち支配者層へとなり上がる門戸も開放される。科挙は男性であればおおむね誰でも受験できましたので、(男女間の差別を別にすれば)「自由」と「機会の平等」はほとんど達成されたとすらいえるでしょう。
......え、「結果の平等」はどうなるのかって?
もちろん、そんなものは保障されません。機会は平等にしたわけですから、あとは自由競争あるのみです。商才を発揮してひと山当てた人、試験勉強に没頭して頑張りぬいた人にのみ莫大な報償を約束し、それができないナマケモノは徹底的に社会の底辺に叩き落とすことによって、無能な貴族連中による既得権益が排除され、あまねく全員が成功に向けて努力せざるを得ないインセンティヴが生み出されるのです。
また、自由といっても与えられるのは経済活動についての自由だけで、政治的な自由は(科挙への挑戦権を除けば)極めて強く制限されます。貴族を排除して皇帝が全権力を握った以上、その批判は御法度、彼に逆らう「自由」などというものは存在しません。......ほら、自分の商売は好き勝手し放題だけど、「党」の批判は絶対厳禁、のいまの中国と同じでしょう?

著者がなぜ、中国の宋の時代が、世界の最先端であった、と言っているか、なんとなく分かっただろうか。
こういった、「新自由主義」においては、二つの課題に直面します。

  • 指導者が好き勝手、振る舞う可能性がある。
  • ひたすら、ほとんどの人が貧乏に落ちていく。

前者に対する、「ほとんど唯一の」対処法が、以下です。

宋朝以降の中国の場合、この褒める際の道具として使われることになったのが、南宋時代に朱熹によって大成された朱子学です。もともとは個々の人生訓や冠婚葬祭の手続きに関する儀礼規定の集合体という性格の強かった『論語』以下の経典から、オカルト的な占い趣味を一掃。さらには二度と唐末のように中華世界を分裂させないだけの強力なイデオロギーたることを目指し、体系的に読みぬいて「なにが、人類全員がめざすべき目標であるのか」「聖人とはいかなる存在であり、なぜ彼らの行いこそが常に正しいのか」を明らかにする一個の政治哲学・道徳哲学として編纂しなおしたものですね(橋本秀実『論語』)。
この朱子学思想が、科挙受験の際の公式マニュアルとなることで、選抜された科挙官僚および彼らを選んだ皇帝は、単なる恣意的な専制者ではあり得ないことになります。自らの権力基盤の正統性を朱子学思想におく(世界普遍的な道徳の教えを最もよく身につけた聖人であるからこそ、選ばれたというタテマエになっている)以上、皇帝なり官僚なりもまた、それに相応しい振る舞いを求められることになる。

つまり、「褒め殺し」です。私たちに唯一行える、支配者集団の「コントロール」とは、彼らが自らを自制「させる」方向に、向かわせることしかありません。しかし、そんなことは可能なのでしょうか。
一つだけ言えることは、それは、愚直なまでに「正しい行い」を、
この国の標語
として、支配者「自ら」に「表明」させることによって、彼ら自身に「自分がそう主張する限りは、自ら範を示さないとなんねえな」と思わせることしかありません。
そのためのシステムとして、彼ら支配者が「雇う」、回りを固める軍師の「採用」を、こういった「聖人」のなんたるかを徹底的に学び血肉としてる学者とするわけです。
そのため、朱子学は徹底した「非科学」を排除した、合理主義となり、まさに、「なにが、人類全員がめざすべき目標であるのか」といった話を、ガチマジで考えるような体系となるわけです。
では、後者にたいする対処法はなにか。

まず、自由競争で振り落とされた時の保険のために宋代の中国人が開発したのが、「宋族」と呼ばれる父系血縁のネットワーク。父方の先祖が共通であれば、どこに暮らして何の職業について誰と結婚していようとも、同族と見なしてお互い助けあおうというしくみです(なので、中国人は男女ともに父親と同じ姓を名乗り、結婚しても改姓でずに「夫婦別姓」を貫くわけです)。これなら、今住む地域が災害に見舞われたり、不況で事業に失敗したり、家族で不和があっても安心で、血縁者のうち誰か一人くらいはどこかで成功しているだろうから、宋族一同みんなでその人に寄生すればいい。

私が以前に、反TPPの理論的根拠について、検証したとき、エマニュエル・トッドという人に注目したわけだが、この人の理論的な出発点も、各地域の
家族形態
だったことは、この話と符合する。私が、近年のグローバル化新自由主義化、開国化)礼賛の論調が、気持ち悪く思うのは、そう言っている彼らが、弱肉強食によって、強者の「回路」から、
こぼれ落ちる
大量の弱者を、どうしたいのだろう? ということなのだ。おそらく、中国は、今後、半世紀を、このアメリカ型グローバル社会に適応するだろう。なぜなら、そうやって、この
1000年間
を、アメリカ「以上」に先を行く、「世界の終わり」を実際に、彼らは生きてきたのだから、この程度の生温い「新自由主義」など、造作もないはずだからだ。
他方において、日本には、上記の中国のような、かなり「グローバル(=仮想的)」な血縁関係による、互助システムをもたないわけで、こういう状況で、嬉々として、開国だとか、維新だとか言って、はしゃいでいる、知識人の
中途半端な「儒学者」きどり
が、この日本社会の根底を「破壊」する「ブロン」となる可能性さえないだろうか。
著者の上記の主張から、この人が日本の歴史を
この反対
において、考えていることが分かるだろう。つまり、上記の中国の特徴とは、
律令制
と、とりあえず言えるのではないか。律令制とは、つまりは、封建制でないということで、つまり、地方のお殿様がいない。そのかわりに、
中央
から、役人が「次から次から」交代で、「俺がこの地域で一番えらい」と、ふんぞりかえって、やって来るシステムだと言えるだろう。

「群県制」の場合、行政官はどうせ数年間しか当地に赴任しないのですから、後は野となれ山となれで徹底的に住民から収奪しまくるという手も(人によっては)使えるわけですが、「封建制」の場合はそれはちょっと苦しい。良心が痛むからということではなくて、百姓を酷使し過ぎて食い潰してしまったら、自分も共倒れになるからです(加えて、百姓に幕府に訴え出られてお取りつぶしの危険性があります)。
だからどうなるかというと、領主(経営者)も領民(労働者)も、まあお互い同じ土地(会社)で生きていくしかないんだから、ほどほどのところで妥協しようということになる。

明治維新とは、ようするに、「中国化」のことである。なぜなら、実際にやったことを見れば、分かるであろう。
封建制を廃止し、群県制とし(実際、最初は、選挙で選ばれる県知事はなく、中央から派遣されていた)、大学受験という「科挙」を導入し、教育勅語など、その国家イデオロギーは、儒教そのものであった(こういった延長で考えるなら、一般意志2.0 とは、さらなる群県制の徹底、さらなる「朱子学化」と考えられなくもない)。
このように考えるなら、東京大学が「西欧の知を国民に与える」システムだったと考えるべきではないのだろう。一見、西欧の文化を学んでいるように見えながら、その内実は「科挙」であるように、
朱子学
を血肉とした集団だったのではないか。実際に、生徒の一人一人が、朱子学の文献を繙いたかどうかなど関係なく、ともかく、中国の「科挙」に受かった人たちと「同型」に振る舞ったという意味で、彼らは朱子学化されていた、と言えるだろう。
たとえば、彼らが日本に紹介する、「西欧文明」は、どこまでも、
朱子学
だったのではないだろうか。西洋哲学といいながら、実際は、それは「朱子学的に解釈をし解毒された」西洋哲学であって、実際の西欧哲学とは、なんの関係もないものだったのではないか、とさえ言いたくなる。

なぜ、掲題の著者が、「歴史の終焉」を、1000年前の中国の宋の時代に見るのか、そして、日本がそういった方向に向かわざるをえないのは、言わば、貨幣の
グローバル化
の動きと同一の事態だと言える。つまり、同一の通貨を使う限り、

は不可避だという意味である(そもそも、中国の宋の時代が、「歴史の終わり」という意味は、その時代に、中国の

という意味と同値なのだから)。
しかし、他方において、日本はそう簡単に、地方自治を手放せるだろうか。中国における、(空想的グローバル)血縁作法もなく、どうして、セーフティネットを仮構できるのか(実際に、今の日本社会で、そういった制度が、一つとして、うまくいっているのか)。
しかし、他方において、封建制的な、さまざまな「因習」に問題がないはずがない。

しかし、戦後GHQは戦争にむしろ消極的であった財閥を戦争の主導者と認識し、解散を命じた。こうして財閥が政商の立場から後退した。政府と財閥との関係がさまざまのやり方で断ち切られると構造が変化し、今度は政府そのものが、巨大な営利組織と化した。民主党衆議院議員であった石井紘基はその構造を調べ続け、国民の税金と巨額の国家債務とによって調達された資金が、特別会計という隠れ蓑を通じて特殊法人認可法人へと流されるルートを解明した。役人が大量に天下りする特殊法人認可法人とその子会社・孫会社の総数は数千社に達し、二〇〇万人程度がこのルートで生計を立てているという。政府保証が得られるので、「特殊法人は資金調達は思いのままだし、株主に対する事業報告書の開示義務もなければ、経理内容も公開しない。国の財投計画の大半を受け入れて事業を展開し、膨大な下請けを抱える特殊法人は、いうなれば企業の王様だ。製造業を除くほぼ全産業分野に君臨している存在なのである」と指摘した(石井 二〇〇二、一二八 - 一二九頁)。
現代日本の最強の関所は、言うでもなくこの国家資本主義である。商業資本主義と情報流通資本主義も、実際には国家資本主義の下請けのような形になって生き延びていると考えるべきかもしれない。
この構造を、国政調査権を用いて解明し、批判し続けた石井議員は、二〇〇二年一〇月二五日に自宅の庭で殺害された。

経済学の船出 ―創発の海へ

経済学の船出 ―創発の海へ

だれもが、問題だと思っていながら、いつまでたっても、廃止の方向に向かわない、この「特殊法人」というのも、一体どうなっているのだろう。こういった問題に立ち向かうはずだった、民主党は、それだからこそ、
政権交代
と期待されたはずだったのに、その最初から、そのトップの小沢さんを検察を使って、骨抜きにする。
この構造は、東電とまったく一緒と言っていいだろう(実際に、東電も一つの日本財閥と比肩し、日本社会に君臨してきた)。あらゆる手段を使って、中央政界、大手マスコミ。つまり、今後、あらゆる日本の
関所(= 日本錬金術
を駆使して、日本における、原発存続に手練手管を使ってくることだろう。

フランス植民地のマルチニック諸島に生まれ、フランスで精神科医となり、アルジェリア独立戦争に参加したフランツ・ファノンは、暴力についての考察のなかで、支配される者同士の激しい暴力は、その源泉が支配者から加えられる暴力にある、と指摘した。つまり、支配者が被支配者に暴力を振るうと、呪縛にかけられている被支配者は、その暴力を仕方のないものと思い、それによる痛みと怒りとを支配者に向けることなく抑え込む。そして抑え込まれた痛みと怒りは、マグマのように噴出し、被支配者たる同胞に向けられる。その暴力は果てしない報復を生み、同胞同士の血塗られたやりとりがくり広げられる。

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

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あらゆる言説は、結局は、自己言及的にならざるをえない。つまり、どんなに他人事のように語ろうと、その刃は、ブーメランのように、自らに向かってくる。
日本社会の、新自由主義化、グローバル化明治維新の徹底、開国、...。こういった方向への変化を、言祝ぎ、つまりは、日本社会の、
格差
拡大を、後押しする連中は、他方において、支配者の支配「構造」の変革には、興味なく、ひたすら、被支配者への
ダメ出し
に悦に入ってるのは、そういうことなのだろう。
しかし、そういつまでも続くだろうか。日本社会の格差拡大は、いずれは、治安の悪化を帰結するだろうし、日本社会の伝統の
一揆
的な、反グローバル運動も生まれるだろう。
こういった、律令制封建制、それぞれからあらわれる、さまざまな諸問題を、さらに、「構造」的システム的に検討していくような考察が求められているはずなのだが、どうも、こういった問題に対する、日本の知識人の考察は、上記のような感じで、今だに、ナイーブかつ凡庸なようだ...。

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

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