萱野稔人『ナショナリズムは悪なのか』

私が掲題の本をまず見て思った印象は、いきなり、なんの説明もなく、
ナショナリズム
がどうのこうのと最初から書かれているということの「異常」さだったわけです。
つまり、そういう言語感覚が非常に欧米現代思想研究者(悪口にすれば、オタク)の方の感覚なのかなーと。
一般の日本人に向けて、いきなり、「ナショナリズムがどうのこうのなんでうんぬんかんぬん」とか話し始めるって、まず、意味不明でしょう。だってこれ、
英語
じゃないですか。普通の一般の日本人が、こんな単語をいきなりぶつけられたら、びっくりするんじゃないでしょうか。まず、この人がそれで何を意味しようとしているのかが分からない。
例えば、日本の文脈において、ナショナリズムというものを、考えられるとするなら、例えば、近年のネトウヨの現象を考える場合があるでしょう。また、日本の政治史で考えるなら、まずは、丸山眞男が言えるかもしれない。彼が戦中における、平泉澄などの、さまざまな形の右翼的態度について、戦後考察したことは言うまでもない。
もし、私たちが、ナショナリズムと、前提なしに語り始める場合があるなら、基本的に、こういった日本的な文脈について、

  • 自分はどう思っているのか

というふうに、話し始めるかもしれない(だって、私たち自身が、日本人として日本語を話していて、そういった人に「向かって」語るのだから)。でも、そういった話題って、ほとんどないんですよね orz。
そして、いくら読んでも読んでも、それがなにを言わんとしているのかの説明があらわれない。つまり、この人が、なにを始めたのかが分からないんですよね。
つまり、こういうことがしたいのなら、一般向けの本として売らなければいいんじゃないだろうか。
(すみません。前置きでした。)
掲題の著者が、国家論を始めるにあたって、その橋頭堡とするのが、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』であるが、その扱いは、どうにも「周縁的」だという印象を受ける。
つまり、国家について、なにか積極的なことを言おうとすると、どうしても、その歴史的な多様性が、そういった「言いすぎ」をはばむ部分がある、ということなのだろうか。
つまり、そもそもの国家というものが、歴史的に「定義」できるだけで、別に、可述的な定義が、最初にあって、国家が運用されてきたわけではないから、である。
実際、アンダーソンは以下の発言を紹介するところから、自らの論文を始めていたりもする。

ヒュー・シートンワトソン----ナショナリズムに関する英語の文献のなかでは、もっともすぐれたそしてもっとも包括的にな作品の著者で、しかも自由主義史学と社会科学の膨大な伝統の継承者----は慨嘆しつつこう述べている。「したがって、わたしは、国民についていかなる『科学的定義』も考案することは不可能だと結論せざるをえない。しかし、現象自体は存在してきたし、いまでも存在している。」

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)

そういった事態に直面し、アンダーソンが考察するアプローチは、それをあくまで
近代
に限って考察していく、という手法ではないだろうか。

一部のナショナリストが「われわれ民族は歴史を超えて存続し、文化的同一性を保持してきた」と信じるのとはまったく逆に、ネーションもナショナリズムも歴史的にはひじょうに新しい現象なのだ。彼らが文化の同一性の根拠としてもちだす「伝統」も、ネーションが成立した近代の地点から過去に遡行することで後づけ的に創られた物語にすぎない。ホブズボームはそれを「創られた伝統」と呼ぶ。

近代の国民国家は、確かに、著者の言うように、どこも似ている。というか、現在国家と呼ばれている国々の、差異を探すのが大変なくらいに、みんな、似たりよったり、である。それは、歴史的に、先進国を後進国が真似してきた過程そのものだから、と言えるのかもしれない。
そこにおいて、アンダーソンが、まずもって注目するのが、
出版
つまり、出版的国家語の「発明」である。

アンダーソンは言う。

第一に、もっとも重要なこととして挙げるべきは、出版語が、ラテン語の下位、口語俗語の上位に、交換とコミュニケーションの統一的な場を創造したことである。フランス語、英語、スペイン語といっても、口語はきわめて多様であり、これら多様なフランス口語、英口語、スペイン口語を話す者は、会話においては、おたがい理解するのが困難だったり、ときには不可能であったりするのだが、かれらは、印刷と紙によって相互了解できるようになった。この過程で、かれらは、かれらのこの特定の言語の場には、数十万、いや数百万もの人々がいること、そしてまた、これらの数十万、数百万の人々だけがこの場に所属するのだということをしだいに意識するようになっていった。出版によって結びつけられたこれらの読者同胞は、こうして、その世俗的で、特定で、可視的な不可能性において、国民的なものと想像される共同体の胚を形成したのである。

近代国家の形成には、その印刷的国家語の発明と普及が先行する。この認識は、どこかフーコー的な印象を受ける。つまり、規律と訓練である。
まず、現代の国家で、国営の教育制度をもっているところが大多数ではないだろうか。私たちは小学校から中学校に渡る義務教育過程において、
国家語
の習得に対する、規律と訓練を徹底的にしこまれる。それは、国語の教科書として、まず、「文字」(国家聖書)として、提示され、その「音読」(言文一致)が啓蒙される。
この手法の特徴は、いわば、日本中に小学校という、

  • 共同体の「大量」コピー

を作成して、どの学校に入っても、結局は「同じ」行動をし、同じ作法が身につくように、人工的にコピー共同体を意図して作っていることではないだろうか。
どこの小学校も、各担当する先生の人数も同じくらいで、授業を受ける教室の形、机や椅子の形、グランドの大きさまで同じ。彼らが受けた「トレーニング」も同じ。入学した生徒が日々行う
ルーティーン
の、時間単位で過ぎていく指示内容も、ほとんど同じ。そのように、同じ「体験」によって(まさに、人格改造セミナーと同じように)、同様の経験を
人工的に
与えることによって、一つの「同質性」を、長い長い義務教育過程を使って、
作り上げる
わけである。
この過程は、どこか、トマス・クーンの言う「科学者集団」内での「練習問題」と似ている。
国家は、小学校という、「共同体」を「人工的」に作ることによって、この中で通じる

  • 作法

を、まるで、科学者集団が、その練習問題によって、新参者をトレーニングしていくかのように。
そして、こういったことを可能にしたのが、印刷技術という「大量複製」の技術だったことは論をまたないだろう。こうやって、

  • まったく同じもの

が実に簡単に生産されていることは、上記のような学校の「コピー」が、事実として「コピー」とすることを可能にする。つまり、ナショナリズムの同質性は、その
教科書
の「同一」性に還元されるのだ。
言うまでもなく、私たちの口語は、関西弁からアイヌ語から、違っている。また、それぞれの地域で、「ほとんど」通じない慣用語に、それぞれ、あふれかえっていることは自明だろう。しかし、こと、
学校「体験」(作法)
に限定するなら、人々は、あくまで「そこ」での体験に自分を「制限」するなら、私たちは、日本中のどこの学校で過した人とも「共通」の
プロトコル
を手に入れている、と言える。
しかし、ここで、はたと考えてみようではないか。
これは、「自由」なのか?
私が不思議なのは、多くの自由を無上の価値とする人たちが、こういった国家による義務教育を
自明
と考えることの不思議さである。確かに、教育を受けることは国民の権利かもしれないが、その内容がどういうものであるべきかは、少しも自明ではない。
だとするなら、この部分を疑うことなく、理想社会をイメージすることは、反動的なのではないだろうか?
たとえば、こんなふうに考えてみよう。ある地域の子供たちに、ある現象を理解させようと考えたとき、その地元で、その土地の子供ならだれでも知っている行事を例にして説明したら、彼らの理解は「早い」かもしれない、と。ところが教科書は、全国一律だから、むしろ、そういった作法を「禁じる」ために、作られている、と言えるだろう。
子供は教科書に書いてあることが、なにを言おうとしているのかが、うまく理解できない。それは、そもそも教科書が「だれ」に向けて話しているのか分からない
抽象的人間
に向けて書かれているからだ。その土地の子供に向けて書いているなら、こういう場合、こんなふうには言わないだろう。もっと、その土地でありふれた例により説明するだろう。もしかしたら、その土地にはその土地に合った教科書というものがあるかもしれない。それだけじゃなく、その土地には、その土地として、まずもって教えなければならないこと、これを教えることで、すべてのことが、
繋がって
分かるようになれるような、そういったこともあるのかもしれない。
なぜ、教育が、全国一律なのかを疑わないで、自由主義とか言っている人は、「おひとよし」である。当たり前だが、江戸時代まで、教科書なんてなかった。つまり、
そういう教育も「ある」
ということを理解できないのだろう。
こういった延長で、私がこの本の弱い部分かなと思ったのが、「ライシテ」問題が一切でてこないことである。つまり、

だ。なぜ、この問題が重要だと思うか。

ウェーバーは政治と暴力の関係について次のように述べている。

むしろ近代国家の社会学的な定義は、結局は、国家を含めたすべての政治団体に固有な・特殊の手段、つまり物理的暴力の行使に着目してはじめて可能となる。

ウェーバーはここで、物理的暴力を手段としてもちいるのは「国家を含めたすべての政治団体」にとって固有なことだと述べている。つまり、どのような目的を追求するにせよ、暴力を手段としてもちいるという点では、国家も他の政治団体も変わらないのだ。

しかし問題は、なぜ「暴力」をふるうのかの、その「動機」であり「目的」なのではないか。なんの目指すものもないのなら、暴力をふるうことでさえ、そんなことをやる理由もないだろう。ある人を殴ろうとするとき、その人の中には、ある「目的」があるはずで、だから、自分がやられたら嫌だと思うことでさえ、その「大義」がさせるのだろう。
つまり、どうしても、こういった問題は、「国家の目的」というアイデアを引き寄せてしまうのではないか。つまり、祭政一致である。
ライシテについては、以前ある本を紹介したことがあるが、そこでとても印象的だった部分がある。

たとえば、著者は、もう一つ、おもしろいことを言います。そもそも、なぜ、市民は「政治」、つまり、自分たちの生活の主戦場、ということは、自分の生そのもの、から、宗教を「外に出す」ことができたのでしょう。一つは、国家がその宗教が提供していた「道徳的な権威」を代行したから、と言えるでしょう。学校は、宗教にかわって、生徒に社会慣習としての道徳、規範、村作法、を提供することとなります。しかし、もっと本質的なことがあります。国民は、宗教を「捨てていない」ということです。

このような自由主義に基づいた自律の政治を、信頼に足るものにしている決定的なポイントは、反宗教的であることをそれ自体として狙っているわけではないことである。確かに教会が現世的な事柄について介入してくる場合、自律の政治は敵意を剥き出しにして真っ向からそれにぶつかっていくが、けっして宗教そのものに敵意を抱いているわけではない。自律の政治が信者に要請しているのは、ただたんに、救いについての個人的な希望はあの世のために取っておいて、この世では自律の共同作業に参画するように、ということである。このことに、信者の大部分は合意した。共和国の成功は、信者たちを聖職者から引き離した上で、結び付け直した点にあった。

民主主義と宗教

民主主義と宗教

国民は一見、宗教のない生活をしているように見えますが、実際は、「死んだ後、宗教的存在になることを疑っていません」。つまり、生きている間は、人間による「自律作業」つまり、学校や市民社会などの公共的な作業を行うことに同意した、ということで、それは、「あくまで、生きている間は」という合意なのだ、ということです。
screenshot

大事なことは、私たちは「産まれたその日から」、政治的存在であるのと同時に、宗教的存在であるということだろう。
キリスト教圏では、まず、赤ん坊は、洗礼を受ける。たしかに日本にはそういった行事的なものはないが、その地域に神社やお寺があり、実際にその土地の人々がそういった場所と、ある程度の宗教的な行為(お祈り)と関わりながら生きているわけで、つまりは、日本だって洗礼的な影響を産まれたばかりの子供の頃から与えていると考えられる。
しかし、それは別に、子供の「意志」ではない。ではないが、子供は自然とそういった宗教を生きている。よく考えてみると、そのことをどう考えるべきなのかは、難しい問題だ。
政教分離は近代国家を特徴づける、もっとも大きなものだと言えるが、なぜそうなのかは、わからない(おそらく、国家と国民の「行動の幅」を狭めることが、生存戦略として有利でないと思っているからなのだろうか)。
だから、そこを「あいまい」にする。しかし、そのことをあきらめているわけではない。おそらく、国家はもっと宗教的であるべきだと思っている人はいるのだろう(上記で指摘しているように、最も重要な義務教育時期に、宗教教育がないことを、そういった人たちは、「あってはならないこと」と思っているはずだから)。
つまり、そういったことを「あいまい」にしておくことが、さまざまな「軋轢」を回避する、
遅延戦略
なわけである。
日本の戦前の皇国思想から実行された、文部省行政は、祭政一致昭和天皇崇拝。まさに、キリスト教で言う「神」が、まるで、イエス・キリストのように、
現人神(あらひとがみ)
としてあらわれた存在(すでに、産まれた「最初」から神であることが分かっているのだから、「最初」から、偶像崇拝対象として生きる)として、扱われる。小学校に入ったその日から、天皇の写真が「御神体」として飾られ、

  • 今日から「あなた」が信仰する「神さま」ですよ

と「教え」られる。
(以前、ある本から引用させてもらったものを、再記してみよう。)

1941年4月1日、この日の植田国民学校は、まず上級生たちの始業式をすませ、そのあと一年生の入学式を行っている。もっとも子どもたちも親たちも、村の人たちはだれも入学式とはいわない。いつもの年のように、親しみをこめて、「饅頭もらい」といった。
この学校には、創立百周年記念誌『忍の沢』がある。それに手記を寄せた伊藤生子(1926年卒)は「もう、なんぼねれば、まんじゅうもらい----と、指折り数えて......4月1日を、入学式といわず、大人も子供も、まんじゅうもらいといった」と書き
この年の同校初等科一年生は、男子44名と女子61名で、共学の甲と乙二組に編成された。雨天体操場での入学式をおえた新入生たちは、担任と手伝いを合わせた4名の女先生に導かれて、廊下づたいに御影室にやってくる。ここは、校門から見るとちょうど真正面にあたる玄関、職員昇降口となる部分の、奥まった場所である。
ここに誘導されてきた新入生たちは、祭ってある神に拝礼をし、謹んで本校の入学の報告とした。別の記事の表現に「報告祭」と書かれているのは、このためだ。
学校の一画に、家庭における神棚のように、神を祭った神聖な場所が設けられていたのだ。この学校では前年11月、校庭に奉安殿が新設されているから、ここはそれとは別の聖域である。
御影室に祭られた神体、拝礼の対象となったものは、天皇と皇后の肖像写真だ。この写真を偶像として飾ったことから、この場所は御影室といわれた。
この写真の主は昭和天皇と現皇太后である。前者は当時の表現で今上陛下だ。
生きた人間がそのまま神として祭られ、崇められた。
そして御影に対しての新入生の拝礼がすむと、かれらは先生から「饅頭----神前に於いて配る」と、この場所で各個に渡された。これで明らかだろう。饅頭は、たんなる入学祝いではなく、だから教室において機械的に配られたのではない。教室でそれを受け取った二年生以上の上級生たちにとっては、たんにお祝いの品の意味で十分だろう。けれども新入生については、その意味が相違している。
これはまぎれもなく天皇からの下され物、恩賜の品に擬えて扱われている。この学校では新入生に対するいちばん初めの教育は、かれらの眼に天皇の肖像を映じさせ、その主が神であることを脳髄に焼きつけ、忠良な臣民となる勉強をはじめますとの、入学の報告(誓い)だ。饅頭はその効果的な演出の小道具だ。

国民学校―皇国の道 (歴史文化ライブラリー)

国民学校―皇国の道 (歴史文化ライブラリー)

私は日本の戦前世代の「それなり」の割合は、今だに、日本の教育は「かくあるべき」と思っているのではないか、と考える。それは、実際に自分が受けた「実体」が、事実そうだったからだ。
この皇国思想の特徴は、非常に「キリスト教」的であることだと思っている。つまり、明治以降の文部省行政は、日本の天皇を、西欧における、キリスト教の神に代替した場合に、どのようなことになるのかを、かなり愚直に実行した、ということではないだろうか。
この興味深い特徴は、その「幼児教育」にあると考える。非常に幼い段階で、徹底して「あなたの神」がだれなのかを「刷り込む」。この刷り込みを「非常に」幼い段階で行うことではないか、と思っている。
その非常に幼い段階での「教育」が、ある種の

  • 暴力

の「正当性」を担保し、その「感覚」が、成長した「以降」も続く。
子供の頃の「暴力」は私たちの、かなりの「部分」を規定する。それは、強迫観念となり、隠微に自らの行動を自ら「で」縛るようになる。
近年の憲法改正論議で、自民党が目指しているのは、基本的にはこういった戦中の皇国思想教育ではないか、と考えている(自民党が考えている「理想」は、華族制度を含めて、明治憲法「そのもの」の復活なのだろうから、憲法改正というより、憲法「復古」なんでしょうね)。
そして、近年の、憲法改正論議は、確実にこういった勢力の
復活
を印象づけるだろう。こういった人たちの間から、憲法改正が「そろそろいいのではないか」と主張する人があらわれるのと同時に、上記の、皇国思想の復活を「そろそろいいのではないか」と言い始める人は、当然あらわれてくる。
しかし、こういった動きに対抗できる理念的なものというのは、意外と思いつかないものだ。というのは、上記で検討したように、国家の本質とは、
教育のコピー共同体
にあるからで、じゃあ、全国一律になにをそこで「刷り込む」のかという、
一元論
的な取捨選択にどうしてもなってしまうからだ(これが、教育の地方自治化によって、教育内容そのものを、各地域の「自治」になるなら、ずいぶんとその印象も変わっているのだろうが)。
しいて言えば、上記でも検討したように、皇国思想は、多分に「キリスト教」を真似ることを「目指した」点にあるのかもしれない。つまり、明らかに、それは、日本の伝統的な信仰とは相性がよくなかった。無理矢理感が強かった。そういった点から、あれほどの戦前のようなところまでの、
過激化
に警戒する雰囲気はまだ続きうるのかもしれない。
しかし、そのことが逆に、今の日本のさまざまな
諸矛盾
(いろいろ言われてますよね)を「一挙」に解決するなにかとして、期待され要請されることがないとも言えないのかもしれないと思わなくもないが...。
たしかに、こういった皇国思想の復活については、今の政治をみても、それほどの力強さを感じない。それは、間違いなく、戦後の民主主義教育が、これだけの長い間続けられてきた
事実性
は大きいように思う。
また、戦後の皇室そのものが、戦後憲法の作成にも主導的に関わり(つまり、間違いなく今の憲法を作ったのは、戦後の皇室であり、彼らにはそういった自負があるのではないか)、この戦後憲法を「生きてきた」ことも(今の政治体制で、どう考えても、今後、皇室が憲法改正の主導的立場になることは考えられない)、なぜ戦後、憲法改正の動きがそれほどの国民運動とならなかったのかの理由でもあるのかもしれない...。

新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか (NHK出版新書)

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